林芳正「同志を募り、手を挙げる」
「ポスト岸田」“本命”が明かす政権構想。/文・林芳正(外務大臣)
林氏
「イマジン」の演奏で国際会議デビュー
――2021年12月12日(日本時間)、外務大臣に就任されて初めてのG7の外相会議でジョン・レノンの「イマジン」をピアノで演奏され、個性的な国際会議デビューを果たされました。
林 そうですね(笑)。すこし前に、米国のブリンケン国務長官と電話会談をしていたのですが、彼もバンドでギターを弾いていることを聞いて、G7が開かれるリバプールでは音楽の話もしたいね、と話していたところでした。
そのリバプールでの夕食会がたまたま「ビートルズ・ストーリー博物館」で開かれた。私は中学生の頃、レコードが擦り切れるほど、ビートルズを聴いていた口ですから、感激しました。ジョン・レノンのための展示室には、あの丸眼鏡が保管されていたり、ジョン・レノンが「イマジン」を弾いた白いピアノのレプリカが置いてあったりして……。
その部屋で記念撮影することになり、ブリンケン長官や英国のトラス外相から、「ヨギー(林氏の愛称)、君がそこに座ったらいいじゃないか」とピアノの椅子を勧められ、博物館の方からも「弾いてもいいよ」と言われたのです。
――「イマジン」は、国境のない世界を想像して平和を祈る歌ですが、奇しくもウクライナとロシアが国境をめぐって一触即発というタイミングでした。
林 ビートルズ解散後、ジョン・レノンは平和を願うメッセージソングづくりに熱量を注ぎますよね。あの時代もまさに今と同じように数多くの紛争があって、ジョン・レノンはそれに対する平和の呼びかけをしていた。私も大好きな楽曲です。
ただ、私が「イマジン」を弾いたのは、ジョンが「イマジン」を弾いたピアノのレプリカだったから。もしポール・マッカートニーが「レット・イット・ビー」を弾いたピアノだったら、「レット・イット・ビー」になっていたでしょう(笑)。
「お経答弁」の理由
――123人の記者による本誌アンケート投票で、林大臣は31票を獲得し、「次の総理候補」のトップという結果でした。しかも2位とは13票差をつけての圧勝です。本誌昨年11月号のインタビュー記事のタイトルは「次の総理はこの私」で、まさにその通りの結果となりました。
記者からは「6度目の閣僚就任でオールラウンドプレイヤーの政策通」といった意見や、「判断や発信力に安定感がある」との評価が多く寄せられました。この結果をどのように受け止めますか。
林 正直いって驚きました。私は、記者の皆さんとお話ししても、記事になるようなことをほとんど口にしないので、彼らにとっては「難物」扱いで、評価が低いだろうなと思っていました。政治家を間近に見ている記者からそうした評価を受けて、大変光栄ですし、嬉しいです。
――昨年10月に衆議院への鞍替えを成し遂げたことも評価されました。山口3区をめぐる河村建夫氏との公認争いに勝ち、「足りないと見られた決断力、胆力を示した」と。
林 これまで「政局は不得手」と何度も指摘されてきましたし、自分でも「夏休みの宿題になっている苦手分野を克服しなくては」と冗談交じりに言ってきました。
今回の鞍替えを振り返れば、地元の支援者が熱い気持ちで支え続けてくださったおかげです。それに尽きますね。
――記者アンケートでは厳しいコメントも寄せられています。
「自信過剰なところが鼻につく」「大衆を惹きつける情熱や魅力に乏しい」「官僚答弁の読み上げが目立つ」などです。こうしたマイナス評価についてどう捉えていますか。
林 もちろんご批判については甘んじて受けるつもりですし、反省すべき点は今後の課題としたい。ただ答弁について申し上げると、大臣など政府の役職に就いている時は、お話しできないことが多々ある。我々は「お経」と呼んでいるのですが、全く同じ答弁を繰り返さなければいけない局面もあるのです。
小渕恵三内閣で大蔵政務次官だった頃、為替相場が急激に変動し、「為替介入はしないのか」と、よく質問されました。そのたびに、「為替は経済のファンダメンタルズを反映しており、安定的に推移することが望ましい」という答弁をずっと繰り返しました。
野党やマスコミから「質問に答えていない」と批判されましたが、言い方を少しでも変えると別の意味合いが生じる恐れがあった。だから約20年経った今でも、正確に諳んじられるほど繰り返したのです。
第2次安倍政権で、TPP交渉の担当でもあった農水大臣時代も、似たような状況がありました。答弁を少しでも変えれば交渉の進捗について憶測を呼びかねず、やはり「お経」になりました。
小渕恵三
「ギインズ」解散危機?!
