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部落解放同盟の研究(6)探偵が明かす「結婚調査」の手口 西岡研介

戸籍を元に現場調査した上で、100万円の「地名総鑑」で照合──。/文・西岡研介(ノンフィクションライター)
★前回を読む。

八士業による戸籍の不正取得

「自分の戸籍(謄本)が、他人に取られたかもしれない……」

兵庫県姫路市に住む40代(当時)の男性が、姫路警察署を相談に訪れたのは、2020年4月3日のこと。きっかけとなったのは、その数日前、近くに住む元妻からの電話だった。

「ウチの近所で、あんたのこと、聞き回ってるやつがおるんやけど」

元妻からの一報を受けた男性が、彼女の自宅に駆けつけると、その周辺で聞き込みをする、見ず知らずの男を見つけた。捕まえて問い質すと、男は、男性や元妻の氏名だけでなく、家族構成まで知っていた。

不審に思った男性が、姫路市役所に照会したところ、戸籍が、栃木県宇都宮市の行政書士(当時50)に取られていたことが分かったという。

男性からの被害相談を受け、兵庫県警は捜査を開始。翌21年8月、探偵業者の依頼を受け、他人の戸籍謄本などを不正に取得したとして、戸籍法違反などの疑いで、この行政書士を逮捕した。

戸籍法では、本人または配偶者、および直系の親属にしか戸籍謄本の取得が認められておらず、第三者が取得するには委任状が必要だ。しかし、弁護士や司法書士、行政書士など「八士業」に限り、正当な理由があれば、戸籍謄本などを取得することができる。その場合でも、請求者はその目的、依頼人の氏名などを明らかにしなければならない。

前述の男性のケースでは、大阪市内の探偵事務所K社から依頼を受けた行政書士が、姫路市役所に「遺言書の作成」などと虚偽の目的を記載し、男性の戸籍謄本や住民票を取得した。だが、実際には、男性の身辺調査に使われていたのだ。

男性は当時、女性医師と交際していたが、医師の母親が2人の交際を不審に思い、K社に身辺調査を依頼。K社は、前出の行政書士に戸籍などの取得を発注するとともに、探偵を派遣した。元妻の自宅周辺で捕まった男は、K社の下請けの探偵だった。

兵庫県警の調べによると、行政書士は2015年4月ごろから、身辺調査や浮気調査などをしている探偵業者に対し、1通2万~4万円の手数料で、不正に取得した戸籍謄本などを提供。約6年間で、3500通以上を請求し、7000万円以上の報酬を得ていた。この間、行政書士に、戸籍や住民票などの取得を依頼していた探偵業者は、全国で55社にのぼったという。

行政書士はその後、戸籍法違反などの罪で略式起訴され、罰金100万円の略式命令を受けた。逮捕後、県の処分を受け、その登録が抹消された。

「今回の事件で、『プライム事件』から10年経っても、八士業による戸籍の不正取得や、それに基づく身元調査がいまだに行われていることが明らかになりました。現行法では、身元調査自体は違法ではない。探偵業法も身元調査自体を禁じているわけではない。それが、この種の事件が後を絶たない原因だと思います」

こう語るのは、部落解放同盟兵庫県連合書記長の橋本貴美男(72)だ。

部落解放同盟がなぜ、「身元調査」を問題視するのか。それは、身元調査の背景に、部落や民族、障害などに対する様々な忌避意識が存在し、その調査結果の多くが、結婚や就職における差別に使われてきたからだ。

そして、橋本のいう「プライム事件」とは、2011年に摘発された、戸籍をはじめとした個人情報の大量不正取得事件のことである。

「差別の商人」と呼んでいます

2011年11月、愛知県警は、東京都千代田区の調査会社「プライム総合法務事務所」の代表ら5人を逮捕した。暴力団関係者の依頼で、捜査幹部の戸籍や住民票を不正に取得した戸籍法違反などの容疑だった。

5人は、2008年から3年にわたって、司法書士らの名義で、約1万件の戸籍謄本や住民票を取得していたという。

この事件が端緒となり、調査会社や探偵による、個人情報の大量不正取得が摘発されることとなる。最終的に起訴された被告は28人にのぼり、一連の事件は、端緒となった会社の名前から「プライム事件」と呼ばれた。

