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クリエイターと近づきすぎるクリエイターじゃない私の話

特定のファンを大勢の中から取り上げて、かつそのことを大勢のファンに公開し、なおかつ取り上げられたことを大勢の人に見えるように発信する…

そういう一連のあれがなぜか嫌いだ。

正確に言うと、「特別扱い」されたように思いこむファンを滑稽に思いながら「おめでとう」といった言葉を投げかけられる…その空気感がなぜか数年前から酷く苦手になった。

ファンの〇〇さんのアイディアを元にしました!とか、ファンによる、〇〇さんに採用していただきました!とか…その中身がいわゆる採用者の「妄想材料」としてコンテンツ化されるとたまらなく気持ち悪い。

(これが個人じゃなくて、ファンからのアイディアを元に〜、かつファンも「やってほしかったことが実現した」ぐらいならばそこまで嫌とは思わない。)

というか、特定の誰かを特別扱いしました!を発信に取り上げる発信者が駄目、なんだとおもう。

多分自分もしたことは、ある気がする。なのに、周囲にそれが見えると、自分が自発てきな楽しみが、特定の誰かを喜ばせるための「消費」として利用されている事実に気づき、思わず顔をしかめてしまうのだ。

ありがたいことに匿名で出した要望を拾い上げてもらう機会が発信しているとちょこちょこあったりするのだが、それを採用者は「誰から」ということがない(そもそもわからないし、わかる形だったとしても個人がわかるような発信はしないようにしてると発言されたことがある)

仮に、スタンスが変わって、コンテンツの貢献者を他のファンにも紹介するようになったら多分私はその人を応援できなくなるんだと思う。

応援が、とあるファンへの使役行為に変わらないことを願いながら、感じ方が変わってしまったときの自分の醜悪さに自分一人でダメージを受けていたりする。

好きなはずなのに、少しずつ駄目になることが増える。

それを阻止するために新しいものを作る!といったクリエイターにもどういうわけだかなれない(クリエイティブが続かない)

そしてまた、その時期に入ってきた感覚がして、正直、今凄く怖い。

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