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『天理教』とは

天理教について
はじめてシリーズより
知らない人にお話するときに

おやさと案内

親里(おやさと)とは
全人類が創造されたところ
創造の親である親神天理王命(おやがみてんりおうのみこと)が鎮まる「ぢば」周辺のこと
「ぢば」を中心として天理教教会本部とその関連施設のあるところ。

※ぢばとは
教会本部神殿の中央、かんろだいと呼ばれる台の据えられている地点

・天理の街の看板に「ようこそおかえり」と書いてあるわけ
神様(親神様おやがみさま)がこの世と人間を創造されるとき、人間を最初に宿し込まれたところが「ぢば」で人々がその人間の故郷ふるさとに帰ってきて、なぜか懐かしさを覚える。
「ようこそおかえり」と神様が迎えてくださっているのである。

ぢばに参ることを「ぢばに帰る」「おぢば帰り」という。

元のぢばであればこそ、安心してもたれて通れる道がある。

幸せの道しるべとして、人間の魂のふるさと「親里・ぢば」へ誘います。

「ようこそおかえりなさい、親里・ぢばへ」

神殿・礼拝場

四方から拝せる、どこにもない参り所

四つの礼拝場の真ん中に神殿があり、その中央のぢばに、元人間が宿し込まれた証拠として「かんろだい」が据えられています。
親神様のお鎮まりになるところであり、礼拝の目標(めどう)となっています。

※かんろだいとは
教会本部神殿の中央、人間創造の元の地点である「ぢば」に、その標識として据えられている台。六角形で、大小十三の部分を積み重ねて造られている。木製で「雛型かんろだい」と呼ばれている。「かんろだいは雨打たし」と教えられ、真上の屋根はくりぬかれている。

1尺=約30.3cm
1寸=約3.03cm

「かんろだい」に向かって、だれもが四方から参拝できる、珍しい参り所
二十四時間開放されていて拝観料も入場料もいりません。

神殿案内図

教祖殿(きょうそでん)

教祖中山みき様は明治20年(1887年)、50年のひながた(人間の生き方のお手本)を残して、お姿をかくされ、以降も存命同様のお働きをしてくださっています。
3度のお食事を用意し、お風呂をたて、お仕えしています。
真柱(しんばしら天理教の統率者)が教祖の理を受けて「おさづけの理」をお渡しくださるのも教祖殿。

※おさづけの理とは
病だすけの手段として渡される授けもの。「おさづけの理」を頂いた者が、病で苦しんでいる人に真実の心を込めて、この理を取り次げば、心次第でどんな痛みも悩みも取り除いて頂ける。

御用場(ごようば)

教祖の御用をするところ
安産の許しの「おびや許し」、「お守り」、「御供ごく」をお下げ頂く場所。

祖霊殿(それいでん)

天理教では、死を「出直し でなおし」と呼び、出直した人をまつり、その生前の徳をしのぶところ。
出直しのことを、着物にたとえ、
「古い着物を脱いで、新しい着物に着替えるようなもの」と教えられています。
親神様の心を体して、人だすけに尽くした人々がまつってあります。

回廊(かいろう)

神殿(東西南北の礼拝場)、教祖殿、祖霊殿をつなぐのが、二階建ての回廊。東・西回廊合わせて1周約八百メートルあります。

回廊を歩くと、木の床をから拭きしている人の姿をあちこちで見かけられるでしょう。自らの心を磨くため、あるいは、人の病の平癒を祈っての自発的な行為です。

天理教とは

この世と人間を創造された親神天理王命(てんりおうのみこと)が、天保9年(1838年)、教祖中山みき様の口を通して初めて明かされた、人間が陽気ぐらしをするための究極の教え

教祖を通してすべては明かされた

「月日のやしろ」として

※月日のやしろとは
神のやしろとも言う。天保9年(1838年)に親神様が入り込まれてからの教祖の立場。月日(神)の鎮まるところという意味。月日のやしろとなられてからの教祖は、姿は人間のままであるが、心は親神様のお心そのものであった。

