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人体と痛みとクスリ 痛みを抑える――この難題に人類はどう挑んできたのか 山本健人(医師・外科専門医)

文・山本健人(医師・外科専門医)

人間は「痛み」を感じる頻度が極めて多い

私が初めて救命救急センターで勤務した時、最も驚いたのは救急車を利用する人のほとんどが「軽症」であったことだ。ドアで指をつめた、足をねんざした、頭を打った、といった軽い症状の人が、ひっきりなしに救急車で搬送されてくる。

到着した救急車から、患者が歩いて降りてくることも多い。我が国は、世界的に見て医療へのアクセスが非常に良く、救急車は無料で、どんな軽症でもすぐに救急隊は駆けつけ、夜中でも休日でも病院に運んでくれる。大変恵まれた環境である。

こうした中で私が改めて認識したのは、人間は「痛み」を感じる頻度が極めて多い、という事実だ。肩こり、腰痛、頭痛、生理痛。あらゆる痛みに人間は悩まされてきた。暴飲暴食してお腹を壊し、トイレに座って腹痛に悶えた経験など誰しもあるだろう。風邪をひいて喉が痛くなり、つばを飲むのもつらい。そうした経験のない人はいないはずだ。

むろん、その「痛み」が重病のサインであることは、“確率的には”めったにない。痛みを訴えて救急車を呼んだ人の多くは、特別な治療を必要としないからだ。一方、痛みに対する過剰な「敏感さ」は、大きな健康被害を未然に防ぐ目的からは理に適っている。もし痛みに鈍感ならどんなことが起きるか、例を挙げて説明してみよう。

もし痛みを感じなければ

「先天性無痛無汗症」という病気がある。厚生労働省が指定する難病の一つだ。その名の通り、痛みを感じる神経や、汗をコントロールする機能が生まれつき発達せず、痛みや熱さ、冷たさを感じることができない。

ここで想像してみてほしい。この病気にかかると、体にどのようなことが起きるだろうか。

例えば、活発な子どもが走り回ってねんざをしたり、高所から落ちて骨折したりすることは少なくない。通常なら、怪我をした瞬間から子どもは痛みで泣きわめき、動きを止めるだろう。少しでも患部を動かせば痛みが走るため、じっと安静を保つはずだ。たとえ周囲の大人たちが、そうするよう指示しなくても、である。

ところが、痛みを感じることができない子どもは、怪我をしてもそのまま走り回り、激しい運動を続けてしまう。足をひきずりながら、それでもなお、楽しい遊びをやめようとはしない。結果として怪我は悪化し、重篤化してしまう。

骨が折れた時は、ギプスなどで固定して、治るまでしばらく安静にしておく必要がある。だが、多感で多動な幼少期に、痛みの自覚がない子どもを安静にさせるのは難しい。やはり治りきらないまま怪我を繰り返し、骨が変形したり、傷が感染したりするなどして、取り返しのつかない状態に発展する。

先天性無痛無汗症は、日本に130~210名いると推測されている(1)。ある文献では、3歳から11歳の間に足を10回、腕を2回骨折し、学童期に歩けなくなった事例が報告されている(2)。怪我をしても本人は気づかないため、家族が毎日体をくまなく調べ、骨折や皮膚の傷がないかどうかを点検しているという。本人にとっても周囲の家族にとっても、対処の難しい、つらい病気だ。

実は、痛みに対する感覚が鈍くなることで、傷を悪化させてしまう病気は他にもある。例えば、糖尿病はその1つだ。糖尿病が悪化すると、「糖尿病性神経障害」と呼ばれる末梢神経の障害が起き、痛みに鈍感になる。特に問題となるのが、足の傷である。

痛みの感覚が鈍くなると、足先に小さな傷ができても気づきにくい。足先は普段から視界に入りにくく、視覚的にも認識しにくい。糖尿病が悪化すると、免疫の機能が低下して感染症への抵抗力も落ち、傷は容易に感染する。痛みを感じにくいことと相まって、ますます傷の状態が悪化する。

