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2022/1/15 わかりやすいということ

わかりやすいって、どういうことだろう。

これまで生きてきた環境、受けてきた教育、その中で醸成された価値観は、人それぞれであり、そのおかげでいろんな人がこの世にはいる。

同じ日本語話者でも、言葉の定義やその質感は微妙に違ったりする。

自分にとってわかりやすい表現や文章構成が、他の誰かにとってもわかりやすいとは限らない。

昔、ある先輩がなにかのプレゼンをしていて、僕はわかりやすくて上手なプレゼンだな、と思ったけれど、それを聞いていた別の先生は、わかりにくい、と評した。

もっとこうした方が良いといっていたけど、僕からしたらそっちの方がわかりにくかった。

つまり、わかりやすい、とは、普遍的な言葉ではなくて、誰誰にとって、という言葉とセットなのである。


また、自分にとって価値のあることが、他の誰かにとって価値があるとは限らない。

例えば、僕が知り合いに現職における不満を説明している中で、こうこうこういうことが嫌なんです、と言う。

しかし、その知り合いは、僕より50歳くらい年上で、僕とは生きてきた世代も違うし、いろんな経験を積んでいる。

そして知り合いは、「そんな程度のことどこ行ってもあるし、気にしてたらあかんよ」と言う。

その人なりに自分の価値観に則ってこういうことが大事だからと助言してくれるのだけれど、僕はなんとなくもやもやするのである。

なんでわかってくれないんだろう、と思う。

わかってくれなくてもいいからせめて、こっちの話を聞いてほしい、と思う。

僕にとっては大事なことなのだから、そっちの価値観を押し付けないでほしいと思う。

助言なんかいらないから。

相手にこちらの思いがうまく伝わらないことがもどかしい。

ことビジネスにおいては、特に相手にわかりやすく説明すること、説得すること、納得感をもってもらうことが重要になってくると思う。

プレゼン能力とか交渉術と言われるこの能力は、どうすれば上達するのだろう?

僕が今取り組んでいるやり方は、①具体と抽象のバランスを意識することと、②相手を知ることである。

①について、何を伝えたいか、どういうことを言いたいか、ということを伝えるには、抽象度を上げる必要があると思っている。

一方で、抽象度を上げすぎると、相手がイメージしにくかったり、イメージできたと思っていたことが実はズレてしまっているという恐れがある。

例えば、仕事においてコミュニケーションが大事です、といっても、そのコミュニケーションが何を指すのか、わからない。頻度と解釈して30分に一回会話を試みる人もいれば、礼儀と解釈して丁寧なコミュニケーションを心がける人もいる。

どこまで具体的な話をするか、具体から話すか抽象から話すか、その行き来をしながらバランスを考え、相手にとって最もわかりやすい部分を探っていくべきなのかなって思う。


②は、具体的には相手に質問する、ということである。

質問をしながら、相手の理解度を確認していったり、相手の言葉のイメージや質感、価値をおくことを確認していくことが大事だと思う。

結局、人のことは考えてもわからないことの方が多いのだから、相手に聞くことが一番早いしすり合わせに繋がると思う。

こういう、相手に質問をしながらコミュニケーションを進めていく方法みたいなところを身につければ、武器になるんじゃないかなぁと思っている。

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