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「終わりなき日常を生きろ」への反抗~人生備忘録~

セルフロックダウン1週め、大学生の頃を思い出した。
思い返すと私のアイデンティティに関わる発見もあったので、ここに綴っておこうと思う。

その時に出会った社会学者の宮台真司氏の本がおもしろくて、読んでいた。

その中でも「終わりなき日常を生きろ」というのが、私には鮮烈な印象だった。

バブル崩壊後のなんとも暗澹(あんたん)たる雰囲気が漂う地方都市をよく捉えているなと、学生ながらに思った。

かくいう私も地方都市に住む、地方都市の大学に通うモラトリアム大学生であった。

この本のタイトルの「終わりなき日常を生きろ」というフレーズが、地方都市に生きる当時の生き様を表現していて秀逸だなぁと思っていた。

そして、「終わりなき日常を生きろ」に対する反発心とアンチテーゼとして、私はやはりこの地方都市での日常は嫌だという選択をして上京した。

振り返れば、私は中学生の時から「非日常」に憧れ、「非日常」をどれだけ日常に取り入れられるか?という観点で生きてきたように思う。

小学生の時に友達から誘われて、コンクールに合わせて夏だけ発足する合唱クラブに入った。それが舞台に立つという初めての経験だった。その後、演劇クラブに入り、演劇の舞台にも立つ。

中学校でも合唱部と演劇クラブをかけ持ちし、生徒会にも所属していた。合唱は高校に入っても続く。

中学生にもなると、行動範囲が広がり、芸術館や美術館へ行っては、地方都市公演の落語や狂言や演劇を観ていた。

その素地は?と思うと、幼少期より両親が定期的に連れ出してくれた演劇鑑賞があったのだと思う。

宝塚に出会ったのも中学生の頃。今も私の日常に必要な「非日常」のひとつだ。


非常事態宣言が出ている東京では、いま非日常が日常になりつつある。駅前の駅ビルや商店のシャッターが降り、見慣れぬ異様な光景だ。朝にはスピーカーから大音量の不気味な機会音声で「不要不急の外出自粛」を促すアナウンスが街に響き渡る。

意図的に取り入れる「非日常」は、日常に彩りをもたらすが、意図せずして遭遇している「非日常(緊急事態宣言下の環境)」は日常とは何かを考えさせる。


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