スターは楽し 浪花千栄子|芝山幹郎
杉咲花主演の連続テレビ小説「おちょやん」は、大阪を中心に活躍し、名脇役となった浪花千栄子をモデルにした俳優一代記だ。評論家・翻訳家の芝山幹郎さんが浪花千栄子の魅力について明かす。(出典:「文藝春秋」2015年8月号「スターは楽し」)
杉咲花
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文化遺産の玄人芸
浪花千栄子は日本の文化遺産だ。
冗談ではなく、私はずっと前からそう考えている。なんといっても、芝居の真ん中に「技芸の心棒」が通っている。いけずも、ちゃっかりも、腹の黒さも、気っ風のよさも……なにもかもが地金に見える。台詞まわしは逐一書き留めたくなるし、しぐさを編んで名場面集を作りたくなる。素質もあろうが、よほど修練を重ねたのだろう。頭と身体の本気の学習がないと、この玄人芸は身につかない。
浪花千栄子に主演作はない。映画俳優としてあまねく知られた時期も意外に短い。大雑把にいうと、『祇園囃子』(1953)から『華岡青洲の妻』(1967)までの約15年間。もちろんデビューはずっと昔だが、50年代から60年代にかけての浪花は、おびただしい数の映画に出演し、驚異的な高打率を残した。
私の幼いころ、浪花千栄子の顔と名はすでによく知られていた。『鉄腕投手/稲尾物語』(1959)を封切で見た記憶もある。『二十四の瞳』(1954)や『猫と庄造と二人のをんな』(1956)を遡って見たのは、もう少しあと。60年代初めには、オロナイン軟膏のCM(本名が南口(なんこう)キクノ)が有名だった。
浪花千栄子は、1907年、大阪府南河内郡の小さな村に生まれている。キャサリン・ヘプバーンと同い年で、ベティ・デイヴィスより1歳年長だ。そういえば、悪女を演じるときのデイヴィスとは気配が少し似ているが、自伝『水のように』(絶版。復刻が待たれる)を読むと、育った環境は劣悪を極める。5歳のときに母が病没し、小学校へは2カ月足らずしか通わず、9歳で仕出し弁当屋へ奉公に出され、焼芋を包んだ新聞紙を手洗いのなかで広げて文字を覚えたとある。
ただ、劇場へ弁当を届けにいく際、舞台を覗くことはできた。《丸六年間というもの、同じ芝居の同じ幕を》見つづけたことは得がたい体験となる。
20代の浪花千栄子は松竹家庭劇に入って渋谷天外の妻となり、私生活で苦汁を嘗めさせられる。映画の世界で本格的に活躍するのは、離婚の少しあとだ。当然、巧い。『祇園囃子』で演じたお茶屋の女将など、思わず笑い出したくなる。
「なんぼあんた、顔がようても、お金に飽かして家付きの娘さんと太刀打ちしていくのは大変なことえ」
「なにもそんな、ひとりで無理せんかてどなたかのお世話におなりたらどうえ」
「前後の事情察したら、それを上手につとめるのが芸者え。あんた、何年、芸者しといるね」
きりがないから、この辺で止める。「歩く権謀術数」とはこの女将のことだ。長い台詞も捨て台詞も、これ以外にないと思わせるタイミングで耳に飛び込んでくる。緩急自在。間腐(まぐさ)れやつんのめりなどはついぞ見当たらない。
巧さには、このあとも磨きがかかる。『夜の素顔』(1958)では、京マチ子の育ての母に扮し、恥も外聞もない金のせびり方を見せる。「なに、会わんてかいな。えらいおもろいな。会うてくるまで、ここ邪々張(じやじやば)ってたるわ」
『悪名』(1961)では因島を仕切るやくざの女親分を演じ、勝新太郎をステッキで打ち据える。「わたしに逆ろうた人間はな、どういうことになるか、おまはんなら覚悟がついてるはずや」
そして、船場の老舗の遺産相続争いを描いた『女系家族』(1963)では、三女の後見に立って悪知恵をめぐらせる叔母の役。この映画では61年の『小早川家の秋』と同様、中村鴈治郎との絡みが絶妙だ。文化遺産の双璧があの手この手で技芸を応酬する姿は、壮観と呼ぶほかない。とくに『女系家族』で企みを持ちかける大番頭の鴈治郎に対して、「あんた、ただすませへんのやろ」と切り返す浪花の足技には舌を巻く。これほどの玄人芸を等閑視するのは、実にもったいない。どんな形であれ、まとめてさくっと見られる機会があるとよいのだが。
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