令和06年07月07日には再度、水原さん、と呼びはじめる方のお話。 - The he.-

時は令和06年07月06日午後21時55分。この記事は、このときに続きから再度したためはじめた記事である。しかし、この記事内には暦を多数したためている。そのため、人によっては相当読みにくい形ではあるはずの記事や。何と言っても、暦を複数したためてるからな、当然の帰結や。


……。ただより高いものはなく、読む気のない奴には読まれることなく。そもそも読み手を想定してはいるが、その肝心の想定済みの読み手とは、俺自身をも含め、俺のみの認めた存在のみであり……、こんなものは、いわゆるチラシの裏という代物に過ぎない。

ゆえに、今回は有無を言わせず当人の判断に一切の責任を持たせ覚悟を問うために、無料記事にて公開している。

令和06年07月06日午後23時42分追記:noteの有料記事には最低1円という縛りがあったので急遽予定を変更して今回は結局無料で公開している。金を目的としていない以上は当然の帰結や。


「“その覚悟、試させてもらおう。”」というゼルヒエルオント屈指の台詞をでも……、ここで持ち出すか。


覚悟のない奴へは今回ばかりは当然にブラウザバックを強く推奨する。相当長々と、したためてるんでな。


読む気のない奴は最初から読まん。読む気のない奴が読まんという点においては、新聞と一緒や。

折を見て目次ぐらいは加筆修正しうるものの、今回ばかりは公開前に十分に推敲を済ませたことと後戻りしない覚悟とを大きな理由として一切の手直しを封印する。文章推敲を三度繰り返している。









……。したためはじめたのは令和06年07月03日午後19時20分。この記事を、一番初めに、したためはじめたのは、確かに令和06年07月03日の午後、19時20分や。違うというなら違うで良いが、違うと言うなら何年何月何日の何時何分からなのかについて答えを出せ。


さて、まだまだまだまだ導入部分や。あまりに杜撰な話ばかりを散見するので、防衛のために事前に述懐している。岩下食品の社長相手に不当な攻撃が為されてもいる現状な゙以上、妙な話を一般人である俺相手にでさえ側が飛ばしてきかねないという危険性を承知で、事前に述懐している。もちろん、述懐する上で多数の考慮を為している。


解らないことについて「解りません!」、または、知らないことについて「知りません!」……、などと言う形で無理解や無知を積極的に認めた上で肝心の内容を理解するための情報確認という芸当を為すこと……、という、こんな芸当を為すことなら俺には確かにあるが、基本は俺は話を飛ばす際には自らの記憶から引っ張り出してきており、上辺だけの話を下手に持ち出すことはない。




そんな俺個人から見た、ひまそらあかねさんという方に対する己自身の思うところをも、お載せしている。



令和06年07月07日になってからは、令和06年06月19日以前のように水原さんとお呼びする腹ではある。というか、むしろ、早く令和06年07月07日になってくれんか。

……。ひまそらさんについては、山津波小僧の一件を皮切りに知ったので、ひまそらさんと呼ぶにもひまそらあかねさんとも呼ぶにも実は心理的抵抗が強くあり、また、事あるごとに実名を持ち出していらっしゃるどころか著書においては普通に載っている情報である上に、YouTube上での著名人との対談時においてでさえ呼び方に迷う人に実名で呼ぶことを許容されていることもあって、のみならず、御本人を知った時点で『”「暇空茜」こと水原清晃”』などという悪意の塊な呼ばれ方をされていたので……、個人的には、何が何でも水原さんと呼んできた。こんな呼び方、架空作品の登場人物辺りにしか使わんわ俺は(※『ベルモットことシャロンちゃん。』という表現を、言葉の響きの良さゆえに為すことが実際ある。)。


……。「暇空茜、東京都知事選、出・馬!」というスマブラX風味ゆっくり音声を拝聴した令和06年06月20日になるまでのかんは(※今は令和06年07月03日午後19時59分、記録を辿れば令和06年06月20日の午後何時何分なのかでさえもが判明する一方で自らの記憶のみを以て為している記述であるために一旦は時刻を省略しての記述にとどめている。)、水原さん、という呼び方以外を一切してこなかった。

そんな俺が、令和06年07月06日午後23時59分を過ぎるまでの間は、ひまそらさん、あるいは、ひまそらあかねさん、とお呼びすることの意図。この意図は、明白だろう。殺害予告を食らっていてもなお文化芸術を真剣に守る意思で立ち上がった人の活躍の続きを、この目で、生で見たい。これに尽きる。


なんというか……、まさに、「バッチ兄弟に海坊主。」あるいは「マルコジュリアーニに小動物。」または「ニコラロンギに三太夫。」もしくは「物知りねーちゃんに諸葛亮孔明。」……、とでも言ったところ。この段落は、令和06年07月03日午後20時16分に、したためた部分。これは、ひまそらさんになら秒で丸裸にされる慣用句的な代物であると踏んでいる話であり……、「賢者もレミラーマ唱えてメダル集めに奔走するレベル。」という一文を理解するレベルの簡単な話でもある。



