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「陽気ぐらし」とは何か


「もと」を知ることの大切さ

人間にとって最も大切なことは、自分自身を知ること。自分とは何か、あるいは人間とはどういうものか、人間というものは、どこから来てどこへ行くのか、そういうことを元の元から知るということが、人間にとって最も大切なこと。それがわかって初めて本当の意味で人間らしい生き方ができるのです。人間としてこの世に生をうけたからには、人間にふさわしい生き方をしなければ意味がありません。それは人間創造の元である大いなる神の思いでもあるのです。


「にぎわしくらし」

「元の理」によれば
人間は「六千年の智慧の仕込み」と、「三千九百九十九年の文字の仕込み」のなかでさまざまな文明文化を築き、学問を発達させながら今日に至っている。結果として人間は、非常に恵まれた生活を営むことができています。
しかしそれらは全て神の仕込みのもとで、人間が世界のこと、宇宙のこと、自身のことを探究し、そこにみられる法則や真理を発見し、それを応用して来たからこそであり、その結果として今日の生活が成り立っているのです。教祖はこれを「にぎわしくらし」(賑わしい生活〈くらし〉)と表現されています。
ところが『おふでさき』に

このよふハにぎハしくらしいるけれど
もとをしりたるものハないので(三号92)

とあるように、この世の進歩した生活も、実はその元を知らないまま営まれているもの。これが今日の人間のさまざまな状況をつくり出している。


アンバランスな世界

人間の”元”を知らないということは、自分自身の元を知らないで生きているということ。人間の知恵が進み、世界も開けてきましたが、その元を知らないため肝心要な点が欠けている。要するに物質的な生活は進んだけれど、精神的な進歩がそれに伴っていない、その両者の不均衡が目立つのです。今日のように物質的非常に恵まれた状態にあっては、それに見合う精神的豊かさ、霊的な発達がなければ、人間は満足に生きられないのです。
木に例えると
枝葉が茂るだけ茂って根が細っている状態。
根が細った木は風が吹けば倒れてしまいます。
上下のバランスが釣り合っていればいいのですが、枝葉が大きく茂っていながら根が細くなれば倒れやすくなるのが道理です。
病気に例えると
病気は神からのメッセージ(知らせ)
現代の病気は昔では考えられないような難病が増えてきました。「医者のてあまり」も多いのですが、実際には「手あまり」であっても現代人は物質文化に慣れているために、なにごとにおいても医学の力、科学の力を過信し、かつてのように素直に精神的霊的な面に目を向ける姿勢が少なってきているのです。





「知る」ことと「信じる」こと

「元の理」は、昔も今も変わることなく生きて働いている全てのものの「根」を、精神的、霊的な次元から明かした話。物質的レベルでの元初の話ではなく、精神的レベル、魂レベルでの物語として受け取るべきもの。つまり「枝葉」のことではなく「根」のことであって、全てのものを存在せしめている「元」についての話。そしてこの「元」を知ることが、人間らしい生きかたの根源になるという意味をもちます。現今の世を正しく生きるために、”元”をよく知ることが肝心です。
これは「知る」ということであって、単に「信じる」ということではありません。頭だけで知るのではなく、心の目、魂の目で見てしっかりと知るということ。人間は肉眼の目は開いていても、魂の目が曇っている場合が多々あり、精神的、霊的真理が見えない場合が多い。

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