郷富佐子 「天声人語」初の女性筆者になって 巻頭随筆
一度始まったら最後、休みはなくなるらしいとか。苦情や問い合わせ等々がわんさか来るとか。10キロやせるとか、いや逆に太るのだとか。
社内で耳に入るうわさや臆測におびえつつ、この10月から朝日新聞朝刊の1面コラム「天声人語」を新態勢でスタートさせた。今日から値上げだ、ノーベル平和賞はどうなってる、ロシアは北朝鮮は――。全方向へ情報アンテナを張り巡らせながら、毎日がばたばたと過ぎていく。
他紙にもある1面のコラムは、日本の新聞が続けてきた独特の存在だ。天声人語の場合、603文字のなかに「▼」を5カ所入れ、6つのパートに分ける。このスタイルさえ守れば何を書いても良い(と、私は思っている)。
実際にやってみると、「これはチーム作業なのだ」と実感する。筆者は私を含めて3人。日々のコラムは、このうちのだれかが書いている。それをあらゆる面で補佐する中堅記者がいる。間違いをチェックするのは校閲担当だ。事故現場などから見た意見や専門的な知見を、他部署の記者に請うこともある。
天声人語は署名付きのコラムではない。だが、新態勢での初回となった10月1日付朝刊の「今日から『中の人』」は、明らかに私が書いたとわかるものだった。「初の女性筆者」と書いたためだが、これに対して読者から大きな反響があった。
一番多かったのは「がんばれ」という激励だった。ありがたいことである。「今まで女性筆者がいなかったなんて恥ずかしくないのか」というお叱りや、「昔も女性筆者がいたはずだ」というご指摘、「性別なんてどうでもいい」といったご意見もあった。
いまとなっては自己紹介などせず、普通に始めた方が良かったかなという思いはある。ただ、「中の人」をあえて出したのは、私なりに考えた上でのことだった。
戦後から15人いたレギュラーの「歴代筆者」は、確かに全員男性だ。ただ、それとは別に、数カ月に一度程度の代筆を担当する記者や、補佐役が書いたことはある。この中には女性記者も複数いた。
私自身、1年半ほど前から代筆を担当してきた。昨年6月に、「父の日と娘」と題した天声人語を書いたときのこと。短歌好きの亡き父が転勤する娘を案じて詠んだ短歌を紹介し、「この娘とは私のことだ」と締めくくった。
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