私とテニスの王子様

 どうも、もいです。
 皆さんご存じの通り、私『テニスの王子様』大好きなんですよ。多分人生の半分以上を共に歩んできて、何なら旦那より長いこと寄り添っています。
 連載が始まってもう20年以上経ちますが、未だに紙面で連載されていて、様々なメディアミックスが展開されている作品ってたぶん『テニスの王子様』くらいしかないですよね。本当に息が長い。

 そんな『テニスの王子様』と共に人生を過ごしてきた私の半生を、誰も得しませんが振り返ってみようかなーと思います。

中学生時代(WJ~アニプリとの出会い)

 『テニスの王子様』が連載されたのが今から約20年前。その頃は小学生でアニメや漫画大好きでしたが、どちらかと言えば少年漫画よりも断然少女漫画が好きだったので、テニスの王子様のことは知りませんでした。

 そんな私の運命が変わったのが中学に入ってから。
 とにかくマンガやアニメが好きだった私は、同じ趣味の友達と共にオタクがたくさんいた美術部に入りました。オタクがたくさん……というかほぼオタクしかいない美術部だったので、部活の間は真面目にデッサンしつつもみんなで好きな漫画の話をしていました。
 そんな時、同じ美術部だった友達が教えてくれたのが、今後私の人生を大きく狂わすこととなる『テニスの王子様』でした。
 その友達はお兄ちゃんの影響でWJを読んでいたのですが、もともとテニスが好きだったということもあり、テニスの王子様にはまっていたそうです。その子の家に行ってちょこっと原作は読ませてもらったのですが、当時は本当にスポーツに疎い私だったのでその面白さがよくわかりませんでした。

 しかし、そんな私でしたが見事に『テニスの王子様』にはまる決定打となった『アニメ・テニスの王子様』の放送開始。

 放送開始時間が19:00からで、部活が終わってからでも十分に間に合う時間だったので毎週水曜日はきちんとリアルタイムで見ることができていました。(当時、祖父母の家から学校に通っていたので、ニュース7を見ていた祖父に頭を下げて毎週水曜日はテニプリを見せてもらっていました。)
 おそらく放送開始時間が夕方の時間帯だと間違いなくはまっていなかったでしょう。そう考えると、19:00という放送開始時間は本当に完璧な時間だったと思います。

 大好きな声優さんがたくさん登場して、動くキャラクターも格好良いし、もともとオタクをこじらせていた私はずぶずぶと沼に落ちていきました。
 それと同時に美術部でもあっという間にテニプリブームが起こり、WJを原作とするアニメも数多く放映されていたので、大体テニプリ、マンキン、ヒカ碁、ミスフルの話でほぼ一日が終わるような感じでした。
 (この時期にちょこっと同人活動をしたり、非公式のアンソロを買ったりしていたのですが、当時はギャグ系のアンソロしか買っていなかったのに、間違って手に取ったアンソロがBL満載で、宇宙ネコになった事件……とかありました。)

 そして、ここでも今後の私の人生を大きく狂わせるゲームとの遭遇。
 そう、伝説の幕開けともいえる作品である『テニスの王子様SWEAT & TEARS』の発売です。

 それまではプレイヤーは原作に登場するキャラクターを操作するスタイルのゲームが発売されていたのですが、突如三作品目で原作には登場しないオリジナルキャラクターを主人公としたゲームが発売されたのです。しかも、キャラクターの性別を選べると。もう、本当に驚きでした。「え、原作にいないキャラクターがゲームに登場して、しかもそのキャラクターを操作するの?」って。マジ、未知との遭遇。

 当時、夢小説にだだハマリしていて、毎夜キャラクターとの恋愛にいそしんでいた私からしたら夢のようなゲームでした。だって、キャラクターと共に生活を送れて、同じ時間を過ごせるんですよ?いままで想像の世界でしかなしえなかったことが、こうして公式から展開される……。
 よい時代になった、と中学生ながらにめちゃくちゃ実感した瞬間でした。

