いっしょにしないでほしい。どんな昔の体験とも、どんな痛みとも。
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綿矢りさ「大地のゲーム」を読了しました。もう10年近く前に、図書館で借りて読了していたのを、改めてKindleで買い直しての再読でした。
この作品のある部分、かなり長い部分を、私は自分のノートに書き写したことを覚えています。まだKindleで読書することも、こうしてnoteを書くこともやっていなかったころでした。忘れていませんでした。次の箇所です。
その頃のノートはPDFにして残っていて、見てみると、2015年の1月のようです。9年前ですね。
「大地のゲーム」は、現在よりも数十年未来の日本(とは書いていないけれど)が舞台になっていて、大地震にみまわれた数か月後の、とある大学に通う学生たちが主人公です。引用した場面はその地震の数日後、日が暮れてから建物の屋上にのぼり、街の様子を眺めているときに、たまたま近くにいた女子学生と、やはり女子学生である主人公との会話です。
「いっしょにしないでほしい。どんな昔の体験とも、どんな痛みとも」
という一文が、心に残ったのです。
生き残った人たちは、時として「強烈な罪悪感」を抱くことがあります。東日本大震災で被災し生き延びた方々を取材した番組を通して、時折聞かれる言葉でもあります。もっとできたことがあるのではないか。自分が生き残ってしまってよかったのか。
生き残って良かったのだ。そこに理由なんか必要ない。
この作品全体を通して、私はそんなメッセージを受け取っていたのかもしれません。
ああ、ちっともうまく書けません。
もっと思っていることはあるはずなのに。