この「プライム事件」の核心は、経営者ら8人が逮捕された名古屋の調査会社A社だった。探偵業界で、A社は「情報屋」と呼ばれ、不正に取得した個人情報を売買する探偵や興信所が集う巨大な闇のネットワークを構築していた。当時、全国の探偵や興信所からの個人情報に関する依頼はすべて、A社に集まったといわれるほどだった。

前出の橋本が再び語る。

「解放同盟としても、このプライム事件には、関係者の公判を継続的に傍聴するなど、組織をあげて取り組みました。というのも、この事件で身元調査の実態が改めて明らかになったからです」

プライム社が3年間で、不正取得した戸籍謄本などは約1万件に及ぶが、そのうち愛知県警幹部など警察関係者に関するものはわずか2件。ほとんどが、身元調査や、浮気調査に用いられていたという。

実際、プライム社の代表は公判で、「お客さんの依頼の85%から90%が、結婚相手の身元調査と浮気の調査だった」などと証言した。

また一連の事件で逮捕された元行政書士は、上申書の中で、身元調査の依頼者について、「明治時代から続いてきたような調査を求める人が多い」と述べている。これが、部落出身者を対象にした身元調査を意味することは言うまでもなかろう。

橋本が続ける。

「プライム事件では、戸籍をはじめとした個人情報の不正取得が一大ビジネスになっている実態も明らかになりました。プライム社の代表は5年間で1億5700万円、名古屋のA社は12億7000万円を荒稼ぎしていました。私は、彼らのように差別を商いにしている人たちを、『武器商人』になぞらえ、『差別の商人』と呼んでいます」

部落地名総鑑事件の衝撃

部落解放運動の歴史はすなわち、身元調査や戸籍制度に対する闘いの歴史といっていいだろう。それは100年前に結成された、解放同盟の前身、「全国水平社」の時代にまで遡る。

明治時代に入り「賤民廃止令」が出され、それまでの身分制度が公に撤廃されたにもかかわらず、明治5年に編製された壬申戸籍には、「元穢多」や「新平民」などの差別的な記載が残されていた。

このため、1922年に創立された水平社は、こうした記載の謄写禁止を求める運動を推し進めたが、その後も壬申戸籍をもとにした部落差別は続いた。

戦後、水平社の後身である部落解放同盟は、壬申戸籍の閲覧禁止を求める運動を展開。これを受け、法務省は1968年、同戸籍を閲覧禁止にするだけでなく、全国から回収した。また明治19年に移行した新様式の戸籍についても、除籍簿の閲覧要求を拒否する条例を制定する自治体も出てきた。

そんな折、部落差別の根深さを象徴する事件が発覚する。

「部落地名総鑑事件」である。

1975年、全国約5300の被差別部落の所在地や戸数、主な職業などが記載された図書が、興信所などによって密かに作成され、企業や個人に高額で売買されていたことが、部落解放同盟の調査で判明した。「全国特殊部落リスト」や「同和地区地名総覧 全国版」など、少なくとも10種類の存在が確認されており、これらを総称して「部落地名総鑑」という。

行政書士は「私も被害者」

これらの差別図書は、1935年に内務省が被差別部落の実態を調査し、翌年にまとめた報告書「全国部落調査」を基に作成されたものといわれているが、購入した企業や個人の目的は、採用や結婚の際の身元調査だった。購入者は大企業を中心に、大学や個人など全国で220以上に及んだ。当時、第三者でも閲覧、取得が可能だった他人の戸籍と地名総鑑を照合し、被差別部落出身者を採用や結婚相手から排除してきたのである。

解放同盟は全国で大規模な糾弾闘争を展開し、国会でも取り上げられるなど、大きな社会問題になった。

この事件を機に1976年、国は戸籍法を改正し、第三者が他人の戸籍を閲覧、取得することができなくなった。すると、今度は住民票から本籍を調べ、身元調査を行う事件が続発する。このため国は1985年、住民基本台帳法を改正し、住民票の自由閲覧も禁止されたのだ。が、それらの規制から除外されたのが前述の八士業だった。

