#001:ペットと共に歩む私の物語 - アニマルコミュニケーターへの道
実は、私には「子供の頃からずっとペットと暮らしてきました」とか、「動物に親しんできました」などの経歴はありません。
それでも、ペットとの出会いが私をアニマルコミュニケーターの道へ導いてくれました。
今回は、自己紹介をもう少し深掘りして、ペットやアニコミにまつわる私のバックグラウンドについてお話しさせていただきます。
私のバックグラウンド
さて、私は今40代の半ばなのですが、冒頭で書いた通り、
「子供の頃から動物に触れてきました❤️」
「いつも身近に動物がいました❤️」
という人生ではありませんでした。
父方の祖父母の家には、犬、ニワトリ、亀、猫などいろいろな生き物がいたので、父は動物が身近だったのではないかと思うのですが、私たち子供は、動物とのふれあいはありませんでした。
大人になったある日、当時のことをふと不思議に思って、
「なぜうちでは動物を飼っていなかったのか?」
と父に聞いたことがありました。
するとその答えは、
「母(やがて離婚しましたが)は動物が大嫌いな人だったから」
でした。
そう言われてみれば確かに、母方の祖父母宅やいとこの家でペットを見たことはありません。
私は「なるほど、そうだったのか」と納得しました。
そんなわけで、ペットと触れ合う機会がなかった人生だったのです。
なんなら、昔は(母に似て?)犬猫は得意ではない方だったとすら言えるかもしれません。
数多くのアニマルコミュニケーターさんがいらっしゃる中から、あえて私を選んでいただく背景としては、決して有利に働くとは言えないエピソードでしょう。
しかしそれでも、その後のペットとの出会いが私をアニマルコミュニケーターの道へ導いてくれたのです。
私の遅咲きペット歴
(1) 人生初めてのペット:ジャンガリアンハムスター
初めてペットという動物を迎えたのは18歳くらいのときで、
高校時代の友人宅で生まれたジャンガリアンハムスターでした。
「プリン」と名付けて暮らし始めました。
毎日暮らしているうちに表情が分かるようになってきて、
「ハムスター可愛いなあ」
「プリンが一番可愛い」
「エサを持つ手も可愛い」
などなど、「動物が可愛い」という感情を私の中から引き出してくれた子でした。
(2) ホームセンターの売れ残りロップイヤーからうさぎ沼に突入
プリンが人生を立派に全うしてしばらく経ったある日、ホームセンターのうさぎの販売コーナーが目に入りました。
ここから、私のうさぎ沼人生が始まります。
【1羽目:ロップ】
販売コーナーの中で、白黒模様の耳が垂れている子が気になりました。
ロップイヤーという垂れ耳の種類があるのを知ったのは、この時でした。
その子はだいぶ大きくなっていたからか、2,980円くらいとだいぶお安くなっていて、この子に興味を持ってくれているお客さんもあまりいないようでした。
「この子を連れて帰ろう」と決め、飼育セット一式とともにお迎えしました。名前は安直にも「ロップ」になりました。
【2羽目:ダッチ】
【3、4羽目:シロくん、ぶちくん】
ロップの次にダッチの男の子(この子も同じホームセンターで1年近く売れ残っていた)もお迎えし、
やがて3羽の子うさぎにも恵まれました(子供はこの世代で終わり)。
ダッチお父さんは、子供たちよりも長く、14歳を超えるまで生きました。
介護状態になることもなく、ずっと箱座りしてお昼寝をしている、仙人のような晩年を過ごしました。
【5羽目:ホロンちゃん】
やがて今の夫とのお付き合いが始まり、結婚しました。
夫は、ミニレッキスのホロンちゃんという子と暮らしていて、私を家族に入れてもらう形になりました。
【6羽目:ミロくん】
ホロンちゃんが12歳でお空へ行ってすぐ、市内の動物病院でうさぎの里親募集を見つけました。
夫と相談してお迎えを決め、ミロくんと命名しました。
【7羽目:ミカンちゃん】
私が結婚した年に、実家でミカンちゃんというロップイヤーを迎えたのですが、数年後に父が介護施設に入りました。
お世話をする人がいなくなるので我が家でお迎えし、ミロくんとの2羽体制になりました。
ミカンちゃんは9歳を目前にしたころに地球を卒業しました。
【8羽目:文月ちゃん】
保護うさぎさんのブログを色々巡回する中で、ずっと気になっていた文月ちゃんという子がいました。お母さんうさぎが保護されてから生まれた子です。
