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【虚飾のデザイナー小田嶋透事件#2】さっちゃんの証言|伝説の刑事「マル秘事件簿」

 警視庁捜査一課のエースとして、様々な重大事件を解決に導き、数々の警視総監賞を受賞した“伝説の刑事”と呼ばれる男がいる。
 大峯泰廣、72歳――。
 容疑者を自白に導く取り調べ術に長けた大峯は、数々の事件で特異な犯罪者たちと対峙してきた。「ロス事件(三浦和義事件)」「トリカブト保険金殺人事件」「宮崎勤事件」「地下鉄サリン事件」……。
 老境に入りつつある伝説の刑事は今、自らが対峙した数々の事件、そして犯人たちに思いを馳せている。そして、これまで語ってこなかった事件の記憶をゆっくりと語り始めた。/構成・赤石晋一郎(ジャーナリスト)

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【2憶8千万】

 11月16日、事態がいきなり動く。北海道警旭川方面本部から一本の電話が入ったのだ。

「小田嶋からスーツケースを預かっていた女性が当方に任意提出してきました。中身は札束です!」

 届人は小田嶋の高校の同級生だった。西村が失踪してから4か月後、小田嶋は同級生の元を訪ねスーツケースを預けていた。同級生はテレビ報道で小田嶋逮捕を知り、届け出たのだという。

 私は取調べ室に戻ると、あいつを落とすべく熱くなった。

――小田嶋! 旭川の高校時代の同級生が警察に届け出たぞ。おまえの頼んだスーツケースをな。
「……」

――金があったよ。2憶8千万円もな。おまえ仕事もしてないのに、なんでこんな大金持っているんだ。
「黙秘します……」

 小田嶋はどこまでもシラを切り通そうとする。

 だが、少しずつ綻びが見え始めていた。小田嶋は自車のホライゾンに盗んだナンバープレートを付けていたことが判明した。盗難ナンバーを付けた車で、西村を載せて小淵沢までドライブをしていたのだ。ますます怪しい。捜査本部は容疑をナンバープレートの「窃盗」に切り替えて、小田嶋を再逮捕することにした。

 窃盗で更に20日の拘留がついた。この20日内で目の前の詐欺師を落とさなければいけない。取り逃がす訳にはいかなかったーー。

 もう一つの取調室前では、二人の男の揉め事が起きていた。

 市原と加藤雄一(仮名)管理官が口論を繰り広げていたのだ。

「下川を抱っこしろ。甘い調べをするな!」

 “キツネ眼の男”に似た風貌を持ち加藤は、上に弱く下に強いタイプの管理官だった。と。とにかく現場には強権的な態度で指示を出してくることで有名で、しかも机上の空論だったり、感情論で指示を出してくる。捜査の邪魔になると、彼を嫌う捜査員も少なくなかった。

 加藤管理官が命令長で迫る。

「その必要はないですよ」
「共犯の可能性がある。逃げられたらどうするんだ!」
「それはないですよ!」

 市原はムキになって反論していた。

 愛人の下川は市原が引続き取り調べていた。解決を焦る加藤管理官は何かと現場に口を出してきた。

 管理官は捜査一課において課長・理事官に次ぐナンバー3のポストだ。実質的な捜査責任者だ。

 市原は下川と丁寧に人間関係を築き上げていた。「抱っこしろ」とは、下川をホテルなどに住ませ警察の監視下に置けという意味だ。ここで、態度を急変させるのは得策ではないと市原は抵抗していた。

 寺尾正大一課長が仲裁に入り「市原が大丈夫というなら、自宅に帰そう」と取りなした。

 市原の回想。

「刑事はみな寺尾さんを怖れていたけど、その懐の深さに本当に助けられました。下川は律儀な娘で、毎日、朝9時に取調べにきちんと来てくれました。ナンバープレートの窃盗を供述するなど、少しずつ重要な証言もし始めていた。いつからか私は彼女を親しみを込めて『さっちゃん』と呼ぶようになっていました。彼女とは信頼関係ができたという感触がありましたし、筋を通さないといけないという気持ちもあった」

 刑事の義は徐々に愛人の心を開かせていった。

 ある日、下川は新しい重要な供述を始める。事件はここから急展開を見せることになる。

「市原さん! 私、違うことを思い出しました。小田嶋さんが、会社の社員と肝試しをするから下見に行くと、誰もいない山中に連れていかれました。白い布か何かで印をつけていました」

 市原は飛び上がりそうになった。小田嶋は仕事をしていない。会社で肝試しなんてウソだッ!

