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塩野七生 ユーモアがない人 日本人へ229

文・塩野七生(作家・在イタリア)

明治20(1887)年、『浮雲』の刊行が始った。著者の二葉亭四迷はいまだ23歳。はしがきで堂々と、言文一致を宣言してのスタートである。

同じ頃、25歳の鴎外はドイツに留学中。20歳の露伴は定職を放棄して帰京したものの、処女作すらない時期。漱石や紅葉に至っては、一高在学中の身。ゆえに江戸文学を脱して新しく明治の文学を創造するとした二葉亭の仕事は、かかげた目標といい、実践する当人の年頃といい、発表の舞台といい、これ以上はない状況でのスタートであったはずである。

ところがこれが、3年も苦労した末とはいえ未完で終る。そしてその7年後、今度は読売新聞紙上で『金色夜叉』の連載が始るのである。その年の紅葉も、すでに多くの作品を書いていたとはいえ、年齢ならばまだ30歳。彼もまた、『浮雲』は読んでいたにちがいない。『浮雲』と『金色夜叉』は、いくつかの点では似ているが、他の面では似ていないからである。

似ていることならば主人公の設定。『浮雲』の内海(うつみ)文三も『金色夜叉』の間(はざま)貫一も、維新によって没落した旧士族の生れで、文三は叔父の家に寄宿し、貫一のほうもかつて彼の父親に世話になったことを忘れない人に引きとられてその家で育った、ということになっている。しかも文三の寄宿先にはお勢(せい)という名の娘がおり、貫一が育った家には宮(みや)がいる。また、文三とお勢、貫一と宮、の2組とも両家の親たちには、いずれは夫婦にとの暗黙の了解があったことでも似ているのだ。ただし似ているのはここまでで、それ以外となると相当にちがってくるのだが。

ちがいの第1は、2人の若者の住む環境。貫一の住む家は中流でも上のようなのに、文三の寄宿先は中流の下の感じ。このちがいは、登場人物たちの会話の品度(ひんど)にモロにあらわれている。第2のちがいは、一高から東大へというエリートコースを邁進中であった貫一に比べて、文三のほうは下級公務員さえクビになった失業の身。さらに加えて、気品の漂う美男の貫一に対して、『浮雲』の主人公のほうは、その辺にゴマンといるタイプ。異性はおろか同性の注目もひかない容姿に留まらず、気の利いた会話さえもできないのが文三という男なのだ。

女の方もちがいがありすぎる。宮は、同性とはつるまない性質(たち)の気位の高い女だが、お勢となると浅はかなバカ娘でしかない。それでも小ずるいところはあるので、相手が女となるとなおさら臆病になってしまう文三の胸に、波風を立てるぐらいはやるのである。これでは喜劇にするしかないと思うが、二葉亭には、軽妙なユーモア小説にする気などは浮んでもこなかったろう。

「一枝の筆を執りて国民の気質風俗志向を写し、国家の大勢を描き、または人間の生況を形容して学者も道徳家も眼のとどかぬ所に於いて真理を探り出し、以て自ら安心を求めかねている衆人の世渡の助けともならば」が、小説の理想と考えていた人であったのだから。しかもそれを、日本では誰も試みなかった言文一致で、現実化しようというのである。意図どころか、壮図とも言うべき実験であった。

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