 実際プレイをしてみると、もう本当にすごい!の一言しか出ないような内容。
 容姿こそ明確にされているものの、自分の分身が青春学園中等部の一因となって、テニス部のメンバーとともに大会に出場しているではないですか。
 しかも、ただテニスの試合をするだけじゃなくて、キャラクターとの交流があったり、日常生活があったり、合宿があったり……許斐先生が赤いオープンカーに乗ってバラの花束を持って登場したり。
 しかも主人公のバックボーンがしっかりと練られていて、恋愛要素こそ薄味なものの、ただキャラクターと共に大会で優勝を目指すだけではなく、そこにキャラクターの生活があり、非常に楽しむことができました。そして、幻の赤ジャー立海が拝めたり……。

 こうして、私の生涯の伴侶となるテニプリとの生活は幕を開けたのでした。(ちなみに、当時は不二先輩が一番大好きでした。)

高校生時代(乙女ゲー~ミュとの出会い)

 中学校を卒業した私は、どうしてもパソコンを扱える環境に進みたいがために普通科高校を諦め、専門系の高校に進みました。それと同時に当時仲の良かった友達とも離れ離れになり、美術からも遠のいた生活を送っていました。
 新たな生活が始まり、一度はオタクから足を洗うのかと思っていましたが、やはりそれは無理な話。高校で仲良くなった友達がこれまた生粋のオタクで、私はリア充になることなく大好きなテニプリと共にまだまだ人生を過ごすこととなりました。

 この頃から部活や資格取得の勉強で忙しくゆっくりアニメを見ることができなくなり、また他のジャンルにはまりだしたこともあり以前ほどテニプリに熱を上げることがありませんでしたが、相変わらず夢サイトは運営していたので完全に冷めることはありませんでした。
 何なら、当時乙女ゲーにはまっていた私に薪をくべるかの如く『PS2版 学園祭の王子様』や『PS2版 テニスの王子様 ドキドキサバイバル』が発売され、原作やアニメから遠のいたものの、メディア展開されている作品で未だテニプリから離れられない生活を送っていました。

 そして、この時期にも私の人生が大きな濁流に飲み込まれるコンテンツとの出会いがありました。
 そう、2.5次元の先駆けとも言える『ミュージカル テニスの王子様』との出会い。
 時間が前後するかもしれませんが、ニコニコ動画で爆発的にテニミュが流行っていたこともあり、その存在は知っていました。しかし、あくまでもニコ動上のテニミュしか知らない私。どちらかと言えば面白コンテンツとしてテニミュを見ていました。

 しかしある日、クラスのパンピーっぽい子がテニミュ(関氷)のチラシを持っているのを目撃。ディスプレイの向こうで見ていた面白コンテンツだったテニミュが、まさかこんな身近なところで発見できるとは思わずびっくりしました。
 パンピーなクラスメイトがはまるテニプリっていったい何なんだ!という興味が湧き、さっそくネットでテニミュについて調べてみることに。すると、わが地元福岡でもテニミュが興行されるではないですか!
 私は、当時共にテニミュに興味が合った友達と急いでチケットを取り、実際に見に行くことにしました。

 その時公演されたのが『ミュージカル『テニスの王子様』
Absolute King 立海 feat. 六角 ~ Second Service』で、関立の後編でした。事前に前編はDVDで見ておいたものの、実際に舞台を見ると……もう言葉も出ないほどに感動しました。

 まず、マンガの中にいたキャラクターがそのまま舞台の上にいる。もうこれは本当にびっくりしました。
 当時は立海が大好きだったので、キャラクターが本当にキャラクターそのもので意味が分かりませんでした。真田が実体を得てるじゃん。仁王と柳生が入れ替わってるじゃん。赤也、三次元になることでヤベー感じ10割増しになってんじゃん……などなど。
 もう本当にただただびっくりするだけで、あっという間に数時間が過ぎていきました。