――さっちゃん! その場所を思出せるかい!
「うーーん。行けばわかるかもしれない。そういえば小田嶋さんの小型リュックにロープとナイフが入っているのを見たこともあります」

――明日一緒に行こう!
「はあい」

 下川はいつもの間延びした返事をした。本人はいたって真面目、不思議なペースを持った女性だった。

 市原は彼女の証言に何かを感じていた。だが現場行きに反対をしたのが、またも加藤管理官だった。

「どうせ同じだよ。振り回されるだけだよ」
と、許可を出さない。これまで下川は捜査員と何回も現場検証をしている。新しい材料は出ない、もう無理だというのだ。

 市原はどうしても承服できなかった。肝を据え、寺尾一課長に直訴をすることにした。

 週一回、捜査本部に顔を出す寺尾を待ち構え、呼び止めた。

「一課長! 下川の様子がいつもと違います。この場所については慎重に話をするんです。私に『引き当たり』をさせてもらえませんか!?」

 引当たりとは、つまり現場検証のことだ。

「そうか。やってみようじゃないか」

 寺尾は即答した。

【死体発見】

 11月21日、市原は東京地検の担当検事、現場鑑識の一個班と共に極秘裏に現場に向かった。

 八ヶ岳の奥のほうへ捜査班を載せたワンボックスカーを走らせる。

 市原が振り返る。

「現場に近づくにつれどんどん下川の顔色が変わっていく。私は迷いました。もしかして加藤管理官の言うように『共犯』なのか、と。しかし共犯なら犯罪が露見するような行動は取らないはず。彼女は小田嶋のことが好きで付き合っていた。でも西村が失踪し、狂言誘拐までする。下川も小田嶋が西村を殺して埋めたに違いないと、覚悟を決めたんだと思いました」

「この辺です」

 下川が指示した場所は国有林の中にある獣道のような細い道だった。

 市原と鑑識課員は車を飛び降り、斜面を進んだ。

 落ち葉に覆われた地面に、わずかに盛り上がった場所があった。誰かが掘り返したようにも見える。

 鑑識課員は検土杖を取り出した。検土杖とは150センチほどの筒状道具で、先が尖っており地面に突き刺し土中のモノを採取できる。

「そーれ」

 鑑識課員が検土杖を地面に突き刺した。腐敗臭がツンと鼻をついた。

「死体だっ!」

 市原が小さく叫んだーー。

【年貢の納め時だな】

 同日、私は苦戦していた。

 私は市原と綿密に情報を交換しながら状況証拠で小田嶋を追い詰めようとした。しかし、小田嶋のどんな証拠を突き付けても、平気でウソの釈明をする。

 旭川のスーツケースについても、こんな話を始める始末だ。

 ――スーツケースの2億8千万円は西村が集めた金だろ。ビニールパックに包まれていたぞ。出資者がビニールパックに包んだ金を西村に渡したと言っている。なんでお前が持っているんだ?
「2月5日、西村からマネーロンダリングを頼まれて実行しました。金を交換しました。おかしいとは思いましたが、頼まれたから」

――お前なぁ、よくもまぁ、次から次へとデタラメが言えたもんだな。

 現金という物証が出て来ても、ペラペラとウソをつく。根っからの性悪だなと私は呆れ返った。

 捜査員から市原が遺体を発見したことは聞いていた。読売新聞は夕刊で、早速「遺体発見」とスッパ抜いていた。

「よしこれを見せてやろう」

 私は夜の取調べで勝負をかけることにした。

――おう小田嶋、年貢の納め時だな。
「どうしたんですか?」

――西村の遺体が出たじゃねぇか。新聞を見てみろ!

 私は読売新聞を小田嶋に突き付けた。あいつは絶句し、その顔色はみるみるうちに青ざめて行った。

「……」

――何が小渕沢で別れただよ。遺体の首にはロープが巻き付いていた。フランスのペアール社製のロープだ。お前が買ったロープと全く同じものじゃねぇか。領収書もあるぞ!
「……」

――お前は、1月29日の行動でもウソをついたな。愛人と別荘に行って、まっすぐ帰ったと。八ヶ岳に行って、林道に目印をつけただろ。そこからホトケが出てきた。下川が話をしたぞ。お前、もう話せよ。どこで西村を殺したんだ?

