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母の心と父の心

母なるもの

母の心 母性

「つつむ」「つなぐ」「受け入れる」

どんなものでも包み容れる、許容する寛容性
自分の子供がどういう者であっても、あるがままの姿において無条件に受け容れ、包み抱え、育てる。

自我意識に目覚める前に、全く何の差別も条件もなく、ただひたすら受け入れられるということ。
これが「母なるもの」の原体験で、この原体験は、心の無意識の層(魂)に確実に刻みつけられている。

これこそが、一生を通じて人間に安らぎと生きる希望の源泉となってゆくもの。

全ての人間の心の奥底に潜む"楽園(パラダイス)”のイメージの元

大地一万物の帰りゆく場

「母なるもの」の自然的象徴は”大地”
大地はすべての生命の源であると同時に、安らぎの元。大地がぐらぐら揺れ動いていては、成長も活動もできません。人間(とくに子供)は、一番基本的な所で安心できると、外で自由に創造的に動きまわることができる。
外の世界でどんなに傷ついたものでも、帰って安らぐ所があれば、心が癒されて、また新たな道を歩み出すことができる。
「故郷(ふるさと)」がそうです。

父なるもの

父の心

「離す」「隔てる」「分ける」

一歩離れた所であるいは大所高所から、長い目、広い目で、物事、世界、人生を見、正邪、善悪の筋目を通すところにある。

外に広がる様々な社会に出て生きてゆこうとする時、それを支え導く存在たることが「父なるもの」の重要な働き

自然象徴の中で「父なるもの」を表しているのは

天は”離れた”存在
無限の高みから、天地自然万物の運行をつかさどり、その秩序を一定に保っている。
そうした秩序、筋道、規律は、古来よく「天の理(法)」と呼ばれていました。
その理は天然自然の理であると同時に、人間社会の中にも行われるべき道理、人倫の道として重んぜられてきました。

子供の心の望ましい成育には、母の心、父の心の両方のバランスが必要です。

また私たちは皆、意識するしないに関わらず、その大らかな”親のふところ”の中で生かされ、遊ばせてもらっているようなものと言えるのではないでしょうか。

親と子

おふでさき

このよふを初めた神の事ならば
せかい一れつみなわがこなり(四号62)
いちれつのこともがかハいそれゆへに
いろゝ心つくしきるなり(四号63)
だんゝとこどものしゆせまちかねる
神のをもわくこればかりなり(四号65)
にんけんのわが子をもうもをなぢ事
こわきあふなきみちをあんぢる(七号9)
にんけんもこ共かわいであろをがな
それをふもをてしやんしてくれ(十四号34)
にちゝにをやのしやんとゆうものわ
たすけるもよふばかりをもてる(十四号35)

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