架空の誰かに認められたくて

今年で32歳だけど今が一番自分の人生を楽しんでる気がする。

親元にいた時は、よくわらない架空の誰かに褒められたり、認められたりするために勉強していた気がする。親も、そういう風にわたしを教育していた。

よく叱られるときの決まり文句として「そんなことすると怒られるよ」とか「笑われるよ」とかがあったなと。この辺からもよくわからない架空の第三者からよく見られるために振る舞うように言われていたのかもしれない。まぁ他人からの目線は大事だけど、できれば「こうすればかっこいいって思われる」という目線で考えたい。恐怖で支配するのはよくない。窮屈になる。

最近岡田斗司夫氏のyoutube動画をよく見るんだけど、ほんとうに楽しそうに話していて、この人は好きなことを好きなだけ勉強して、好きなだけ話してるんだなーと感じる。もちろん話し方がうまいし、内容もかなり深い考察が含まれてます。勉強も自分の興味のあることを自分の好きなようにできるのが、理想だよなぁ。

もちろん、子供のうちに何に興味があるかなんてわからないから手当たり次第とりあえず勉強する機会を作るのは大事なんだけど、目的の持ち方に注目しないといけないと思う。

とりあえずいい大学に入って…というのもいい加減使い古された古臭い考え方なんだけど、私の親はまさにそれで、いまいちその目標を達成しきれなかった私は親にとって大きな負債となってしまった…というのはまた別の話で、そういう目的の持ち方をすると、楽しみを感じづらい。そもそも本当に誰かに褒められたり認められるのかわからないし、いつそれが得られるのかわからないしでやる気を保ちづらいし、よくわかんないことのために、よくわかんないことをとりあえず詰め込むから「サインコサインなんて大人になって使わないし…」なんて発想が生まれてしまうのでは。(ちなみに学生時代の数学は論理的思考を身につけることがゴールであって実践的な方法を身につける授業ではないと思う。)

勉強は自分のためにしたい。自分のために、とにかく自分が気持ちよくなるために生活するとすごく生活が楽しくなるなとしみじみ思う昼下がり。

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