m_yoshi79

サカイスト マサヨシです。吉本興業所属の兄弟で漫才をしている弟の方です。よろしくお願い…

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サカイスト マサヨシです。吉本興業所属の兄弟で漫才をしている弟の方です。よろしくお願いします。

最近の記事

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■1996年9月(長月) 9月の予定 この月は劇場の出番よりもやはり営業が多い お盆の劇場出番ラッシュが終わって、次は秋の営業フィーバー こう見ると連日師匠に色々な場所へ連れて行ってもらったんだなと改めて感謝します 今の時代は『営業』と言うのが主流ですが、この時代の時は『余興』とよく言っていた 一緒なんんですけどね 9月15日を見てみると 新大阪に8時集合から西明石で余興、そのまま稲美町に移動して2ステ余興、それ終わりで名古屋の厚生年金会館で余興 その次の日

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      ■1996年 8月19日(月) MON 赤口 → 25日(日)SUN 赤口 なんばグランド花月一週間公演。 夏休みのNGKは連日子供からお年寄りまで858の客席はパンパンに埋まる。 1日3ステージなので858席×3ステージ=客数2574人になる 大入り満員完売劇場 全国のお笑いの劇場としてはやはりここNGKが総本山だ 弟子入りして1ヶ月が過ぎ師匠の身の回りの動きも徐々に覚えて、色んな方と話が出来る余裕が出てきたようだ 周りのお兄さん達も最初の頃は「あーいくくる師

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        ■1996年 8月12日(月)MON 先負 →18日(日)SUN 大安 今、吉本には全国に劇場があって、吉本好きの方なら、どこにどんな劇場があるくらいはご存知な時代になりましたね。 この時のボクはなんばグランド花月は知っていても梅田花月と言う劇場は全く馴染みがなかった。 この当時の梅田花月の客席はものすごい角度のすり鉢状になっていた。記憶ではすり鉢と言うかほぼ縦の客席だったかな。 そして楽屋も強烈で普通の通路に机と鏡を取り付けているだけ。 楽屋口の入口から若手、真ん中に中堅

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          ■1996年 8月6日(火)THE 先負 弟子になって1ヶ月。 弟子修行がいくら楽しくても身体はやはり正直だった。 僕は仕事が立て込んでいる時は元気なのだが、一旦休みになると気の緩みからか必ず体調を崩す。それは今でも変わらない。 この時は奈良に帰っていたので近くの病院へ行き血液検査を受けて、高熱も出ていたので点滴もしてもらいベットで横になっていた シングルベットの上で一滴、一滴、点滴が落ちていくのを見ていたら、段々と意識が遠退いていく そのままスーッと薄れいく記憶の

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          ■1996年 8月 2日(金)FRI 大安→3日(土)SAT 赤口 KBS京都「いくよ・くるよのはりきりフライデー」とは京都のラジオ番組で1990年4月から2006年3月31日まで883回にわたり放送された番組。 金曜日の朝7時30分からお昼12時までの4時間30分の生放送だった。 弟子のボクの行き方は阪急京都線河原町行きに乗り、途中の烏丸駅で地下鉄に乗り換えて四条駅から丸太町駅で下車、そこから歩いて10分でKBS京都到着。今だに覚えているもんです。 それは置いてお

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          ■1996年 7月〜8月 29日(月)MON 先勝 → 4日(日)SUN 先勝 NGK一週間出番。ボクにしたら本格的に弟子修行がスタート。 ここまで劇場出番や営業などを経験しているボクにしたら研修期間が終わり ここからが正式に就職したような気持ちだった。 一週間の劇場出番にさらに師匠は木曜日は名古屋のラジオ、金曜日が朝から京都で5 時間の生放送のラジオレギュラーがあった、そして週末は必ず営業が入っている。 これが師匠の通常の一週間の流れだった。 初日からの3日間

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          ■1996年 6月 7月 1ヶ月でこんなにも生活が変わるとは思わなかった。月の予定に師匠の仕事がどんどん入ってくる。 それを書けることが嬉しくてたまらなかった。 書ききれなくなったら矢印を引っ張って全て書いた。 書くことで弟子なんだと実感した。 くつ、地図、ウエストポーチ。 師匠はボクに「綺麗な靴を履きなさい。綺麗な靴を履いている人には仕事がくる」とよく言われました。それは今でも守っている一つ。 今はスマートフォンで場所をすぐ調べられるが、当時のボクは携帯電話