 まるで夢のような空間、時間。確かに演者さんがキャラクターを演じているだけなのに、確実に目の前には『テニスの王子様』で生きている彼らがいる。
 今まで数年間、平面の中で線として見ていた彼らが、主線も、塗り分けられた色もなく、私と同じ空間にいて、あのジャージを着て、テニスをしている。
 今までは面白コンテンツとしてしか見ていなかったテニミュでしたが、今まで私が味わったことのない感覚、そして『テニスの王子様』がやっぱり好きなんだという思いを味合わせてくれたコンテンツとなりました。

 結局高校生活の三年間も何だかんだ『テニスの王子様』と共に過ごし、私は真の自由を手にする大学生へとなるのでした。

大学生時代(テニミュ~テニプリとの別れ)

 大学進学と共に一人暮らしを始めた私は、自由な時間とお金を手にすることができたので、それからもしばらくテニミュ通いをするようになりました。 

 福岡で公演されるものは可能な限り全通し、翌日も見に行くとなると、一度電車で家に帰った方が確実に安上がりなはずなのに何故か市内のホテルに泊まるなど、完全に生活をテニミュに支配され狂わされて行きました。
 でも、それでも楽しかった。何故なら、私が通っていた福岡市民会館、ももちパレスともに、一階席だけだったのでキャストさんが一番後ろの座席までやって来てくれたから。
 たとえ遠くから舞台を見ていても、カテコの後はキャストさんが近くまで来てくれる。どんな席に座っていてもその可能性があり本当に楽しかったです。(ちなみに、比嘉戦では最前席が当たり友達と大はしゃぎしたのはいい思い出です……。)

 しかし、新たに始まった大学生活の中で、新しい友達との出会い、サークルとの出会い、恋愛、就職、卒論……などなど、今までテニプリにだけを見つめていた私の視界が一気に広がり、段々とテニプリから離れていくことになりました。
 そして、それと同時に長年運営していた夢小説サイトを閉鎖。完全に私はオタクから足を洗ったのでした。

社会人時代(ライフステージの変化~テニプリとの再会)

 大学を卒業し無事社会人になった私は、仕事に忙殺されますますテニプリから遠のいた生活を送ることとなりました。GS3を唯一の楽しみとして生活していたものの、ただゲームを楽しむだけでほぼほぼオタクとは無縁の生活を送っていました。

 そんな生活がしばらく続いたのちに、結婚、妊娠の発覚。いよいよ自分の生活が家庭に向けられていくこととなります。(結婚後、転職もあり少し自由な時間が増えたのでまた夢サイトを運営していましたが、出産を控えたこともあり数か月で閉鎖となりました。)
 子どもも生まれ、子育てに追われる日々。過去の趣味にギラギラしていた自分は完全になくなり、慣れない子育てと家事に追われるごくごく一般的な主婦なりました。

 子どもも大きくなり一緒にニチアサを見るようになったある日、当時放送されていた『仮面ライダービルド』の後番組として『仮面ライダージオウ』が放送されると発表されました。

 ジオウは平成最後、20作品目のライダーとして華々しく発表され、過去のライダーが登場するということで当時大きな話題となりました。となると、期待するのは「私が過去にテニミュで観たキャストさんが登場するかもしれない」ということ。
 その頃は「テニミュはテレビで活躍するための登竜門」と言われており、様々なキャストがニチアサで活躍していました。そして、仮面ライダー作品にも登場した方が多数います。
 まさか自分が親となり、一度遠のいていたテニミュもといテニプリとこうして再び出会うとは思っておらず放送開始が楽しみでした。