「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろにもらいうけたい」─親神天理王命が、教祖中山みき様の口を通しておおせになった最初のお言葉です。
 これより教祖は「月日(神)のやしろ」と定まられ、天理教は始まりました。天保9年(1838年)10月26日のことです。

神様のお言葉(おさしづ)に、「ほん何でもない百姓家の者、何も知らん女一人」「何処へ見に行ったでなし、何習うたやなし、女の処入り込んで理を広める処、よう聞き分けてくれ」と教祖のことが語られています。
教祖は、難行苦行して自ら悟りを開いた、というわけではありません。
この世と人間創造の親神様が入り込まれて話されたのです。
姿は人間、農家の一主婦ですが、その心は親神様の心そのもの。
おっしゃるお言葉は「千に一つも違うことなし」

※おさしづとは
三原典の一つ。教祖と本席・飯降伊蔵の口を通して語られた神の指図を書き留めたもの。明治20年(1887年)から同40年までのお言葉が、全7巻に収められている。

この教祖のお言葉を信じることから、私たちの信仰は始まります。私たちが物心ついたころ、親の言葉を信じて、実の親や生まれた年がわかったように。

生きる目的は「陽気ぐらし」にあり

人間が創造されたわけ
人類は「いつ」「どうして」つくられたのか?
人間は「だれが」「なんのために」つくったのか?
それは、人間を創造した「元の親」にたずねるしか術はないのでしょうか?
教祖が自ら筆を執られた書き物(おふでき)に、「月日(神)には人間創めかけたのは、陽気遊山が見たいゆえから」とあります。人間が陽気ぐらしをするのを見て、神も共に楽しみたいというわけです。

※おふでさきとは
三原典の一つ。教祖が直接筆をとって書かれたもので、千七百十一首の和歌体のうたからなる。

神言おさしづに
「陽気というは、皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めんめん楽しんで、後後の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん」とあります。
各自勝手の陽気はいましめ、他を勇ませてこそ真の陽気とうたわれています。
互い立て合いたすけ合うこと。つまり、人間はそれぞれ異なります。したがって、互いの良いところを伸ばし合い、足りないところは補い合って、たすけたり、たすけられたりしながら、共に生きることを言います。
陽気ぐらしこそが、私たち人間の生きる目的なのです。

あの世でなくこの世に極楽世界

いま・ここで陽気ぐらし

人間は、いつの世も変わらず極楽世界を求めてきました。この世での暮らしが苦しければ苦しいほど、あの世に極楽を思い描いてきました。
しかし、教祖はこの世に陽気ぐらしを実現するんだと言われました。
私たち人間は、生まれ変わり出変わりしながら、魂をつないできました。そして、これからもつないでいきます。その間、ただ漠然とではなく、そのたびごとに向上、昇華させていくよう、心遣いを正す努力が大切になってきます。

私たちが心しておきたいことは、命を終えて再び出直してくるのは、ほかでもない、この世ということです。次に生まれ変わってきたときに、この世の住み心地が悪いというようでは困りものです。
陽気ぐらしは、「いま」の世界にあります。
陽気ぐらしは、条件がすべて整わなけれぱできないとなれば、いつまでたっても、おそらくできないでしょう。そうではなくて、いま、そのまんまで、心ひとつで、いくらでも喜べるというのが天理教の基本的な考え方です。
毎日、毎日、”心の陽気遊び”をかなえたいものです。

人間は同じ親を持つ兄弟姉妹同士

魂に高低のない間柄

「世界一れつの人間は、みな神の子や。何事もわが子のこと思てみよ。ただ可愛いいっぱいのこと」と教祖のお話で伝えられています。
親神様はすべてを創造された「元の神」であり、いまも変わることなくご守護くだされている「実の神」です。親神様は、人間の親がわが子を思うように、かわいいっぱいの親心でもって、私たちを導いてくださっています。
 そして私たち人間は「みな兄弟姉妹」と教えられています。同じ親神様を親とする兄弟姉妹なので魂に高い低いの差はありません。
「同じ5本の指のごとく、兄弟なら、どの指かんでも身にこたえるやろ」と、隣人の難儀も他国の災難も”我が事”と心得て何事にも取り組みたいものです。