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          ■1996年 7月 13日(土)SAT 友引 地方営業で徳島へ。 伊丹空港の出発口タクシー降り場で師匠を待つ。 全てが初めてのことで緊張が止まらなかった。 ふり返ると師匠に色々な所に営業に連れて行って頂いた。 公民館、学校、病院、村祭り、他にもあげ出したらキリがないのでこれくらいで。 劇場と場所が変わるだけでやることは一緒なんだが、その場所によっては色々と考えなくてはいけないことがある。 駅や空港からその場所までは移動は何分かかるのか?現場の楽屋はどんな感じな

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          ■1996年 7月 7日(日)SUN 友引 1回目の出番が終了。 楽屋に戻り「お疲れ様でした」とドアを閉める。 着替えの時間。男性の師匠ならば一緒に中に入り脱いだズボンやシャツやジャケットをハンガーにかけるのだが、師匠は女性なのでそうはいかない。ボクは外で待機となる。 最初の頃は師匠の「終わったでー」の合図でドアを開け中に入っていたが これも一年も経つ間に、師匠の着替え終わる時間が体感で分かる様になっていた 時間にして3分。ドア3回ノックして「酒井です!よろしい

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          ■1996年 7月 7日(日)SUN 友引 弟子の一日 師匠の楽屋入りの1時間半前に入り、まずは楽屋の掃除して、その後は舞台衣装のアイロンがけ。楽屋が終わったら、ロビーの進行部屋(スタッフさんの部屋)で朝と昼の出前のメニューの確認。この次点でだいたい1時間くらい過ぎる。 そして、一階に降りて楽屋口で師匠の入り時間30分前から立って待つ。 うちの師匠は30分前待機と決まっていた。 だいたい15分前くらいに師匠が到着。 タクシーから降りる師匠に「おはようございます

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          ■1996年 7月 4日(木)THU 大安 ボクはまた同じ楽屋にいた。もちろん目の前には今いくよくるよが鎮座している。 3日前と同じ椅子に座り少し間があきいくよ師匠が喋りだした 「お母さんと話したで、ほんまに芸人になりたいんやね」 師匠はこの3日の間で母に電話をして本気でボクが芸人になるつもりなのかを確認したらしい。その質問に対して母は昔から芸人になりたく大阪へ行き本気で芸人を目指しているとしっかり伝えてくれたみたいだ。 これは後に母から聞いた話だが、自宅にくるよ

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          諸事情により本日はお休みさせて頂きます。 また来週の月曜日に更新します。 よろしくお願いします。

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          ■1996年 7月 1日(月)MON 友引 NGKの楽屋口で待った。入り時間も分からず朝から楽屋口にいたと思う。 それから何時間か経ち、一台のタクシーが楽屋口に着いた。 降りて来たのはまさに本物の今いくよくるよだった。 あまりにも突然で緊張で声が出ず、立ちすくむボクの目の前をくるよ師匠が通りすぎ楽屋に入ってしまった。 焦るボクはトランクからまだ衣装を出していたいくよ師匠に「すみません!!!」と思いっきり声をかけた。するといくよ師匠は突然の大きな声にビックリしながら

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          ■1996年 6月 1日(土)SAT 先勝 NSCに通う学費がなく、それでも吉本に入りたい。こうなったら誰かの師匠に弟子入りをしないと吉本に入れないと思った どうしたら良いか分からないが、その事だけはもう頭の中で決めていた。 でも師匠って何?弟子ってどうしたらなれるの?どんなことするの?と言うか誰の弟子になるの?? でもそう決めたからには、もう一度行こうと腹を括った。 15日(土)SAT 先負 3回目のNGKへ 前回の恐怖心はどこへやら。誰かの弟子になるんだ!

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          ■1996年 5月 18日(土)SAT 大安 ↓ 19日(日)SUN 赤口 週末はネタを書くか漫才を見るしかなかったからビデオを借りてよく見ていたな。 この歳で見て感じる事と、今見て感じること事は全く違うと思うけど。 漫才って歳を重ねれば重ねるほど面白い 見てる時もやる時も。 おばあちゃんが大好きで日曜日は必ずこの番組を見ていたような気がする。 関西に住んでいる人は全員見てたんじゃないかな。 素人さんのボケに絶妙なきよし師匠の返し。 おばあちゃん一緒に

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          ■1996年 5月 1日(木)WED 仏滅 ↓ 6日(月)MON 先負 ゴールデンウィークでバイトもなく吉野でダラダラと過ごしている。 先が見えない状況で大阪に来て一番最悪な状態。どうしたら良いか分からずモヤモヤが続いてるね。 「さみしい9日」と予言してる悲しい5月のスタートだよ。 そんな中、母と兄が吉野に帰省。 二人は気遣い優しく接してくれている筈なのだが、たぶん兄や母に当たったんだろうな。 何に「むかついた」のか。書くのも面倒くさい感じが文字から伝わ