そして、この八士業による戸籍や住民票の不正取得、それらを基にした差別的な身元調査が横行していることが表面化したのが、プライム事件である。さらに、現在でも身元調査の需要が減っていないことを証明したのが、冒頭に記した行政書士による戸籍不正取得事件だった。

この行政書士は本誌の取材に次のように答えた。

「そもそもこの事件は、K社が起こしたもので、私も被害者だ。K社は、通常の行政書士業務の依頼であるかのように装い、私に戸籍などの取得を依頼してきた。K社が私に告げた戸籍取得の理由は『生前贈与の協議請求』というもので、最終的には私とK社の依頼者を仲介するという話になっていた。だが全部、嘘だった。

これらの戸籍や住民票が、身辺調査に使われていたことなど知らなかった。警察にもそう説明したが、突然、逮捕された。裁判で争うのも時間や費用がかかるので、『悪用されるのは薄々分かっていた』ということにして、罰金刑を受けただけだ」

だが、この行政書士は前述の通り、2015年4月ごろから、知り合いの同業者からの斡旋で、探偵業者向けに戸籍や住民票を取る仕事を始め、全国の探偵業者にファックスを送るなどの営業も行っていた。その結果、約6年間で、3500通以上を請求し、7000万円以上の報酬を得ていた。

行政書士は「新聞には、3500通すべてが不正取得のように書かれたが、実際は違う。不正取得は一部に過ぎない」などと反論するが、仮に「一部」だとしても、不正取得が許されるわけではない。

身元調査のニーズは減らない

探偵業のK社社長にも話を聞いた。

「宇都宮市の行政書士に、戸籍や住民票の取得を依頼したのは事実ですが、騙したわけではありません。そもそも、戸籍の請求理由を『生前贈与の協議請求』としたのも、依頼人の名義を第三者にしたのも、彼のアドバイスに従っただけで、彼の言い分こそ嘘です。彼に不正請求を依頼したのは悪いことですが、調査対象の現住所や生年月日、家族関係を確実に特定するとなると、それしか手段がない時もあるんですよ。

今回の件は、お世話になっている弁護士から『自分の顧客が、娘さんの結婚問題で困っている。騙されている可能性もあるので、相手の身辺調査をしてくれないか』とお願いされたのが始まりでした。しかし、調査しているうちに、どうしても公的な書類(戸籍や住民票)が必要になって、彼に依頼したというわけです」

ちなみに、K社の社長は事件当時、「一般社団法人 大阪府調査業協会」の会長を務めており、同協会は〈部落差別調査等をなくすための自主規制の取り組み〉を謳っている。事件後、探偵業の廃業届を大阪府公安委員会に提出するとともに、調査業協会の会長からも退いたという。

「確かにプライム事件で多くの士業や探偵は、戸籍の不正取得や身元調査から身を引きました。ただ、あの事件があったからといって身元調査のニーズが減ったわけでない。だから、カネに困っている士業や探偵の中には今でも危ない橋を渡ろうとする連中がいる。警察に摘発された士業や探偵はたまたま運が悪かっただけで、氷山の一角に過ぎません」

こう語るのは、愛知県内の50代の探偵だ。

彼は実際にプライム事件発覚まで、前述した情報屋と取り引きがあり、身元調査を行っていた。そんな彼が今回、自らが手を染めていた「結婚調査」の手口を詳らかに明かした。

彼が、探偵の世界に足を踏み入れた当時(1980~90年代)、結婚相手の身元調査は、今より頻繁に行われていた。彼が所属していた興信所の、結婚調査の「標準コース」では、次の6項目を調べたという。

(1)金銭(相手の資産と借金。本人はもちろん、親まで調べる)

(2)反社(現在でいうところの反社会的勢力、特に暴力団の企業舎弟との付き合いの有無)

(3)懲罰(前科・前歴の有無)

(4)宗教(新興宗教に入っていないか)(5)組合(過激な労組に所属していないか)

(6)健康(相手の身内に、障害者や遺伝性の病気を持つ者がいないか)

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