関東でお迎えするには遠いなとブログを楽しみにする日々でしたが、ご縁をもらえて我が家に来てくれました。
【9羽目:チャッピー】
文月ちゃんのお迎えからまだ2週間しか経っていない頃、夫の職場の隣にある公園に「うさぎがいる」と目撃情報がありました。
保護して警察に届けましたが飼い主は現れず、我が家はあっという間に3羽の多頭飼いになりました。
この記事を書いている2024年現在は、7羽目〜9羽目の子たちと共に暮らしています。
初めての飼育からそのときそのときで出来る限りの精一杯をやってきたつもりですが、
今思えば、最初のロップ一家の時代には、知識や経験の少なさから間違ったこと(甘い果物やお店で売ってるおやつを与える、ペレットの量を測らずに与える、話しかける頻度が少ない)もやってしまっていました。
どの子も大きな病気をしないでいてくれたのはホントにたまたまなだけで、奇跡としか言いようがありません。
このような苦い経験もありましたが、その結果、今が一番上手くうさぎと接することができていると信じています。
歴代の子たちみんなが、私を成長させてくれる師匠なのです。
アニマルコミュニケーターとしての始まり
私は、受講を決める直前までアニコミのことなど全く知りませんでした。
そして、前述のように子供の頃は犬猫さんに苦手意識があったし、ペットライフも遅咲きでした。
そんな私が「アニマルコミュニケーターとしてデビューしました」と発信しているだなんて、人生とは全く不思議です。
(1) いつの間にか消えていた「苦手」
習性がわからないとか、吠えたり噛んだりの行動が読めないからと、無意識に敬遠していた犬猫ちゃんへのブロックが外れていったのは、
テレビやSNS、そして夫の影響が大いにあるだろうと思っています。
夫は少年時代から犬と暮らした経験があり、犬との思い出を聞いたり、散歩する犬とすれ違ったらアテレコする夫を見たり、
一緒に動物ドキュメントを見るなどしていくうちに、犬猫ちゃんへの謎の怖さみたいな感情はどんどんなくなりました。
また、インターネットやSNSの発達で、飼い主さんが発信するペットの魅力を知る機会が増えました。
自分が子供の頃に見聞きしていた情報量とはケタ違いです。
いつの間にかお気に入りの子ができて、犬や猫の飼い主さんのアカウントをフォローするなんてこともやるようになったのです。
ペットが苦手だった私は、もはやどこかへ消えてしまいました。
(2) うちの子と話せたらゴールだと思っていたのに…
アニコミ実践練習が始まると、講座仲間や知り合いのペットなどを借りて、色々な動物さんと練習することになります。
私はうさぎでたくさん経験を積みたかったので、練習ペットちゃんの募集用にInstagramを始めました。
講座仲間のペットちゃんで練習するときは、やっぱり結果の正解・不正解のところを中心にレビューしますが、
一般のモニターさんからは、感謝や驚きなどの嬉しい感想が中心になりました。
そのようなご感想を読ませていただいてると、自分の中に幸せ・嬉しい・やって良かったな、などの喜びの感情が湧いてくるのです。
アニコミって、飼い主さまやペットちゃんだけではなく、自分もまた癒されるんだということを実感しました。
それならば、わざわざ「うちの子だけと話せればいい」なんて狭い世界のゴールで満足しないで、
たくさんのペットちゃんと飼い主さんを繋ぐお手伝いをしてもっと幸せになってもらって、
私にもその幸せのお裾分けをいただけるなら素晴らしいことじゃないか、
と考えを改めました。
こうして、かつては動物が得意ではなかった私にも、巡り巡ってアニマルコミュニケーターとしての新たな扉が開かれたのです。
今回は、ペットやアニコミにまつわる私のバックグラウンドについてお話しさせていただきました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回はアニマルコミュニケーションとは何か?についてお話しする予定です。お楽しみに!
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アニマルコミュニケーター 未来子 / Mikiko
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