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GWと耳裏の日焼け

腕と太ももと腰とふくらはぎの痛み。得たものの代わりに背負ったものだ。

僕がGWに「婿の使命」を果たしに出かけたのは、奥さんの実家だった。

目的は、たんまりとご当地名物をいただくこと。ではなく、田植えの戦力になること。

奥さんの実家は兼業農家。かつて田植えは親戚一同が集まるビッグイベントだったようだけど、その親戚も高齢化やライフスタイルの変化に伴って集まりが悪くなってしまったとのことだった。

そんな折、娘がいまだ20代の僕を連れてきたとあれば、戦力とするほかないだろう。僕もふたつ返事で引き受けた。

ただし、僕には田植えの経験がなかった。小学生の頃に「なんちゃって田植え体験」をしているから、「ほとんどなかった」といったほうが正しいかもしれない。もっとも、小学生の記憶も忘れ去ってしまったけれど。

打ち解けきれていない義母と義父のもとで師事することに一抹の不安をかかえつつ、上陸した。

田植えは、奥さんの実家に降り立って2日目の朝からはじまった。

手で植えていくことを想像していた僕は、最新式の機械を使って植えていくことを知ってまず驚いた。話を聞くと、いまはGPSを搭載していて全自動で植えられる機械もあるらしい。初日の朝にして、いかに田植えについて知らなかったかが浮き彫りになった。だって小学生の頃は手で植えたんだもん。

僕の仕事は、大きく分けて3つだった。

ひとつは、機械をあやつる義父に苗を渡すこと。機械に載せられる苗には限界があるから、植え続けているといつか尽きてしまう。それを防ぐべく、定期的に苗を補給するのだ。

ふたつめは、機械の移動によって穴が空いてしまった田んぼの土をならす、つまり平たくすること。「トンボ」といって伝わるだろうか、サッカー部や野球部がグラウンドの土をならすのに使うアレに似た器具で、田んぼの土を定期的にならしていく作業だった。

みっつめは、軽トラの荷台に苗を載せること。田んぼが少し離れて点在しているから、ビニールハウスにある苗を手で運ぶには遠い。それもひとつの田んぼにつき大量の苗が必要だから、いちいちハウスに戻ってくるのは非効率的なのだ。だから軽トラの荷台に設置された「苗置き場」に苗を詰め込んで運ぶ作業が必要だった。ちなみに僕はペーパードライバーなので、運転手候補からは早々にひっそりと脱落した。

これらがまた、当たり前だけど、どれもかなりの力作業だった。そこそこの重さがある苗は腕にダメージを蓄積させ、水を含んだ田んぼの土はトンボを通して僕の全身から力を奪った。疲弊した僕は、ハウスから苗を運ぶときに使う一輪車ごとひっくり返しそうになった。ほんとうにつまみ出されなくてよかった。

お昼休憩には人目もはばからず爆睡し、午後になってなんとか手順を覚えたところでもう18時。大した戦力になれないまま1日目の作業は終わりを迎えた。

2日目、起床と共に蓄積した疲労が元気よく顔を覗かせる。あぁ、おはよう。

なんとなく体に馴染んできた作業着を身につけ、いざGWの出勤2日目に向かう。

動きは、前日と比べものにならなかった。

1日目でもう段取りはわかった。確実にタスクをこなす。次にすべきことを探す僕の目はまるで、先輩に気に入られようと必死だった新卒のころのようだった。一度経験してみれば、作業自体はくり返しだ。「完全に攻略した」と、僕は不敵な笑みを浮かべていた。

しかし、そんな僕の慢心を、ダメージを背負った体が見逃すはずがなかった。

1日目よりも急斜面での作業を続けるうち、ふくらはぎがうめき声をあげはじめた。おかげで僕は、はじめて自主的にアキレス腱を伸ばした。準備体操で「これ何の意味があるんだろう」と思っていたかつての僕に教えてあげたい。ほんとうに「切れそう」と思うことがあるんだよと。

そんな状況でも、経験値は確実に溜まっていった。2日目の後半には、義父と義母の「苗が足りるかどうか」の戦略会議に入れるようになっていた。田植えをはじめて2日目のやつが「もうちょい積んどきますか〜!」とかいってた。いまになって少し恥ずかしい。

頭とは違っていつまでも成長しない体を恨めしく思ったり、「先に上がっていいよ」という義母の言葉を鵜呑みにしてさっさと帰宅したあとで心配になったりしながら、2日目は終わった。これにて、長いようで短かった、僕の田植え初体験は幕を下ろしたのである。

田植えを終えた僕の頭には、田植えを経験する前から予想できたような、ありきたりな言葉が浮かんでいる。

「良い経験になった」「米のありがたみがわかった」

しかしその「濃さ」が、「太さ」が、これまでと随分違う。

覚えているから。作業着の暑さを、土の匂いを、苗の重さを、照りつける日差しの痛さを、トンボの難しさを、休憩に飲むお茶の美味さを、昼寝の尊さを、土手で受ける風の気持ちよさを、作業後の風呂の清々しさを。

まだ体に残る疲労感と日焼けが、なによりの勲章で証明だ。僕にしか手に入れられないものだ。

それでも、今日はもう何事もなかったかのように、いままでどおり満員電車に乗り込んでいる。コンクリートに囲まれて出勤していると、あの日々がなんだか夢だったような気がしてしまう。

耳裏の日焼けがかさぶたになったみたいに、五感に染みついた田植えも薄れてしまうのだろうか。

でも、それでもいい。時間をかけて体に染みこませたい体験に出会えたのだから。

今年はいつもより盛大に、「収穫の秋」がやってくる。

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