 そして、続々と発表されるキャストさん。その中で、とても衝撃的な名前を目にすることとなります。そう、スウォルツ役である兼崎健太郎さんです。
 私が初めて見たテニミュで最も衝撃を受けた役者さん。あの真田がそっくりそのまま舞台に存在して、むしろ本物の真田なんじゃないかと見まごう程だった方です。
 初めてテニミュを見たあの日から約10年が経ち、まさかこういう形で再び名前を目にするとは思わずびっくりしました。
 結局、兼崎さんが登場されるということもあり、第一話スタートから私は欠かさずジオウを見るようになりました。

 兼崎さんがジオウに登場するとは言っても、抱いた気持ちは「あー、懐かしいなあ」というものだけ。そこから決して『テニスの王子様』に気持ちが向かうことはなく、まるで同窓会に参加したような気分で毎週日曜日の朝を心待ちにしていました。

 そんなある日、ジオウのお話が大好きだった『電王編』へと突入します。これまた当時大好きだった電王がメインのお話だったのでめちゃくちゃ楽しみでした。
 あの頃大好きだったモモ・ウラ・キン・リュウ、そしてデネブにしいたけ嫌いな桜井侑斗が再び画面内に揃い、本当に嬉しかったです。公式Twitterもチェックしていたのでオフショットが流れてきてわくわくしていると、ゲスト俳優さんのツイートが流れてきたので何の気なしにヘッダーを見ました。すると、何ということでしょう。

画像1

 気分はまさに「テニミュ、生きとったんかワレ」状態。
 10年ほど前に狂ったように楽しんでいたコンテンツが、令和の世でもまだ健在だったことに衝撃を受けました。
 慌ててテニミュについて調べると、丁度全立前編が福岡で興行されるとの記載が。い、行きたい……10年もの年月が過ぎ、令和の時代になっても生き続けるテニミュがどうなっているのか、見たい……!どうしようもない衝動にかられましたが、仕事や家庭の都合もあり、結局後の後編も観劇を見送ることにしました……。

 そんな3rd仁王との出会いがあり、見事片足をテニプリ沼に再度突っ込んだ私。むしろ、生まれ育った川に還る鮭のごとくそれからは気を失うほどにネットでテニプリの現状を調べました。

 まず、原作が終了して兄弟誌であるSQで『新・テニスの王子様』として連載中であること。そして、テニミュは今も健在。さらにスマホゲームとしてテニラビが好評配信中。
 完全に私の中で過去のコンテンツとなっていた『テニスの王子様』が、まるで私の帰りを待っているかの如く今もなお続いていると知って泣きました。

 そこから完全にテニプリ熱がよみがえった私は、テニラビをダウンロードし、何故か再び夢小説サイトをあさり、ひいては再びサイト運営をすることとなるのでした。
 これが、テニプリ人生第二幕の始まりでした。

現在(テニプリを通した新たな出会い)

 こうして再び始まったテニプリとの生活ですが、時代が変われば環境も変わる。私は新たにTwitterを始めることにしました。
 元々Twitterのアカウントは取得していたものの、どちらかと言えば雑多に呟く日常アカウントだったので、テニスと分離すべく「テニス専用のアカウント」として現在のアカウントを開設しました。

 最初は趣味に特化したアカウントの運用方法が分からず、もともと日常垢でフォローしていた方をテニス垢でもフォローし、そこから徐々にフォローする方を増やしていきました。

 そして、ある日であった「#テニミュクラスタさんとつながりたい」というハッシュタグ。とにかくテニプリのお話をできる方、テニスが好きな方を増やしたいと思ったので、さっそくこのアカウントを付けて呟くことにしました。
 それと同時に「#テニプリプラス」でもツイートすることが多くなり、徐々にフォロワーさんが増え、私のようなツイ廃さんはいないものの、いつも誰かが大好きなテニプリについて呟いていて、時には情報を流してくれている。最高に幸せな環境を構築することができました。

