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岩田明子 金正日・正恩との対決 安倍晋三秘録6

「殺されるかもしれない」。命がけで臨んだ拉致問題/文・岩田明子(政治外交ジャーナリスト)

 今から約20年前の2002年9月17日。日が昇り切らず、薄暗さが残る朝5時だというのに、富ヶ谷の安倍晋三邸の前には大勢の記者が詰めかけていた。私もそのうちの一人だった。NHKの政治部記者として安倍番になって、2か月しか経っていない頃だ。

 この日、小泉純一郎総理が北朝鮮を訪問し、最高指導者である金正日との首脳会談に臨む、「電撃訪朝」が予定されていた。官房副長官として同行する安倍の出発を、記者たちは今か今かと待ち受けていたのだ。

 しばらくして、玄関口に現れた安倍は記者たちを一瞥すると、送迎車に乗り込んだ。その時の凍てつくような厳しい表情は今も忘れない。

「北朝鮮で殺されるかもしれない。政治家の妻として、覚悟しておいてほしい」

 実はこの日の出発前に、安倍は妻の昭恵にそう打ち明けている。今回の取材で、初めて耳にしたエピソードだ。過去20年取材した中でも、これほど重い言葉を聞いたことはなかった。

 それまでにも北朝鮮は、外国人の拉致だけでなく、115人もの死者を出した大韓航空機爆破事件など、指導者の命令によって数々の凶悪犯罪に手を染めてきた。そうした国家と対峙するにあたって、安倍は命を懸ける覚悟だったのだろう。昨年7月に安倍が凶弾に倒れた際、昭恵の脳裏に真っ先に浮かんだのが、この「殺されるかもしれない」という言葉だという。

岩田明子氏

「もう一度総理になってください」

 2020年8月28日、安倍が第二次政権の退陣を表明。その際の会見では「拉致問題をこの手で解決できなかったことは、痛恨の極みであります。ロシアとの平和条約、また、憲法改正、志半ばで職を去ることは、断腸の思いであります」と語っている。拉致問題は、安倍が悲願に掲げた憲法改正や平和安全法制の整備、日露交渉と並んで、政治家としての最重要課題だった。

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