とまあ、世間で言うところの暇アノンとかいうやつに当てはまりはするんやろうな。
アノニマスカワードの存在もアノニマスダイアリーの存在も知らん奴に暇アノン暇アノンなどと言われたくもないし、そもそも実名な以上はアノンとやらですらないが。はてはてはてな、どうしたことか、ブックマークに匿名性。

件の暇アノンとかいう呼称がQアノンとかいう表現に基づいてることはおろか、【 Qアノンとかいう表現が『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する代物なことももちろんのこと、 ←間違い。実際にはアメリカの匿名掲示板に由来する。誤解解消時の暦は令和06年07月03日午後22時06分。】アノンとかいう表現がアノニマスという英単語に由来することぐらいは、エヴァを見てなかった俺でも掴めてるが……、

まあ積極的に使う表現ではないよね、と。
むしろ、レッテル貼りを目的に、なんとかアノンなんとかアノン、と連呼してるだけの奴からは、語彙数の乏しさが窺える。
それしか言うことないんかい、と。

エバンゲイオン、発・信!
ガンダブ(※頑打武)、発・信!
コラボマン、発・信!

エバンゲイオン、発・進!
ガンダブ(※頑打武)、発・進!
コラボマン、発・進!

……。ここまで載せてりゃ解る奴には解るとは思うが、俺はスーパージャンプ世代の人間なわけや。男塾は、良いぞ。

隔週購入ではあったが、それでも、あの時期のスーパージャンプに載ってた作品に関連して名前だけでも知ってる作品が多い。たとえば……、そうやな。『狂四郎』『狂四郎2030』とか。

『バンパイア』は、ほんの少し。『ふぐマン』なら、ある程度は追えてたか。細かい部分の話を、あんまり覚えてないが。隔週購入な奴の宿命ってやつで、全部を押さえきれてるわけでもなく。右の角には生け花の、白衣の奴には毒がある。

『ジャングルの王者ターちゃん』ともなると世代が離れすぎてて、これはファミリー劇場かカートゥーンネットワークかアニマックスか何かで稀に見てた程度や。

ドラマ化したタイトルのうち大多数が青年誌や婦人向け雑誌の連載作品でもある。古いところで言えば、『14ヶ月』とか『いのちの器』辺りとか。ここ2つは、フォアミセスってやつに載ってあった。『14ヶ月』は平成10年台にドラマ化されてるし。平成17年か平成18年辺りによ。

スーパージャンプ世代ゆえに、もちろん『DESIRE』も知ってはいるが……、あれは、週刊少年ジャンプ世代に解るように言えば、成人向け版ToLOVEるとか成人向け版いちご100%、みたいなもんなんで、大っぴらにするのもあまりに憚られる代物すぎて若い時分には大して積極的には話題にしてこなかった。何と言っても作品は読み手を選ぶもんやからな。

読みたい本を読み手の意思で読んでいるように見えて、実のところは読み手の認識と読解力とを作品の側がが問うている形やと考えている。

『DESIRE』で言うと、上司……、いや、確か教授か。教授からの着信無視して携帯電話を高所から一心不乱に放り投げて過去との訣別を示すシーンは傑作やろ(※『DESIRE』のRの字は上下逆さになっていて、これを、俺は、真っ逆さまに堕ちていく者を示すものと解釈している。というか、答え合わせのためだけに改めて今検索していて、読み方がディザイアやったことを再認識した。再認識した時点の暦は令和06年07月03日午後20時53分。)。あんな真似は俺には到底真似できない。

ディザイアの他で言えば、『江戸前鮨職人 きららの仕事』も思い出深いし、おしくらまんじゅうの1コマがネットミームとしても有名な 『寿司職人残響伝 啓太の味』 『渡職人残侠伝 慶太の味』も、リアルタイムでスーパージャンプを見ていた身としては非常に印象深い。特にクサイチゴの話は坂巻慶太の幼少期を描く貴重な回で、かき氷の話を抜きに坂巻慶太を語るのは俺としては不覚な真似や。






さて、ここでこうして漫画作品を複数挙げてみたことの意図が複数ある。


この肝心の意図自体は複数あるが、すべてを記しおくとなると、なにぶん時間が足りない。というのも、今や既に令和06年07月06日午後22時15分やからや。この段落を残したのは確かに令和06年07月06日午後22時15分。すべての意図を記すにしても、圧倒的に時間が足りず、令和06年07月06日午後23時59分までは2時間を切っている。そのため、ひとつに絞って載せる。

……。文化芸術への保護と漫画作品との兼合いそのものが非常に重要な部分であり何者も無関係ではいられないことやということをそのもの……、というのが、その意図や。





文化芸術への保護を為すという公約を、ひまそらあかねさんは令和06年07月度の東京都知事選挙において明確に打ち出している。

一方で、表現の自由を守ることとの絶妙な違いについても明確に説明している。のみならず、表現の自由を以て戦い抜く意思を持つ者を妨げる意思がないことについてでさえ言い及んでいる。
この点について結論から言えば、無理からぬ話。この一言に尽きる。

