母であること①
子供の急な発熱、嘔吐。それでも誰にも頼れない。
「自分の時間を犠牲にしている」という認識が頭から離れない…
そんなネガティブな気持ちになりやすい。そんなお天気。
…それは、ほんとうにお天気のせい?
みなさまこんにちは!
和歌山でイラスト・デザイン・写真をしてます、ふじの まやです!
今日は「母である、というには」というおはなしを3回にわけてお話します。
娘が久しぶりに熱を出しました。
主人は朝から夜まで仕事。
娘のことはフリーランスでなかった時代から、パートだった私が9割お世話しています。こういう風にいうと、
「いやいやwそんなの当然でしょ。」
とか、どっかの見知らぬ誰かからの、聞いたこともない声が聞こえてきそうです。
私の中の「母」は、もう20年以上前から時が止まっている存在です。
高校時代に亡くなってからは、更新されもしなければ、後退もしていません。
中学の時に母が乳がんを患ってから、私は母から逃げ続けていました。
現実を直視したくない。
再発を繰り返し、
『どうして私ばっかり!』
と泣き崩れた母を見たショックから私は立ち直ることができず。
母が死ぬかもしれないという恐怖から、目を逸らしていました。
そんなだったから、母との優しい時間の記憶も写真も、中学以前のもので止まっています。
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お熱ぽんぽんの娘を抱っこしながら病院でゆらゆら順番待ちをしていると、ふと自分の心がここにないことに気づく時があります。
「あぁ、あの仕事が残ってる、けど今はできないな…。はやく帰って終わらせて、アレしなきゃコレしなきゃ…」
腕の中で苦しんでいる娘を差し置いて、自分のタスクのことを心配してしまっている。
あ、こんなんじゃだめだ、と振り払っても、気がついたらそんな気持ちがぐんぐんと大きくなってしまう。
こういうとき、どんな気持ちでいるのが正解なの?
ていうか、正解って、なんなの?
私は、母親をしている風にみせているだけなのじゃないの…?
もしかして、私の母も、こんな気持ちになったことがあるのかな…?
いろんな気持ちがいっぱいおし寄せてきて、気づいたらぽろっと、涙がこぼれていました。
お薬の順番待ちの時だって、おんぶだの抱っこだのの帰り道だって、そんな気持ちがずーっと拭えないまま。
足取り重く、帰宅しました。
続きはまた次回。
というわけで、今日1日を大切に、しっかりと足元見ていきましょう。
今回も読んでくださってありがとうございました。
またよろしくお願いします♪
それでは閉店ガラガラ〜!
またね〜
M-design ふじの まや
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