せかいぢういちれつはみなきよたいや
たにんというわさらにないぞや
(おふでさき 十三 43)

高山にくらしているもたにそこに
くらしているもをなしたまひい
(おふでさき 十三 45)

おふでさき

世界中一れつは皆兄弟や
他人というは更にないぞや

高山に暮らしているも谷底に
暮らしているも同じ魂

ぢばでしか勤められない「かぐらづとめ」

人間創造の姿をいまにあらわし

天理教にとっての「おつとめ」
独特の祭儀として、世界中の人間をたすけ上げるために教えられたもの。
その最高儀礼は「かぐらづとめ」と呼ばれ、男五人、女五人の計十人(つとめ人衆にんじゅう)が、かぐら面をつけ、歌と鳴物の調べに合わせ、ぢば・かんろだい(本部神殿中央)を囲んで踊り勤めます。
 ぢばは、この世と人間創造のとき、最初に人間が宿し込まれた地点で、その証拠としてかんろだいが据えられています。そして、十人のつとめ人衆は、親神様の十全の働きを、それぞれ手振りにあらわします。
混沌とした中から、悠久の時間をかけて人間が創造されていったその姿を、いまにかえして、ここに再現されます。その動きはいかにもダイナミズムに満ち、感動的です。
 参拝者も含め、勤める人の心が澄み切り、一つになって勇めば勇むほど、神様も勇まれ、神も人も喜ぶという陽気がみなぎり、ご守護があまねくゆきわっていきます。

かぐらづとめは、その意味合いから、かんろだいづとめ、ようきづとめ、たすけづとめなどと呼ばれます。また本づとめと言われ、「ぢば」でのみ勤められます。

どこにもない人間と世界創造の真実話

悠久のいのちのドラマ「元初まりの話」

天理教には、「元初まりの話」と呼ばれる、人間創造の説話があります。本教独自の、この世と人間の生成発展の姿をそこに見ることができます。親神様が、世界中の人間を真にたすけるために明かされた、根本的な真実(元の理)のお話しで、世界各地によくある創世説話とは、意味を異にします。「たすけの理話」と言われます。

─親神は泥海を味気なく思い、人間をつくり、その陽気ぐらしをするのを見て共に楽しもうと発想した。人間と世界を創造するにあたり、道具となるものを引き寄せ、その合力によって九億九万九千九百九十九という種から始めた。三度の出直し(死)と八千八度(やたび)の生まれ変わりを繰り返し、気の遠くなるような年限をかけ、心尽くし切って育て上げ、ようやく人間は成人を遂げた。その成長に応じて環境も整い、やがて人間は陸上の生活をするに至る─
 この間の産み育ての十の働きを”十全(じゅうぜん)の守護”(温み、水気、皮つなぎ、骨つっぱり、飲み食い出入り、息吹き分け、切り離し引き取る、引き出し、種の理、苗代の理)と言い、いまなお変わることなく、私たちの身体をはじめ、自然界のあらゆるところに張り巡らされています。すべてが息づいているのは、その
ためです。
 私たちの今日の姿をいっそう理解し、明日への生き方をより豊かにするためにも、「元の理」を絶えず尋ね伝え広めていきたいものです。

からだは神様からの「かりもの」

心だけが自分のものということ

人は病気になったときに初めて健康のありがさたさがわかります。私たちは普段、当たり前のように身体を動かしていますが、身体が自由に使えるのも、親神様のご守護(十全の守護)が身体の中でバランスよく保たれているからです。

このことを「かしもの・かりもの」と教えられています。人間のからだは神様から見れば、人間に貸しているのであり、(かしもの)、人間からすれば、神様から借りている(かりもの)のです。

神様のお言葉おさしづに「人間の思うように行かんは、かりものの証拠」と明快に示されいます。

”私(神様)が内臓の働きをつかさどってあげるから、手足などの道具を使って陽気ぐらしのために働いておくれ”と、人間に自由に使える心が与えられているのです。それを「(人間身の内は神のかしもの・かりもの)心一つが我がのもの」と言われます。

