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”東大女子”のそれから|#2 里美さん(仮名、元会社員)

日本の大学の最高峰「東京大学」に初めて女子が入学したのは1946年のこと。それから74年――。本連載では、時代と共に歩んできた「東大卒の女性たち」の生き様に迫ります。第2回は、元会社員の里美さん(仮名、2007年、教育学部卒業)にお話を伺います。/聞き手・秋山千佳(ジャーナリスト)

★前回はこちら。

――現在はまた東大にいらっしゃるんですね。

 里美 大学院の教育学研究科に在籍しています。2007年に教育学部を卒業して一度就職し、働きながら放送大学で修士を修了して、博士課程で東大に戻った形です。

――会社員を辞めたのはいつですか。

 里美 東大の大学院に入る直前です。学校で使う資料集やワークブックを作る会社に勤めて、編集の仕事をしていました。

――なぜ教育分野を志したのかを振り返ってもらいたいのですが、ご出身は。

 里美 首都圏近郊の文教地区です。研究者が多く住んでいる地域でしたが、私の父は建物の空調設備を見るような仕事をやっていました。母は保育士でしたが、結婚と同時に専業主婦になり、後にパートをするようになりました。あとは年子の妹がいます。妹は東北大学卒です。

 私の育った学区は、方言で喋っている昔ながらの地域と、道路を一本挟んで後から作られた文教地区の部分があって、後者には公務員の官舎などがありました。私の実家は民間の普通のアパートで、両者のどちらでもないような位置でしたが。

――幼少期から頭の良さが際立つ子だったんですか。

 里美 そんなことはないと思います。土地柄か、周りにすごく優秀な人がいましたから。

――通知表の成績がオール5とかは?

 里美 中学校の時はそうだったと思いますが、自分ができるという感覚は伴わなかったです。周りにいろんな分野で突出した能力をもつ人たちがたくさんいたので。

――その地域独特の環境がなせることかもしれませんね。

 里美 そのような環境で育ったことが、後に教育社会学への興味につながったと感じます。同じ学校に通っている子でも、通り一本隔てて社会的な階層が異なるわけですよね。物事に異なる興味の抱き方をすることとか、それは親から子への働きかけに影響されていることとかを、大学入学後に意識するようになった。優秀な人が多かった一方で、中学くらいになると勉強についていくのが難しそうな人もいましたから。授業中、教室に入らず廊下で過ごしていた子が「めだかの学校」のフレーズで「そっとのぞいてみてごらん」と歌いながら教室を覗いていたことがあったんです。彼にとってあの空間は覗く場所だったんだ、と後から胸がキリキリしました。

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――住んでいた地域の外の世界に出たのは高校からですか。

 里美 はい、バスで1時間ほどの県立高校です。

――東大を目指そうと思ったのは。

 里美 進学校は成績や偏差値で進路を選ばせる傾向がありますよね、それに何となく乗っただけです。なぜ東大なのか、と深く掘り下げることなく決めました。両親とも高卒で、数ある選択肢の中からどれを選べばいいのか、基準がよくわからなかったというのが正直なところです。

――予備校は。

 里美 行っていないです。受験勉強に使ったのも学校の教科書や過去問くらいで、対策が頓珍漢だった。模試の判定はずっと悪かったんです。筑波大なら大丈夫だけど、文Ⅲ(東大文科三類)だとE判定。普通はその間で選ぶと思うんですけど。それがやがて後悔につながるのですが。

――大学はどこを受験したのでしょう。

 里美 早稲田の政治経済学部を受けて落ちて、上智のどこかの学部も不合格でした。これで東大がダメだったら浪人決定というところで、父が「女のくせに浪人なんて」と言い出したんです。父の中のジェンダー観みたいなものが初めて私に向けられて、え、どうしようと。

――それまでは、女のくせに東大なんか受けて、とかは。

 里美 言われなかったです。だけど受からなそうだとなると、身のほども知らずに、とか。それまで全然大学受験に関わっていないのに、突然言われたので、反発心が起こって。合格した時には父も喜んでいましたが、見返してやったぞ、とはうっすら思いましたね。

――お父さんは教育熱心だった?

 里美 小学校のマラソン大会を見に来たりはしていたので、子どもに無関心だったとは思いませんが、教育熱心というタイプではありませんでした。小学校の途中から高校まで、英語と数学は公文に通いましたが、それ以上教育に投資するお金や気持ちはなかったんじゃないですかね。こんな状況で文Ⅲに前期で現役合格したのは、まぐれだったと思います。ただ、大学入学後に苦労することになりました。

――どういうことでしょうか。

 里美 平たく言うと、落ちこぼれました。講義を聞いていて、話のポイントがわからない。英語も適当に済ませてきた部分があって、教科書が難しくて読めない。レポートも何を書いたらいいかわからない。自分だけ点数がとても悪くて恥ずかしいけど、どうしていいかわからない状態が生じました。幸い友達がたくさんできて、友達が書いているレポートを横から見せてもらった時に初めて、私だけ気持ちを書くようなものを書いてしまっていると気づいたんです。何かを論じるのはライティングの基本ですよね。自分だけそれができていなかったというのがとてもショックだった記憶があります。

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