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場のちからを読んで

内藤廣さん、初めて読みました。五浦美術館のひと?みたいな印象のまま情報を入れずにそのままにしていました。とらや行ってみたいな。

デザイン、意匠について話は進むのかと思いきや、社会的というかなんというか。当たり前かもしれないけど、社会情勢とか歴史とか法律とか、これまでの環境とかを含めて話は進んでいくから、私にとってはとっつきやすかった。

冒頭の新国立競技場のデザインを決める話。まがりにも私も建築を学ぶ学生だなと、ニュースをみていて、世間一般の方たちとややギャップあるなと感じた思い出があって。あんな前例ができてしまったら、当面の間日本で、コンペで、良い意味で斬新な革新的な案を出してくる建築家はでてこないだろうし、日本で何か建てるってなって、いざコンペってなった時に参加したい人出てくるのか不安になりました。雰囲気が日本代表のハリルを解任したときと微妙に被るんだよね、私の中でだけど。上があんな意思決定の仕方で手を挙げる人いるのかしらと、、、。私はできれば関わりたくないよ。

印象深かったことというか激しく同意したことがいくつかあって。
本の流れを無視して書くと、まず3kと新3k。
キケン、キタナイ、キツイとキツイ、カエレナイ、キュウリョウガヤスイ。3kを初めて聞いたとき私は、一般的なお仕事に対する考え方かと思っていたけど、実際そうだと今も思ってるのだけど。建築業界、現場に対する世間一般的な印象だということを知ったとき驚いたのを思い出した。華があるような職種だって、実際これらに遭遇することはあるだろうって、それをそう感じるかは個人差だけど。
ポジティブに考えすぎるのも良くないかもしれないけど、誰だって大変だし、やりがいなんていくらでもあると思っている。社会人になることに、そりゃネガティブな感情をもって入るけれど、ここまでくると早く仕事に慣れて色々な事ができるようになりたいと感じられる自分になってきていて、少し安心?した。

「待つ」ための場所で述べられていた「待つ」ことについて。本質的な待つって?上手に私は受け止められているのか分からないけど、受け入れることなのかな。歴史とか文化とか精神的な支えとか。一貫して必要とされ続けることって難しくて、かといって不必要になるっていう0-100の考えでもないから、都市から土地から抹消することなんて出来なくて。そんな期間も受け止めて、目立とうとも消えようともせず浮遊していることをいうのかな。でも同じ章で「伝統とは革新の連続である」っていう黒川光博さんの言葉が引用されていて。浮遊してるけど何もしない訳ではないってことなのか、、?自分の生きる100年くらいの間でこんなことが体験できるのかな、知らずに終わりそうじゃない?っとフリーズしました。

内藤さんのタイミング的なものかもしれないけど、東日本大地震に触れることが多かった。意訳だけど、津波は個別で二度と同じものはこない(内藤さんの言葉ではなかったね)っていうの、もう分析とか対策とかではなくて、安全なところに逃げるのが1番いいって言ってくれていて安心した。私は何故堤防つくる?ってなっているから。自然をコントロールするなんて絶対無理じゃないか。私は逃げて逃げて逃げたいから。必要最低限頑張ればいいのに〜ってなっているの。日本で安全なところに住みたいなって思っているのだけど、意外とないなって、最近絶望している。将来どこに住もうか。

やっぱり、こういう系のnote書くの難しいなと認識しました。文章力と読解力どちらも不足不足、、、鍛えましょう。おわり。

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