心は思うように、善にも悪にも使えます。自分に任されてあるがゆえに、使い間違えのないよう、心したいものです。

働くとはハタハタを楽させること

陽気ぐらしの労働観

人間は、生きるために働かなければならない、働くことは人間の義務であるかのように考えられていますが、たしかに、私たちは労働によって賃金を得て、それによって生活に必要なものを手に入れますが、はたして、働くということはそれだけでしょうか。

教祖は、「はたらくとは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(側楽)と言うのや」と教えられました。周囲の人に楽してもらう、人々の役に立つことが、働くことの真意と言えます。
また教祖は、「人間というのは働くためにこの世に生まれてきたのや」ともおっしゃったと言われてます。生きるために働くのではなく、働くために生きているということです。

働くことの中に生きがいを見出し、働くことが苦痛でなくなることが、陽気ぐらしの条件と言えます。

「陽気遊山」「陽気遊び」と表現された意味合いが、その辺にあるのではないでしょうか。

※陽気遊山とは
野山に遊びに行くのが遊山。そういう気分で毎日過ごすことが陽気ぐらし。時間、物、金など、何事にもとらわれず、心に掛かることのない状態。

「山の仙人」より「里の仙人」

日常の中の神一条の生き方

教祖は、この教えを信仰する人々に、「里の仙人」になるように促されました。
 仙人とは、ふつう、人里離れた山の中で、人間の欲望を抑えて修行を積み、超人的な力を身につけた人のことを言います。これが山の仙人であるのに対して、里の仙人とは、人の多く住む中に身を置き、それでいながら世塵にまみれることなく、常に澄みきった心で暮らしていく人のことです。
 教えの中に「ふたりの心をおさめいよ」とか「人をたすけてわが身たすかる」などとあるように、対人間関係の中で、複数の中でこそ信心は進められていきます。

そして、その中で求められるのが「神一条の精神」。里に生きるがために、欠かせない気持ちです。

神一条とは、親神様の教えに一途で、その教えにすべてを合わせること。さまざまな事象に出合って、教祖なら、こういう場合どうされるだろうか?と思い巡らすこと。

世俗的なものの見方に流され、世間体や常識にとらわれることなく、絶えず教えを定規として判断し、さらに積極的に行動に移して(※ひのきしんの態度)こそ、里の仙人のゆえんが、より鮮明になります。

※ひのきしんとは
「日の寄進」寄進とは、だれでも日々にできる親神様にささげる行い。
無償の行為で、親神様のご守護があるからこそ、からだを動かすことができるのだという、喜び勇んだ心が込められている。
この感謝の心から生まれる行動すべてが、ひのきしんです。姿形ではなく、そこに込められた心が大切なのです。

私たちの真の生き方の手本

教祖五十年の「ひながた」

天保9年(1838年)10月、教祖は、「月日のやしろ」になられて以来、五十年にわたって─教祖数え41歳から90歳まで─、人間の真に幸せに生きる道の手本ひながたをお示しくださいました。
 口で解き、それだけでは忘れるからと筆に記し(おふでさき)、さらに、行いにまで示して、万人の通り方を残してくださいました。
「教祖(五十年)のひながた」と呼んでいます。

前半の二十数年は、物を施し、母屋を取り壊すなど、貧に落ちきる道。その中で、物への執着を取れば、おのずから心に明るさが生まれる、無いことより有ることに目を向ければ、親神様のご守護はいくらでも身近にあふれていると、教えられました。
七十の坂を越えてからは、警察署や監獄所に拘引・留置されること十数度。反対攻撃する者、取り締まりにくる者に対して、まさに刃で向かってきても真綿で受け止めるように、駄々をこねる幼子を抱きかかえるように、すべてを包み込んで、いそいそと通られました。
旧来の因習などにとらわれて縮かんでいる人々の心を解放し、皆が勇める道を示していかれたのが、教祖のご姿勢でした。

二つとない偉大な”遺産”だと言えましょう。

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