コーネリアス インタヴュー

『intoxicate』Vol.64(2006年10月)

 これまで同時代の音楽潮流と伴走し、その影響関係において独自の音楽を作り上げてきたコーネリアスの作品とは、その時代の最良のドキュメントとしてあった、という面を持っていた。そのような意味で、前作『point』から五年ぶりに発表されるコーネリアスのフル・アルバム『Sensuous』は、五年という短くはない期間における、小山田圭吾の音楽に限らない、あらゆる経験が、その音楽にどのように反響しているのか、ということへの期待と関心を抜きにはありえないだろう。それは現在のポピュラー音楽において、コーネリアスがある種の指針のようなものをつねに指し示してきたという証左でもある。
 この『Sensuous』では、前作より確立された感のある、クリアかつタイトなコーネリアス・サウンドが、どこか作者である小山田自身の存在感よりも前景化しているという印象を与える。それは、「作者の自我のようなもの」が前面に出たものではなく、リスナーの聴き方によって完成されるようなあり方の模索といった姿勢に表われているように思われる。
 「(アルバムの中で)風鈴の音が鳴っているんだけど、表現したいものは静けさだったりするように、でも、風鈴の音を聴いた時にイメージするものはなんでもよくて、それを聴いた人のイメージと合わさることで作品が完成するようなものにシフトしてきているということはあるかもしれない」。
 先行シングルの「Music」のヴィデオに登場する、「耳」と「音に耳をすます」ことなどが象徴的に示しているように、楽曲自体のみならず音像の定位や音の肌理といった、あらゆる聴取体験が、リスナーのイマジネーションと相互作用を起こすことによってある像が結ばれる。それは、アルバム・タイトルの字義どおり(=感覚的な、感覚に訴える、感覚を喜ばせる)、耳に訴えかけ、ある種の心地よさを超えて、聴くことによってさまざまな側面や細部が発見されうる作品となっている(アルバム発表にあわせて行なわれるコンサートでの生演奏と聴き比べるのも一興だろう)。このハードディスク・レコーディングによる精緻な編集によって、本作が非常にポスト・ロック的な作品になっていることにも注目したい。シングルに収録された延々と続くかのようなリヴァーブの残響やフィールド・レコーディング作品のような風鈴の音は、アルバムをディープ・リスニングすることへの予行演習のようにも聴こえてくる。
 また、クリエイティヴ・コモンズの考えに同調した作品も収録され、もうひとつの展開を期待させる。
 「音楽でも映像でも、自分の作ったものが種みたいなものになって、それが広がっていくというのは面白いことだと思う。著作権というのは難しい問題を孕んでいるのは確かだけれど、規制する方向だけではなく、新しい方法はないかと思っていたところだった」。
 やはり、コーネリアス小山田圭吾は極めて同時代的なアーティストである。

コーネリアス『Sensuous』(ワーナーミュージックジャパン WPCL10367)二〇〇六年

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