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おふでさき 勉強会用① 第一号21~44

第一号 21~44

第一号 21~44

違いあるなら歌で知らす
忘れるから書いておいた
なぜ口で言わないかの理由
つとめ やしき
やしきのそうじ

21~23
この世は理で責めた世界にである。
何ごとにつけみな歌の理でせめる。
責めると言っても手出しするのではない、
口やかましく言うのでもない。
筆先で責める。
何もかも間違いなくいっていればよい、
間違いのある場合は歌で知らせる。
読んでさんげせよ。

理という言葉はここ一箇所だけ

24~28
口で言って知らしたら必ず現れてくるので
気の毒、どんな病が現れても、当人の心から
出たものだとは言っても、、、。
だから口では言わない。
筆に書いておく。
秀司の足痛も世界並ではない。
神の立腹を現す。
神の言うことを聞かないからやむを得ず
表に現した。
これほどの神のざんねんが出ているから
医者も薬も治療できない。
この病ばかりは人並みのものと思っては
ならない。これは、その理を歌に書いて
責めきるので、よく思案せよ。

21~28はまえおきの言葉で29以下に
お屋敷の掃除の話題となる

29~30
このたびは屋敷の掃除をすっきりと仕立てて
みせるから、よく見ていよ。
掃除さえすっきりとしてしまえば、あとは
”知りて話して話する”

31~35
これまでの神のざんねんであったことは
秀司の足の悪いのが第一のざんねん。
この足を病と言っているが病ではない。
神のりっぷくが現れている。
立腹も少しではなく、積もり重なった上の事。
どうしてりっぷくかと言えば、悪事が退かないから。
この悪事が退かないことには、ふしんの邪魔になる。

残念→立腹
悪事とは、おちゑ様とのこと

36~38
この悪事はしぶといものであっても
神が責めきり退けてみせる。
この悪事をすっきりと退けてしまったなら
足の悪いのもすっきりと直る。
足さえすっきりと直りさえしたら、あとは
ふしんの準備だけ。

ふしん
「世界のふしん」と建物の普請

39~43
一寸はなしておく
正月三十日と日をきって送り返すのも
神の心からで人間心からではない。
そばのものが何をするかと思っても、先なる
ことを知らないからである。
その日が来て納得のいく事が見えてきたなら
そばの者も”神の言うことは少しも違わない”
ことがわかる。
今までは神の言うことを疑って何でも
”嘘だ”と言って来た。
この世を初めた神の言うことに千に一つも
違うことはない。

秀司先生はこの神の思召に添って、おちゑ様を子供の音次郎と一緒に実家に帰した。
おちゑ様は幾日も経たぬうちに病死

44
だんだんと先なることが見えて来たなら得心をせよ。どんな心もみな現れる

心が現れる ほこりの掃除
31~44のお話は心の問題として納得させられている。

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