こうした過程で足が腐ってしまう状態を、「足壊疽えそ」という。糖尿病の患者に起こりやすい重大な合併症で、救命のために足の切断が必要になることも多い。糖尿病になると、足の切断を受ける可能性が30倍上がるとも言われる(3)。

こうした事例からも、自らの身を守る上で痛みは必須の感覚だと言える。

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ヤナギから生まれた「薬」

私たちにとって痛みが大切であるとはいえ、その不快な感覚によって生活の質が損なわれるのもまた事実だ。どうにかして痛みを軽くすることはできないか。実は紀元前から、この難題に医学は挑んできた。

かつて、痛みを抑えるために使われた植物の一つに、ヤナギがある。その歴史は、2000年以上前にさかのぼる。古代ギリシャの時代から人類は、ヤナギの葉や樹皮が痛みを抑えるのに有効であることを知っていた。むろん、ヤナギがなぜ痛みに効くのかは、長らく誰にも分からなかった。

1800年代、ヤナギの葉や樹皮から、痛みを和らげる成分が初めて発見される。この物質は、ヤナギの学名「Salix(サリクス)」にちなみ、「サリチル酸」と名付けられた。のちに分子構造が明らかになり、人工的に化学合成できるようになった。長年の間、さながら民間療法のごとく利用されていた植物から、「薬」が生まれたのだ。

ところが、サリチル酸には厄介な欠点があった。胃のもたれ、吐き気などの不快感を起こしたり、胃潰瘍を生じたりする副作用があまりに多かったのだ。こうした副作用を何とか軽減できないか。1890年代、ある研究者がこの難題に着手する。

1863年、ドイツの実業家フリードリヒ・バイエルと、染物師のヨハン・フリードリヒ・ヴェスコットが、ライン川に程近い街バルメンに染料工場を設立した。のちのメガファーマ、バイエル社の原点である。

当時この地域では、植民地での綿生産に支えられ、布を染める化学染料の合成が盛んに行われた。この化学合成の技術は、のちに製薬産業の発展につながった。こうした背景から、ライン川沿いの街には世界的に有名な製薬企業が多い。バイエル社も、その一つである。

バイエル社は、1888年に医薬品部門を創設し、様々な薬の研究を行っていた。そうした中、サリチル酸の改良に着手した研究者が、フェリックス・ホフマンである。ホフマンの父は関節リウマチを患い、関節痛に悩まされていた。サリチル酸の内服で痛みは軽減するものの、副作用による激しい胃の症状が、もう一つの悩みの種であった。

父を副作用から救うため研究に打ち込んだホフマンは、1897年、ついにサリチル酸の改良に成功する。サリチル酸の化学構造を少し変化させた「アセチルサリチル酸」は、痛み止めの効果を維持しつつ、胃への副作用を軽くできたのだ。

1899年、バイエル社は満を持して「アセチルサリチル酸」を発売した。「アスピリン」と名付けられたこの商品は、その後、ギネスブックに載るほど爆発的に売れた。飲むだけで痛みが軽くなる。まさに魔法の薬であった。

その後、同様の効能を持つ様々な痛み止めが生み出された。ロキソプロフェン(ロキソニン)、イブプロフェン(ブルフェン)、ジクロフェナク(ボルタレン)などは、アスピリンと同じ作用を持ち、「非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)」と総称される。

1999年、アスピリンが発売されて100周年を記念し、バイエル本社ビル全体が巨大なアスピリンのパッケージに変身した。ライン川を背景にそびえ立つ高さ120メートルにも及ぶ巨大な箱は、人類にもたらした大きな「効能」を誇るかのように燦然と光り輝き、「世界一大きいパッケージ」として再びギネスブックに登録されたのである。

アスピリン

アスピリン

安全性が高いモルヒネ

ヤナギのみならず、これまで多くの薬が植物から作られてきた。南米の山地に自生するキナの樹皮は、古くから熱病の治療に使われていた。1820年には、その有効成分が抽出され、キニーネと名付けられる。今なお使用される、マラリアの治療薬の原点だ。

そうした植物の一つに、ケシがある。ケシの実の果汁を乾燥させたものが、痛みを和らげ、意識を鎮める作用を持つことは、古代エジプトの時代から知られていた。これがアヘンである。

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