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『おまもり』

おまもりの理合い

世間一般のお守りと違い、本人がおぢばへ帰って願い出て頂戴します。
教えを聞き、心に治めたうえで、生涯の守りとして戴くものです。
おぢばへ帰った証しになるので「証拠守り」と言います。
※証拠守りは、ただ単におぢばに帰った証拠に戴くというだけでなく、教祖のお話を聞き、心に治めて通る中に、自分自身が守られる姿をお与えいただきます。そのことを含めて証拠守りといいます。

おまもりに込められた思召

おまもりは、教祖のお召し下ろしの赤衣を裁ってつくられています。

おさしづ
何処へ行てはせんで、何処へも行てはせんで。
日日の道を見て思やんしてくれねばならん。
(明治23.3.17)
※教祖が存命のまま、変わらずお働きくださっていることを明かされています。

おまもりには、後に続く者が、教祖が存命であることを絶えず心に置いて通れるようにとの思召も込められているように思います。
おまもりとは、存命の教祖が、世界たすけの御用にお働きくださっているお姿をお見せになる証拠とも言えるのではないでしょうか。

おまもりの取り扱い方について

おまもりは神棚やタンスにしまい込んだりせず、肌身離さずつけるものです。汗などで汚れることのないよう、きれいな紙で包んだうえ、ビニールに入れて布袋に収めるなど、各自で工夫してください。

※出直した人のおまもりは?

おさしづ
内々の大切な宝として祀るがよい。
(明治23.5.16)

焼いたり埋めたりせず、神実様をお祀りしているのであれば、きれいに包み直し、誰のものだったか分かるようにしたうえで、お社の横に祀らせていただくのがよいでしょう。

おまもりは原則として本人に渡すものです。

おさしづ
小人々々は十五才までは親の心通りの守護と聞かし、十五才以上は皆めんゝの心通りや。
(明治21.8.30)

しかし、15歳までは親の心得違いを子どもに現し、親の心をお仕込みくださるとお教えくださいます。ですから、両親であれば本人の代理で、もしくは親に代わる者(祖父母、兄弟姉妹、教会長)の付き添いがあれば、おまもりを戴くことができます。

親から子へおまもりの理合いを伝えるうえでは、言葉だけでなく、日々のと折り方も大切になってきます。子どもに成り代わって十分に教えを守って通れるよう、まずは親によく話を聞いてもらい、報恩の心で日々通ってもらう。そして、子どもが15歳になったら、心得違いや通り間違いのないよう、教えを確かに説き聞かせます。
おまもりを通して、親子共に成人させていただけます。

※おまもりを落としたり失った際は?
おまもりを下付する際に「落としたから、失ったからといっても、もう一度頂くことはできません。生涯の守りとして頂きます。」とお伝えされています。

しかし、なかには紛失してしまう場合もないとは言えません。
そのような方には、「教祖がたすけ一条の御用のうえで下さるものに、御供があります。この御供を頂戴し、より一層、親神様・教祖に心をつないで通ることが大切だと思います。」とお伝えくださいます。

おまもりを頂戴したうえで大切にするべき心の置きどころ

おまもりを下さるということは、よふぼくの使命を常に心に置いて通るようにとの親心でもあると思います。
教祖のお心は、世界一れつをたすけ上げたい、可愛い子どもに陽気ぐらしを味わわせてやりたいというお心です。よふぼくお互いは、この教祖のお心をわが心として道を歩ませていただきたいのです。
赤衣とは、親神様のお心であり、御教えそのものです。この赤衣を身につけるのは、陽気ぐらしをお望みくださる親神様の心をわが心とし、明るい心で透ということです。
明るく勇んで暮らす姿にこそ、私たち人間存在の意義があります。人の心が明るくなる最も簡単な方法は、明るい心の人々の中にいるということです。その中に入れば、知らず知らず自分の心も明るくなっていきます。
明るい心を持ち、周囲の人にもその心を映し、行っているうちに、だんだんと陽気ぐらしの輪が広がっていきます。

※おてふりの”ぢば”の手振り
腹前で円を描きます
ぢばという点から、世界へ陽気ぐらしの輪が広がっていくさまをあらわしている

おふでさき
このあかいきものをなんとをもている
なかに月日がこもりいるそや
(六 63)

人間の目に映るのは赤衣を召された教祖のお姿ですが、教祖は月日のやしろであらせられます。赤衣の中にこもるのは親神様のお心であり、御教えそのものです。

人生においては、さまざまな節目があります。おまもりを肌身離さず身につけて通り、絶えず「こんなとき、教祖ならどうなさるだろうか」「こんなとき、どうすれば教祖は喜んでくださるだろうか」と問いかけさせていただく。その積み重ねのなかに、ご守護いただける誠真実が培われていきます。

※御本部でおまもりを下付していただく時
「教祖の、守ってやりたい、たすけてやりたいという親心を常に思案させて頂き、感謝の心を忘れず、人様に喜んで頂けるよう、人様にたすかって頂けるようとの心で通られせて頂くことが大切です。」
「赤い衣物は、明るい精神、明るい心をお示しになっていますので、自分さえよければ人はどうなってもかまわない、というような埃の心、暗い心ではなりません。真実誠の心で日々通らせて頂かなければなりません。この心を親神様が御覧なされて、いかなる御守護もくださります。」とお伝えくださいます。

「心の守りが身の守り」
心で教えを守って通るなかに、わが身を護っていただける台が培われていきます。
教えを守り、真実を尽くすからこそ、大難は小難に、小難は無難にご守護いただけます。

みちのとも 184年(2021年)1月号 より抜粋 

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