トッポを考える。

 トッポ。そう、トッポ。最後までチョコたっぷりなアレだ。ある日アレを食べた際、一つの疑問が生まれた。

「なぜ最後までチョコがたっぷりなのだろうか。」

 製造方法が気になるとかそういう訳ではなく、「何故キャッチコピーにするほどチョコを推しているのにも関わらずプレッツェル生地内に収まるだけにとどめているのか。」ということである。
 「チョコがたっぷり」という点を推すならばあの生地からチョコがガッツリチョコがはみ出ていてもいいはずだしなんならあの状態からさらにチョコでコーティングしたっていいわけだ。もちやすさを考慮して持ち手部分だけ素の生地のままにしたっていい。
 …なに?「すでにそういうお菓子がある」?うるせぇポッキーだかフランだか知らねぇがこっちは今トッポの話をしてんだチョコボールでも食ってろ。

 昨今のお菓子事情は消費者のニーズに合わせ進化するものもあればその需要から販売域縮小といった衰退の道へと行くものも少なくない。当然ながらチョコレート菓子もそういった流れの中を生きる世界の一つだ。中にはSNSを活用して公式アカウントにキャラ付け、俗にいう「バズり」を味方に売り上げを伸ばすものもある。
 それにひきかえトッポは目立った新商品や進化をしているわけではないが、かといって衰退しているわけでもない。確固とした地位を確立しているようにも見えるが、その安定した己に甘んじているようにも見える。チョコだけに。
 さらにはノッポトッポちゃんという商品展開までしたキャラクターがいるにも関わらず恐ろしいほど低更新(というか現在活動停止中)のSNSアカウント(しかも公式HPからアクセスできない)の詰めの甘さ。おどれに詰まってるのはチョコだけなのか。

 などと考えながら一箱食べ終わったが、その疑問に対し答えがでることはなかった。いや、むしろ答えが出ない方がよかったのかもしれない。
 確かに、チョコ菓子というにはいささか控えめな姿である。他のチョコ菓子はチョコの存在を前面に押し出し、「チョコを食した」という情報を脳に送り込むために購入される。が、一方トッポはどうだろうか。

 「チョコ」…を得るには一本を摂取するにあたり得られるチョコの量が少ない。かといって「クッキー(プレッツェル)」を得るにしても食感や量は他の食品に劣る。なんならその両要素を満たすならばアルフォートのほうが最適だったりする。
 しかし、私はトッポを買った。クッキーやチョコが食べたかったのではない、トッポが食べたかったから買ったのだ。おそらくトッポのチョコの量がはみでるほど増えたり、チョコでコーティングしていたら買っていなかっただろう。「このトッポ」だから買ったのだ。

 空き袋の底にあった折れたトッポを口に放り込み、「やっぱこれだね。」と思ったとか思ってないとか…