「ちょっと待ってください。今は言えません。明日、話します」

 小田嶋をとうとう追い詰めた。あいつはウソもつけなくなったのだ。だが、今晩、落とさないとまた飲み込んでしまう可能性が高い。

――だめだ、今日話せ。
「信じてください。明日話します」

――じゃあ、上申書を一筆書け。西村を殺した件は明日話しますと。
「私が全て話したら、紙は破ってくれますか?」

――わかった。破るよ。

 小田嶋は一筆書き、日付時間と署名捺印した。

 翌日、小田嶋は地検聴取の後、弁護士とも会い、取調室にやってきた。

――おう、約束通り話せよ。
「自分が西村を殺して、お金を奪いました」

 どうやら小田嶋は弁護士と接見した時に自供することについての相談をしなかったようだ。

――どこで殺したんだ。
「車の中です。2月5日夜、小渕沢の国道に車を停めて。西村がスタンガンを出してきたので、私は応戦する形でロープを使って首を絞めて殺しました。山中に土を掘って、死体を埋めました。
 死体を埋めた場所は、先の1月29日に下川幸子さんと見に来た場所です。小枝にコンビニの袋で目印をつけておきました。西村さんを殺害したあと、その場所まで死体を運び車のライトを頼りに埋める作業をしました」

 とうとう自白した。

 私は小田嶋に殺しの話をさせ、遺体遺棄した場所の地図を書かせた。 正当防衛を主張するなど気になる部分があったが殺しは認めた。小田嶋の供述をもとに上申書と供述調書を作成し署名、捺印させた。

 裏付け捜査を行い12月6日には、ついに再逮捕まで持ち込んだ。

〈元証券マン殺害・4億強奪で小田島容疑者を再逮捕/警視庁
1996.12.06 読売新聞夕刊
長野県富士見町の国有林内で、巨額詐欺事件で指名手配中の元証券会社員西村秀(まさる)容疑者(当時三十三歳)の絞殺死体が発見された事件で、警視庁捜査一課と渋谷署の特捜本部は六日、神奈川県葉山町のデザイナー小田島透容疑者(39)が西村容疑者を殺害後、約四億二千万円を奪ったとして、強盗殺人と死体遺棄の疑いで再逮捕した。同本部では、一九九〇年十一月、洋酒メーカーの未公開株詐欺事件で、指名手配中の経営コンサルタント荒居修容疑者(36)が失跡した事件についても追及する〉

 だが、これで終わらなかった。

 小田嶋は自白後、一点否認に転じていた。「自白は刑事に無理やり強要されたものだ」と主張し始めたのだ。弁護士と相談し、法廷で勝負する作戦に出ようと考えたようだった。

 だが上申書と供述調書、そして西村の遺体と数々の物証、愛人の証言があいつの殺人を証明していた。

 12月28日に小田嶋は〈強盗殺人、死体遺棄〉の罪で追起訴された。

 捜査一課では起訴祝いをすることが通例だ。立食で軽くビールを飲んで、捜査員の労を労うのだ。

 私は寺尾一課長と話し込んでいた。

――課長、荒居の件はどうしましょうか。荒居まで殺したとなれば奴は死刑です」
「小田嶋は荒居のことまでは吐かないだろう。弁護士にも二件やったら確実に死刑になると言われているはずだ。大峯はここで捜査から外れろ。ごくろうさん」

――わ、わかりました!

 私は少し戸惑った。あいつをトコトン調べあげたい気持ちはあったからだ。だが一課には解決すべき事件が他にも多くある。寺尾一課長の指示に背く訳にはいかない。

 私は翌日の捜査会議で、一課長から下命を受け別の捜査に転じることになったことを報告した。

 また加藤管理官が口を挟んできた。

「なんだ大峯、逃げるのか?」

――いや、課長命令だから仕方ないでしょう。
「なんで、最後までやらねぇんだ」

 しつこく絡んでくる。

「峯さん! 加藤のことが嫌なんだろ。そう言ってやれよ!」

 向かいの席に座っていた市原がヤジを飛ばした。口うるさい加藤管理官に辟易していた捜査員たちがクスクス笑っていた。加藤はバツの悪そうな顔をして席に戻っていった。

 私は市原に目配せすると、捜査本部を後にした。

 小田嶋は裁判中も一貫して無実を訴えたが、平成18年(2006年)に最高裁で無期懲役が確定する。

 容疑は西村殺害のみで、荒居の事件は迷宮入りした。悔しい気持ちは残る。犯した罪を全て償わせたかったが、私たちが捜査開始したときには、あまりにも時間が経ち過ぎていた。

 下川は市原に「小田嶋さんの優しいところが好きでした」と言ったという。しかし小田嶋のウソを知るうちに彼女の中で“何か”が壊れていったのだろう。市原の丁寧な仕事がそれを引き出した。

 私にとって小田嶋は、最もやっかいな殺人犯の一人であったことは間違いない。小田嶋は車の中で西村を殺したと供述したが、ルミノール(血液反応)反応は出なかった。恐らくは別荘で殺害したはずだ。小田嶋ほど狡猾で凶悪な男はいない。100%の解決ではなかったが、私は私の出来る仕事をした、と思う。

♪誇りは高しわれらは刑事(*)

と唄ったのは誰だったかーー。

 新橋で夢を語り合った若き日から20年あまり。また、市原と一献傾けたい気持ちに私はかられていた。

(*)©︎大川栄作「刑事」
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