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2022/1/21 二兎を追うことの意義

ずーーっと、忙しく生きてきたなぁと感じる。

僕が通っていた高校の理念が、二兎を追うことを大事にせよ、みたいな感じだったんだけど、まさにそれを体現してきたなぁと思う。

小学校2年生で野球を始めてから高校3年生までは、日中は学校で授業を受けて、放課後と土日は野球、みたいな生活だった。

もちろん、そういうスポーツと勉強をどっちも頑張ってきました、みたいな人はたくさんいると思う。

だから、僕は普通の人と違って文武両道頑張ってきました、なんてことを言いたいわけではなくて、僕も、世の中にたくさんいるそういう人のうちの一人だったんだけど、
そういった生活を送ってきたことが、少なからず今の自分の価値観に影響を与えてるなぁってことを言いたい。

今日は、そのあたりの、二兎を追う生活が当たり前だったことで、どういう価値観が醸成されたか、みたいな話をしたいと思います。

忙しくないと気がすまない

野球部経験者ならわかると思うけど、野球部ってけっこー忙しい。

まず、練習なんてのは毎日することに意味があったりするから、要するに毎日のルーティン作業が一定量存在する。

例えば、僕は小学生の時、素振りを毎日500回していたんだけど、500回しようと思うと大体1時間くらいはかかる。

だから必然的に僕は、毎日1時間は素振りに自分の時間を使わなければならないわけだ。

友達とショッピングに行く時間や映画を観に行く時間やバイトをする時間を削って、いろんな新しい経験を犠牲にして、毎日1時間、同じ作業を繰り返す。

ただ、打てるようになるためだけに。

毎日1時間を小学校2年生から高校3年生まで繰り返すと、4015時間にのぼり、約半年に相当する。

今思うと、すごいなぁと思う。

だって別にプロ野球選手になれると思っていたわけではないし、ただその瞬間打てるようになるためだけにそこまで頑張れるのは、狂気の沙汰じゃない。

もちろん毎日行っていたのは素振りだけじゃないから、1時間じゃすまないし、それに、毎日のルーティン作業以外にも、土日は絶対に野球の練習があったし、放課後もそれなりにチーム練習があった。

さらに不思議なのは、そんなに自分の時間を投資できるくらい、野球が好きだったの?と問われると、そうとも言えないことである。

今、
あなたは将来野球を仕事にできるわけでもないけれど、打てるようにはなるかもしれないから、4015時間頂戴していいですか?って聞かれても素直にうんと言えないと思う。

じゃあ何が好きだったのか?
なぜそんなに時間を費やせたのか。

多分、頑張ることが好きだったんだと思う。

一つの目標に向かって頑張ること、達成した時に得られる感動、そういったことがモチベーションになっていたんじゃないかと思う。

試合でヒットを打てた時、ファインプレーをした時は嬉しいし、
打てなかった時、エラーをした時は悔しい。

チームが勝てた時は嬉しいし、それをチームのみんなと共有できたことも嬉しい。

つまり僕は、頑張ることによって何らかの成果を出すことが好きなのだ。

単純に何らかの成果を出すこと自体も好きだし、それによって周囲から評価されることも好きなんだと思う。

また、チームで、という点でいくと、チームメンバーと共同作業をすることによって、その最中あるいは最終的に湧き出る感情を共有することも好きなんだと思う。

勝って嬉しい。負けて悔しい。みたいなことを自分だけ感じてるんじゃなくて、みんなも同じように感じてることに喜びを感じるということだ。

そして頑張りが多いほど、この共有できる感情度合いも多くなると思う。

こういったことが自己実現に繋がったり、コミュニティに属すること、居場所を獲得することに繋がっていたんだと思う。


野球だけじゃなくて、勉強でも同様だった。

テストで高得点をとるために、いっぱい努力した。

もちろん勉強に関しては、いい大学にいけばいい会社に入れるみたいな教育を受けてきたから、野球と完全に状況が同じではないけれど、

それでも、テストで高得点を取れた時、勉強した成果を発揮できた時、親や友達に褒められた時は嬉しくて、それがモチベーションになっていたのは間違いない。


大学に入って野球は辞めたけれど、新しく子ども教育団体に入って、夢中になってそれに取り組んだ。

研究室に配属された時には、寝る間も惜しんで研究活動にいそしんだし、同時並行でバイトも全力でやった。

こういった人生を歩んできたから、頑張らないと気がすまない体になってしまったのかもしれない。

目標がほしい。

熱中できるものがほしい。

社会不適合者かもしれないけれど、

社会人になった今も僕が欲しているのは、

お金ではなくて、

社会的意義でもなくて、

努力によって目標を達成すること

それを認められること

その過程の苦しみや達成した時の喜びなどを共有できること

こういったことだと思う。

二兎を追うことの意義

頑張ることが好きなことはわかった。

しかしなぜ、一つのことではなく、複数のことを頑張ってきたのか。

それによってどのようなメリットがあるのか。

いくつかあると思うけれど、最大のメリットは、精神状態を制御しやすいことだと思う。

例えば僕は、しんどい野球の練習をしている時は、平日の学校が楽しみで仕方がなかった。

一方テスト前など勉強面で立て込んでいる時は、野球がしたくてたまらなかった。

つまり人間は、一つのことだけをしていると、その悪い面ばかり見えてしまい、ネガディブな感情になってしまうということである。

それを、複数のことに取り組むことによって、一方で苦しくなった時は他方に逃げ込めるし、他方に取り組んでいれば、もう一方を恋しくさせることができると思う。

また、人間関係的な精神状態の安定性にも寄与する。

複数のことに取り組むということは、ほとんど複数のコミュニティに属することなので、一方のコミュニティで人間関係に悩まされても、もう一方のコミュニティで相談できる。

このように複数のことに取り組むことによって僕は精神状態を安定させてきた部分があるので、僕にとっては必要不可欠なのだと思う。

自分が気持ちよく生きるために。

こういったことが僕にとっての二兎を追うこと、それもどちらも全力で追うことの大きな意義なんじゃないかな、と思う。

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