『おさしづの手引き』
汲めども尽きぬ、教祖の温かな親心
おさしづは教祖のお言葉である。このお言葉にこそ、教祖の親心のなかなか深いものがある。
この深い大きな教祖の親心の一端を悟りふれさして頂こう。実におさしづこそ、一言説いたら百巻の書物に出来る、と仰せくだされる教祖の親心の深いお諭しである。
おさしづの意味するもの
さあゝ皆よう思やんをして掛かれば危ない事は無い。影は見えぬけど、働きの理が見えてある。これは誰の言葉と思うやない。二十年以前にかくれた者やで。なれど、日々働いて居る。案じる事要らんで。勇んで掛かれば十分働く。心配掛けるのやない程にゝ。さあゝもう十分の道がある程にゝ。
(明治40・5・17 午前三時半)
これだけ諭したら何ぼ書物に出そとまゝや。
書物を起そとまゝや。さあゝもう一言ゝ言うて置く。あの者偉い者、偉い者が捜して来る。尋ねに来る。捜して来る者より、もう一つ偉い者でなくば、捜して来ん。元は捉まえどこ無いような者、なれど、一言説いたら、百巻の書物に出来る。日本に数無い偉い者出て来る、捜して来るとも分からん。
(明治33・9・9 夜九時頃)
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