 そして、徐々に仲良くさせていただく方が増え、ますます私のテニプリライフは楽しいものとなるのでした。

 というのも、こうしてテニプリと過ごしてきた十数年ですが、いつも私はひとぼっちでした。ひとりぼっちと言うと語弊がありますが、例えるなら山奥の小屋で一人ひっそりと暮らしているような感じ。
 誰とも関係を結ばず、ただ一人で『テニスの王子様』というコンテンツを楽しんでいました。だけど寂しいと思ったことは一度もなく、自分が楽しめたらそれでいいというタイプだったので、友達以外にテニプリを楽しめる人と関係を結ぼうとは一度も思ったことがありませんでした。

 しかし、Twitterという世界に飛び込んで「テニプリ」という共通のコンテンツを楽しめる人ができた。私にとっては本当に初めての経験で、まるで小学校に入学した時のようなわくわくがありました。
 どんなともだちができるんだろう、この子はどんな子なんだろう。
 本当三十路の女が抱くにしては気持ちの悪い感情とは思いますが、それくらいに共通のコンテンツを分かち合える方々との出会いは、言葉では言い表せないほど嬉しかったです。

 あと、一番嬉しかったのが「年齢も職業も環境も関係なく仲良くしてくれる」ことが本当に嬉しかったです。
 社会の一員として生活をしていると、どうしてもそう言ったパーソナルなことに目を向けられた会話も多く、特に互いの年齢を露骨に気にするような空気があるような気がしていました。
 しかし、Twitter上ではお互いの年齢なんてそうそうわからないし、何ならどんな生活をしているのかもわからない。ただ『テニスの王子様』が好きということだけが分かる。
 たった一つの情報しか与えられないけれど、逆にそれが純粋に交流できるきっかけとなったので本当に良かったな、と思っています。

 実際私より年下の人なんて五万といるし、何なら私が知らないだけで年上の人だってたくさんいる。だけど、『テニスの王子様』が好きということの前ではそんなのどうだっていいんです。年齢も、性別も、仕事も住んでいる場所も、関係ない。フラットな目線で交流ができる。
 社会人になるとなかなか共通の趣味を持ったともだちができにくい分、本当に嬉しかったです。

 口にしていいのかわからず悩んでいましたが、私はTwitterで仲良くしてくださる方が本当に大好きです。フォローもフォロワーも関係ない。今まで一人でコンテンツを楽しむだけだった人間に、新たな楽しみを教えてくださって感謝しかないです。
 お友達と呼んでいいのかわかりませんが、私は勝手にお友達だと思ってます!今ここで断言しておきます!リプ送りあった時点で友達だ!!

最後に

 最初にも述べた通り、今のところ人生の半分をテニプリと共に過ごしています。紆余曲折ありながらもまたテニプリの元に戻ってきて、ただ過ごすだけの毎日が非常に楽しくなりました。それも、原作者である許斐先生のおかげだと思っています。本当に感謝しかないです。

 ここまで語った私とテニプリについては、一部を抜粋しただけにすぎず、実際はまだ語り切れていないことがたくさんあります。(最推しが仁王だったのに、いつの間にか忍足謙也くんが好きになったこととか、子どもがテニプリ、ひいては忍足謙也くんを筆頭に様々なキャラクターを認識してキャラソンまで覚えたこととか、長年の夢だった本を出したこととか……。)

 おそらく『テニスの王子様』というコンテンツがなくならない限り、私は今後もテニプリと共に過ごしていくだろうし、私がテニプリよりも先に死んだときは棺桶の中に集めたグッズをたくさん敷き詰めてもらって、謙也くんのよりぬいミニに挟まれて煙になる予定です。アクスタは恐らく燃やしてもらえないかな?

 私にとって『テニスの王子様』はたった一つのマンガではなく、人生を支えて苦楽を共にしてくれた、大切な作品の一つです。
 それが今後も多く人に愛され、いつまでも語り継がれるような作品になったらいいな、と思っています。

 まあね、私は謙也くんの初ソロシングルが出るまでは絶対に死なないし、絶対に離れないけどね!!待ってますよ、フィルミーさん!!!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?