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生老病死と夢と幸せ

こんにちは。
九條です。

昨夜、夢を見ました。
私が犬になっている夢でした。

そして犬になった私は、背中が痛くて痛くて動けなくて、じっとしていました。その猛烈な痛さに息が荒くなっていました。

ずっと何時間もの間、私の背中を優しくさすってくれている女性がいました。顔は分かりません。

私は(犬ですから)心の中で、

「なんでこんなに背中が痛いんだろう、どうしたんだろう、どうなるんだろう」

と思いました。

するとその女性は(犬になっている私の心の声を聞いてくれたのか)、

「もう、トシだからね。よく頑張ったねぇ。頑張って生きてくれたよね。ありがとう。お疲れさま。そろそろ天国へ行くときなのかも知れないね」

と優しく(私の背中をさすりながら)言ってくれました。

そこで私は目が覚めました。

命は生まれる(生)
生まれた瞬間から時間が経過する(老)
時間の経過とともに、必ず終わりに向かう(病)
生まれたからには、いつかは必ず命を終える(死)

(仏教の「四苦」の概念)

これは、この世に生まれてきたもの、命あるものの宿命ですね。

私はこの夢を見て、大学生時代に一般教養課程の「哲学(古代ギリシア哲学)」で学んだ事を思い出しました。

かつて、古代ギリシア人たちは、

地上に住む者にとっては、そもそも生れぬことがもっとも良い。

(「ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」より[1])


と考えていました。つまり「この世に生まれてこない事が最も幸せである」という意味の言葉です。

なんとも哲学的な、複雑な想いの日曜の朝の目覚めでした。^^;


※見出し画像はウェルシュ・コーギー。私は犬の中ではこのウェルシュ・コーギーがいちばん好きです。若い頃に付き合っていた彼女が飼っていて、私にもすごく懐いてくれていました。^_^


【註】
[1]「ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」『ヘーシオドス 仕事と日』松平千秋 訳 1986

©2024 九條正博(Masahiro Kujoh)
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