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おふでさきにかかれていること3

第十一号

こかんさまとその他を話題とされ、”たすけ”や”こふき”と関連して、人衆・よふぼくの仕込みについて”悟りの台”を残されている。(一~五十。五十一~六十四。六十五~八十)

第十二号

第十号に述べられた概略の道筋は、第十二号以降には、さらに具体的に話が展開されている。

布教伝道の基本構造、”ざんねん”の”かやし”と”たすけ”と教理を伝えること(知り、わかること)のうち、”かやし”に関しては第十号六十七~八十で特別な心をすます方法(「入り込んで指図」すること)が述べられていたが、このことは第十三号後半と第十四号以降に具体的に説明され、第十二・十三号では、教理を伝えることが話題になっている。

第十号で「こふきをひろめる」と言われたことは、「たすけ一条(つとめ・さづけ)」、はなし一条「(神の話)」を取次ぎ・諭して、たすける」ということ。

第十二号ではこのことが序説的お話(一~四十六)、たすけ一条(四十七~六十一)、信仰のお諭と”そふじ”の目的(心をすまし・この世の真実を知らせること)(六十二~八十四)、特に「互いにたすけ」として述べられている(八十五~百十。百十一~百四十九)

この「互いにたすけ」は、第十三号にも述べられるが、第十二号の重点は、「互いにたすけによって心定めが出来れば、珍しいたすけを急込む。そのたすけのうち第一に重要なのは”かんろだい”の”つとめ”で、これによって病まず・死なず・弱らずという証拠を見せたい。早く心を済まして、神の話を聞き分けてくれ」という、うちでの話。

これに関連して、守護の理について補足された(百五十~百五十六・百八十一~百八十二。百五十七~百八十)

第十三号

序説的お話(一~二十五)ののち、せかいにおける「互いにたすけ」を具体的に説明。これは特に「人間が互いにたすけをすれば、月日はどんなことについても働きをする。そうして、善悪がわかるようにする。〈それ故、真実を伝えよ〉」ということで、その真実の話のうち”かしもの・かりもの”の教理を出された。(二十六~四十九)。
ついで”かやし”と”たすけ”の話に移り、「むほんを治める」ことや、「立毛を作る」ことを例に、特に”つとめ”による”たすけ”を話題に、信仰の決断を諭された。(五十~七十二)

中扉のあとは、”神とよふぼくの共働”とも言える事柄について述べられているが、これは第十二・十三号に述べられたことが、神と人間の協同しての働きによって行われていくこと。中心的な事柄は、十号(六十七~八十)で「入り込んで指図」と言われたことで、神の働きがよふぼくなどの言語・行動を通して出てくること、それによって世界の心をすますことである、(「高い所や遠い所」─高山布教・遠国布教(海外伝道)─では、

特にそのような神の働きが必要)(七十三~九十九)
この話題は第十四号以降に詳しく述べられるもので、布教伝道の大要は以上で話され、述べられたともみられる。
最後に結びの言葉のようなお話(百~百二十)

第十四号

親神は、人間を用いて”たすけ”のためにお働きになられる。人間のをやとして、人間生活の中に立ち入って人間をたすけられる。
をやが働けば”ざんねん”が現われるので、その異常な現象(かやし、身上・事情)に対して心をいずまさない(萎縮しない)よう、陽気づくめの心になるように言われる。(一~二十八)
どんなことが起きても「心さえすんだら楽しみばかり」と、たんのうの心をまず諭され(二十九~五十六)、をやの働きについて説明される。
このをやの働きについて、どのようにして心をすまして行くかを、布教伝道に即して具体的に述べられる(五十七~九十二)

すなわち、心(ほこりの心)をその当事者の口からさんげ・告白させることと、身上に知らせること(十六号三十七~四十七参照)
また残念の現われ(かやし)は”たすけ一条の道”で治めるので、つとめの準備を急込まれる。

第十五号

心をすます方法には、十四号六十五~七十八にも述べられたもののほかに、かんろだいを証拠とする(十号七十九~八十参照)と言われたが、

これは、十五号で、つとめとためしとして説明される。この”ためし”の意義は「めいゝの心定め」という点にある(一~二十一)
このつとめの試しを主として説明して、布教伝道にとってのつとめの証拠の意義を強調され(二十二~五十六)、をやの働きに言及され(五十七~七十一)、最後に”つとめ”を急込まれた(七十二~九十)
つとめは、この頃(明治十三年)に、仕込みもようやく終わりに近づいていた。

第十六号

真実の話(十号四十四、十二号八十四参照)の重要部分を占めると考えられる「こふき話」は、以前にも部分的に取次に話して聞かせられていたが(六号五十三、百二十四~百二五、十号五十五参照)、明治十三年、四年頃にまとめて集中的にお話しになられたと推定され、そのまとまった記録も、十四年に最初のものが出来ている。
この「こふき話」が第十六号の初めに言及されている。

序説的お話(一~二十二)ののち、当時の史実に関するお話を例にあげて、親神の思惑と人間の思惑との大きな落差を嘆かれている。
これまでに述べられた思惑に基づいて、そのお働きをさらに詳しく説明(二十三~五十五)
それは、「人の心の真実を、身の内の障りで知らせる」こと。(十四号七十二~七十八)に言及。一般に言われる”身上さとし”
これに関連して「むねのそふぢ」について説明され、ざんねんの現われ(身上・事情のかやし)は、つとめによってしずめる(治める)点を付け加えて、親神の思惑に添うよう諭された(五十六~七十三)。
最後に(七十四~七十九)、初めに(十七~二十二参照)述べられたお話と同じく、神が人びとを連れてたすけに出掛けられることを強調された。

本格的布教伝道を開始すべき旬は迫って来た

第十七号

明治十四年秋、二段まで出来たかんろだいは、翌十五年五月に石が取り払われた。
かんろだいの完成とつとめの関込みの意義が、第十号に詳述される。

かんろだいが「みな揃う」
「世界中のむねのそふぢ」

そふぢの話題に関連して、神秘的諭しの例をあげられ、ざんねんをはらすことを付加されている。(一~三十三)
かんろだいの石取払いについて、特にかやしを強調され、二十六日(三号七十三、百十三参照)に言及され、珍しい証拠を示すことのできなかったざんねんを嘆かれた(三十四~五十五)。さらにこれからの身道として、かさねてざんねんとかやしを述べられた(五十六~七十)。

おふでさきは書き終えられた。

最後に、これ以後なお刻限のお話によってお導きくださることを暗示されている(七十二~七十五)

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