非楽音による音楽の発明とその継承 ピエール・アンリとクリスチャン・マークレーの場合

『intoxicate』Vol.129(2017年8月)

 20世紀初頭のイタリアで興った前衛芸術運動、未来派のルイジ・ルッソロは、その当時の音楽における変化が、同時代のテクノロジーによってもたらされる環境の変化とパラレルであることを指摘し、雑音芸術(Art of Noise)を提唱した。それは、私たちの生活環境を侵食し始めた、近代化、機械化によって変容した都市に生まれた喧噪によってであり、さまざまな騒音、車のエンジン音や工場の音、飛行機やサイレンの音を模した音を発する雑音楽器イントナルモーリによって奏でられ、楽音によらない、不協和でどこか不穏な響きを持つ音楽を誕生させた。ルッソロはそれが、テクノロジー環境の変化によって、私たちがそれまでの音楽に感じていた美的感覚が変化させられ、より同時代的な音楽のありようを求めるようになったためであると言った。すなわち「市街電車、自動車、群衆の騒音を音楽のひとつの思想として結合すること」であり、かつてのベートーヴェンの《英雄》や《田園》をくりかえし聴くことよりはるかに大きなよろこびをもたらすものであるとした。

 秋山邦晴は、のちに『雑音芸術未来派宣言』となるこのルッソロの手紙を、まるでミュージック・コンクレートの誕生を予告するもののようだと評した[1]。そして、1948年には、実際に録音された具体的な鉄道の走行音などを使用して制作された《騒音のエチュード》が、ミュージック・コンクレート(具体音楽)として、ピエール・シェフェールによって発表される。「作曲のためには、缶詰のあきかんの転がる音を録音するだけで十分なのだ」という、新しい音楽の探究の始まりは、ありとあらゆる音「マッチ箱からでさえも」メロディ、ハーモニー、さまざまなリズムを生み出せる、という構想から始まった。そこからシェフェールは、個別に録音された音源から、あらゆる音響を演奏する普遍的な楽器が可能になる、というアイデアにいたる。それは「鍵盤がひとつひとつのターンテーブルに対応していて、鍵盤をたたけばピックアップがうごき、特定の音が録音してあるディスク(録音盤)が廻りはじめる」[3]というものだ。そして、あらゆる聞くことのできる音が、エレクトロニクスの助けによって音楽の素材として利用することができる、という発想は現在にいたるまでさまざまに進化し続けていると言っていいだろう。しかし、後年、シェフェールは自身のミュージック・コンクレートに対する自己批判を行ない、作曲活動から研究と教育にその活動を移行していくようになる。

 1950年にシェフェールとともにミュージック・コンクレートを代表する作品《ひとりの男のための交響曲》を共作し、シェフェールによって「じきに最も重要な音楽家と目されるようになる」と賞賛された音楽家ピエール・アンリが、来年2018年のミュージック・コンクレート70周年を目前にして他界した。「ミュージック・コンクレートに携わっている作曲家は多いが、フルタイムでやっているのは、ピエール・アンリだけ」[4]と言われるように、シェフェールの手法を発展させ、一貫してテクノロジーを駆使し、具体音電子音によって構成される音楽の実践を行なった作曲家でもある。

 音楽は時代の要請によって新たな形式と、それに伴う内容をそなえてきた。アンリは、騒音や雑音を人類によって発明された音であるとし、ミュージック・コンクレートを「組織され、溶かされ、エコーをかけられ、再創造された「騒音や雑音」」であり、「現実世界の要請を満たす「音」」であると言う[5]。そのように、ミュージック・コンクレートという手法も、アンリがバレエや映画音楽、さらにはロック・バンド、スプーキー・トゥースと共演したアルバムを制作する(1967年)など、その新しい音楽の形式をさまざまに応用させていった。それは、ミュージック・コンクレートとその手法自体、リュック・フェラーリ、ベルナール・パルメジャーニ、フランソワ・ベイルといった作曲家がそれぞれに展開していくことになった一方で、雑音芸術の名を冠したポピュラー音楽グループが登場するような、電子音楽の歴史が、芸術音楽とポピュラー音楽に分岐しても、アンリのような作曲家が、現在のテクノロジー・ミュージックのオリジネーターとして世代やジャンルを超えてリスペクトされていくことにもなった。アンリは、テクノの流行が政治的に利用されることには否定的であったが、椎名亮輔は、音をコントロールするアンリの身振りを観客が見つめる演奏会での様子を「ミサ」と比較されるようなものであるとし、さらにDJとその観衆の関係と重ね合わせている[6]。それは、ラップトップ・ミュージックが所謂演奏という行為を想起させない身振りによって演奏されることが批判的にとらえられることもあった時期であることを考えると興味深い。アンリの招聘は、日本でも2000年代にその機運が高まっていたが、残念ながら実現されなかった。

 現在では、数多くの国際美術展に参加するなど、世界的に活躍する美術家クリスチャン・マークレーは、ミュージック・コンクレートが彼自身のような音楽教育を受けていない者にとっての音楽制作の方法に可能性を開いたという意味で重要なものだったと言う[7]。異なるレコードを貼り合わせて、パッチワークのように1枚のレコードを作り、それを演奏した「ターンテーブル・プレーヤー」として先鋭的な音楽シーンに登場したマークレーもまた、人類の発明した音響装置から新しい音楽を発明したアーティストだろう。
 マークレー自身は、前述したような関心は持っていたものの、ミュージック・コンクレートからの作品への影響はない。シェフェールがターンテーブルを使用した楽器を構想したように、マークレーもターンテーブルをギターのように演奏する、「フォノギター(Phonoguitar)」を実際に制作している。しかし、それはレコードでジミ・ヘンドリクスのギターをプレイしながら、そのジェスチャーをするような、ギタリストをカリカチュアライズするものだったという。マークレーは、ヒップホップなどを知る以前からミュージック・コンレートやフルクサス、そしてジョン・ケージを知っていて、それらの前衛芸術の文脈と同時代のノー・ウェーヴと呼ばれるパンク・ムーヴメントが、彼のように音楽の訓練を受けていなくても、楽器さえ使用していなくても音楽ができるということを発見させた。しかし、マークレーの手法は、ミュージック・コンクレートのような録音された音の再生速度を変えるなど音を加工して再創造する、という手法とは異なる。彼が行なっているのは即興音楽の領域であり、常に変化し、偶発的なノイズを取り込むということでは、ケージやフルクサスを継承するものである。
 先ごろ始まった「札幌国際芸術祭 2017」で行なわれた、ゲストディレクター大友良英とマークレーとのパフォーマンス「Found Objects」では、芸術祭のサブテーマとも呼応する会場に集められた「ガラクタ」たちをふたりがアンプなしで即興演奏するものだった。しかし、それもまた、20世紀初頭から継承された、現実世界から要請された音楽にほかならないだろう。

[1] [3] 秋山邦晴『現代音楽をどう聴くか』晶文社
[2] ジョン・ケージ『サイレンス』柿沼敏江訳、水声社
[4] [6] 椎名亮輔「ピエール・アンリ インタヴュー ミュージック・コンクレートの50年」ユリイカ 1999年6月号(『ピエール・アンリ 音の芸術』engine books 2015年に再録)
[5] ピエール・アンリ「ミュージック・コンクレートと20世紀」(『ピエール・アンリ 音の芸術』engine books 2015年)
[7] 札幌国際芸術祭において筆者が行なったインタヴューにもとづく


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