――「政治家は言葉が命」とも言われますが、そうした観点で理想とされる政治家はいますか。
林 宮澤喜一元首相が大蔵大臣の時に政務次官として仕えましたが、宮澤首相は押さえるべき点を踏まえた上で、歴史を織り混ぜた答弁をされていた。そばで引き込まれるように聞いていた記憶があります。やはり先の大戦を経験され、政治の修羅場をくぐり抜けたからこその説得力が備わっている。私などは比べるべくもありません。
――現在、林大臣は、宏池会において岸田文雄首相に次ぐナンバー2のポジションですが、今回のアンケートでは「本気で支える仲間がいるのか」「人の和に不安がある」と支持基盤を不安視する見解もあります。将来、首相になった際、自分の下で働いて欲しいと思うような若手議員はいますか。
林 総務会長の福田達夫さんはその一人です。2019年に「量子技術推進議連」を立ち上げた際、大野敬太郎さんと共に事務局長を務めてくれました。また私が行政改革推進本部の事務局長の仕事をしている際にも熱心に仕事に取り組んでくれた仲間もいます。名前は挙げませんが、宏池会の中にも、優秀な若手はたくさんいます。
――首相を目指す上で、さらに仲間を増やすことが必要ですよね?
林 派閥のメンバーと議論を続けるだけでなく、色んな勉強会を続けています。たとえば総務大臣の金子恭之さんが事務局長となって、派閥を横断した勉強会を作ってくれました。金子さんは、2012年、総裁選に私が初めて挑戦した際の推薦人の一人です。
私は酒を飲み交わしてわいわいと議論するのが好きなので、コロナが感染拡大する以前は、当選同期や一緒の誕生日の議員同士など、さまざまな会合を開いてきました。
福田氏
―― 自民党の国会議員による4人組バンド「ギインズ(Gi!nz)」の活動もその一つですか。
林 こちらも、コロナの影響で2年近く練習ができていません。いつもなら年末のライブに向けて仕事後にスタジオに集まるのですが、本番のライブ自体、開催できないのです。
――ボーカルの小此木八郎さんが昨夏、横浜市長選のために議員辞職しました。
林 実は、解散の危機が一時、囁かれていました。ただ、浜田靖一さん、松山政司さん、小此木さんと私はかけがえのない仲間です。この4人で続けようと、結束を確かめ解散危機は何とか脱しました(笑)。
――また党内支持を広げる意味で、派閥をどう運営するかは非常に重要なポイントになります。今後の宏池会ではどのように議員を増やしていきますか。
林 宏池会は、池田勇人元首相が設立されて以来、時代に応じた現実的で最良の政策を選択する伝統があります。そうした先輩の一人、大平正芳元首相が説いたのが「楕円の理論」です。
自民党は、楕円形のようなもので、常に中心が2つ存在する。それぞれの中心が反発、緊張しながら均衡を保ちつつ、1つの楕円に収めていくことが大切だと。つまりタカ派やハト派など色んな考えが反発し合いながら、共存することで調和がもたらされるという考えです。そんな宏池会の伝統を受け継ぎながら、考えを共にする同志を募っていきたいと思います。
大平正芳
2つがねじれて強くなる
―― 自民党内には宏池会を源流とする派閥が3つありますが、麻生派、谷垣グループを結集する「大宏池会構想」の実現可能性は?
林 私が初当選の頃、まだ分裂しておらず、河野洋平先生、麻生太郎先生、谷垣禎一先生が宏池会で並ばれていた記憶が鮮明に残っており、本来、宏池会は一つだという思いもあります。
10年ほど前に、逢沢一郎さん(谷垣グループ)と岩屋毅さん(麻生派)と私の3人で勉強会を開いていたことがありました。「大宏池会を目指す会」と名付けこそしませんが、大宏池会を少し意識していました。派閥を問わず、首相や官房長官を経験された先輩を招き、話を聞く会合です。
とりわけ印象的だったのは、河野洋平先生のお話でした。河野先生はこうおっしゃいました。
「自民党はリベラルの旧自由党系(宏池会、平成研)と保守の旧日本民主党系(清和政策研究会)の2つが、1本の縄のように固くねじれて1つの太い縄になっている、それが強みだ」
これは、大平元首相の「楕円の理論」にも通じるところがあると感じ、重く受け止めました。
中国とどう向き合うか
――首相に就任する際はどのようなビジョンを掲げますか。政権構想をお聞かせください。
林 いま外務大臣として岸田政権を支えることが私の立場であり、ちょっとお答えしづらいですね。ただ「着実で穏やかな経済成長こそが最大の安全保障である」というビジョンを掲げています。
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