RPGツクール2000サンプルゲーム『Ⅲ』という作品の存在を知っている者としては、表現の自由に文化芸術への保護とは内心複雑な話だが……、無理からぬ話や。ひまそらさんが他の役員からの裏切りにより会社を追われた方だということに加え、会社を相手取っての7年間にも及ぶ裁判の中で蹂躙されてきたゲームクリエイターとしての尊厳の存在をも考慮に入れた上で、文化芸術に対する過激派による昨今の不当な攻撃の数々をも積極的に踏まえて結論付けると……、ひまそらさんが表現の自由を重要視せずにいるのは本当に無理からぬ話でしかない。

完成品には作り手の思想が投影されており、出来上がった代物の内には唯一無二の世界が形成されている。漫画だろうが文学作品だろうが絵画だろうがゲームだろうがシナリオだろうが何だろうが、それこそ会話文の端々に表れる単語単語でさえ作り手の思想の投影品である。

つまり、文化芸術に携わる面子にとっては固有文化や芸術品への件の不当な攻撃が決して対岸の火事ではなく、いつ降りかかっても変ではない災厄であると言える。






と、ここで、このタイミングに、なんでもいいから好きな代物を1つ2つ想像してみてほしい。無論、無理にとは言わんが。



で、その好きな代物が特定の芸能人やとか特定の映像作品やとか特定の書籍である場合に、かつ何の筋合いもなく、不当に、その作品が、迫害されている場合に……、その作品を守ってもらえる保証が一切存在しないこと。この保証の無さは、芸術文化を担う方々にとっては致命的な話としか思えん。むしろ、作品の粗探しをした上で原作を含めた原作者の存在自体をさえ社会的に抹殺しようとする輩という存在を……、俺は、この目で直に確認してきた。

この目で直に確認してきた、といっても……、あくまでも、ネットを介して、という話だが。


そして、ネットを介して見ていても十分に酷かったが、言論人が積極的に作品潰しに加担していくという状況は輪をかけて酷かった。単に本人のみの自己都合のみで気に入らないだけの芸術文化に対して不快感のみを基にネット上で社会的抹殺を図る手合いの存在が、凄まじかった。一介の一般人でさえ把握している以上は、おそらくは大多数の方の記憶に新しいものと推察する。


……。インターネット上には化物が跳梁跋扈している。この一文の意味をさえ理解することなく曲解にのみ走る手合いは、正直インターネットに向いていない。






……。ここらから、ようやく本題に入ってくる。
本題を、端的に身も蓋もなく表すと、「お前ら芸術文化への不当な蹂躙に対する危機感ないんか?」辺り。

この段落を記入したのは令和06年07月06日午後23時02分。令和06年07月06日午後23時59分までは、残すところ、あと本当に、ほんのわずかや。

芸術文化の担い手を脅かす存在は、真剣に、どうでもいい。様々に作られる芸術作品を、俺は見たい。もっと言えば、「様々に作られる芸術作品の世界に触れることで見識を深めたい。」辺りをも含めての話だが。

この記事内にて既に触れてはいるが、RPGツクールサンプルゲーム『Ⅲ』という作品がある。この作品の存在を知らない奴は、実況動画ででもいいからニコニコ動画の復活後に見てみてほしい。

これまた無理にとは言わんが。「あの閉鎖空間における“例の奴”は、非常に厄介な存在である。」とだけは示しておいてやる。

……。ひまそらあかねさんという人を東京都の長に担げるような機会は、令和06年06月20日から令和06年07月07日までのみや。この方の今回の決断には、正直、頭が下がる。行政の長になんて誰がなっても一切何も変わらないだろうというそんな共通認識が音も立てずに崩壊する様子を、真剣に俺は見たい。






……。なんだかんだで、今や令和06年07月06日午後23時07分。令和06年07月06日午後23時59分までは、あと1時間弱が残っている。そやさけ、残りの時間は文章推敲にでも充てるわ。

頭から終いまでを通しで確認している。実際に推敲も済ませた。

というわけで……、この記事を、令和07年07月06日午後23時59分に公開することにした。

というわけで……、この記事を、令和06年07月06日午後23時59分に公開することにした。

令和六年七月拾七日午後弐拾壱時五拾四分【修正】:
さすがに令和06年と令和07年の違いだけは見過ごせないので取消線を以て正しく直してます。これは……、あかん。最悪や……、さいやくお、やな。





正直、相当数の人間には全力で拒絶される記事であると思われる。その危険性が極めて高い。しかし……、それでも、俺は、俺のみの思うところによってのみ形で、この記事を、令和06年07月06日の午後、23時59分の今、こうして公開している。

万一、結果として友人が減ろうがが神経がすり減ろうが嫌がらせを誰かに食らわされようが知ったことか。たとえそうなったとしても、俺には一切関係ない。


……。今は確かに令和06年07月06日の午後、23時59分や。

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