m2エッセイ「自分、エッセイいいすか。」第一回

第一回 池波作品と池波正太郎ごっこ

 歴史が好きなので、自然と歴史モノのドラマや時代劇が好きとなる。
 私が中学生の時、故・中村吉右衛門さん主演のドラマ時代劇「鬼平犯科帳」が放送スタートした。
 「鬼平」のドラマ化はこれが二代目なのだと知ったのは随分経ってからなので私からしたら「鬼平」といえば吉右衛門さんであるし小房の粂八は蟹江敬三さんだし、相模の彦十は誰がなんと言おうが江戸家猫八さんだ。
 そして「鬼平」の単語を見るだけで脳裏にはジプシーキングスの「インスピレイション」が流れ出し、小雪の降る中二八そばをすするオッサンの映像が鮮やかに浮かぶのである。
 話がそれた。
 「鬼平」ドラマ好きな中学生は大学生になる頃には重度の活字中毒に陥り、手当たり次第に歴史モノの小説やらを読み漁り始め、池波作品にその手が伸びるのは自然の成り行きではなかったかと思う。

 池波作品は一種の毒だ。
 江戸の町が舞台ならばまず間違いなく飲食店での描写が出てくる。
 何なら江戸でなくたって出てくる。
 しかもやたらと具体的だ。
 絶対に真夜中に読むべきではない。
 言うなればあれは「原始の飯テロ」ではないのか。

  「おれが故郷(くに)じゃあね、しんこ泥鰌といって、
  小ゆびほどの小せえ泥鰌が取れる。
  父ちゃんは、こいつを鍋へ入れてね、ごぼうをこう細く
  切って、味噌の汁をつくるのがうめえのさ。大きい鍋に
  いっぱいこしらえてよ。
  おっ母と三人で、ふうふう言いながら何杯も汁をすする 
  のさ」
            (第一巻 「浅草・御厩河岸」)
 
 こんなの読まされて泥鰌の味噌汁食いたくならないわけがないだろいい加減にしろ!
 今すぐに新幹線に飛び乗って浅草の行きつけのどぜう鍋屋へ行きたくなる。
 まあ、自分が食べたことのあるものならばまだ良い。良いか?まあいい。

  「芋酒というのは……。
  皮をむいた山の芋を小さく切って笊(ざる)に入れ、
  これを熱湯にひたしておき、しばらくして引き上げ、摺
  り鉢へ取ってたんねんに摺り、ここへ酒を入れる。
  つまり、ねり酒のようにしたものを、もちいるときに燗 
  をして出す。
  『いやもう、加賀やの芋酒をやったら、一晩のうちに五 
  人や六人の夜鷹を乗りこなすなざぁわけもねえ』
  と、これは近辺の大名屋敷にいる[わたり中間]のせり 
  ふだ」
                (第五巻 「兇賊」)
 
 いや、「つまりねり酒のように」じゃないんですよ池波先生!!
 何すか、ねり酒って。
 飲んでみてえ、芋酒!!!効果はどうでもいい!
 味が見たいわ!その芋酒の味を見せてちょうだい!
 自分で作れそうなのがまたいやらしい。味なんか皆目見当がつかない。
 芋酒の店の描写はまだまだ続く。

  「九平の店で評判の食べものは、[芋膾(いもなま 
  す)]である。
  これは、里芋の子を皮つきのまま蒸し上げ、いわゆる 
  [きぬかつぎ]をつくり、鯉やすずきなどの魚を細目に
  つくって塩と酢につけておき、芋の皮をむいて器へもっ 
  たのへ魚の膾をのせ、合わせ酢をかけまわし、きざみし
  ょうがをそえた料理だ。」

 はい、絶対美味いですこんなん。
 暑い日の夜にね、これをさかなに冷酒なんか流し込んでご覧なさいよ。
 満足しないわけ無いでしょ?!?!
 
 …とまあ、池波作品を読んでいると物語の面白さに引き込まれながら食欲という最強クラスの煩悩をこれでもかと刺激されるハメになる。
 食い物の描写が一見簡潔なのに読み手の食欲や想像力をかきたてるのは池波先生の筆の冴えもさることながら、ご自身が食通であられた事も大きいと思う。
 事実、池波先生のエッセイや日記を紐解くとまあ食い物の話題に事欠かない。
 寿司だ、蕎麦だ、天ぷらだ、うなぎだ、洋食だと。
 自然、ご自身も描写しやすかったであろう蕎麦屋は「鬼平」でよく登場する。
 「鬼平」は「ゴルゴ13」でおなじみ、故・さいとうたかを先生によりコミカライズされており、そちらも愛読しているが、まあ居酒屋やら蕎麦屋での鬼平さんがかっこいいのだコレが。

   親父、熱いのを頼む。それと、酒を…な!
  
 これである。これをやりたいのだ私は。
 もはや池波正太郎ごっこではなく、蕎麦屋での鬼平ごっこの様相を呈してきたがまぁ良かろう。
 こう、「サッと現れ、軽くつまみ(板わさや天ぷら)と酒を頼み、軽く酔ったところでもりそばを頼み、冷たいそばで酔いを覚まし、『うまかったよ、ごちそうさん』と颯爽と勘定を済ませて去る」のをやりたいのだ。
 もちろん和服だ、着流しだ。
 下駄履きが良いがこのご時世、アスファルト100%の地面で下駄はうるさいだろうから雪駄でいい。
 うなぎ屋ならば注文してから焼き上がりを待つ間、肝焼きやうざくで酒をちびちび飲りながら過ごす。
 もちろんスマホなんざ見ない。
 百歩譲って文庫本であろう。
 ただここで池波作品だといかにも「ミーハー池波ファンによる痛い池波ごっこ」であることがバレてしまうのでそうだな…なんか知的な…中原中也の詩集とかでいいだろ。
(頭悪そう)

 実は大学生の時一度だけこの「池波ごっこ」を蕎麦屋で敢行した事がある。
都内の大学に通う私が住まうアパートのすぐ近くに蕎麦屋があった。
 すでに「鬼平」原作の愛読者となっていた私が思い立たぬ道理はない。
 だが結果は惨憺たるものであった。

「すみません、卵焼きと板わさと、日本酒を2合ください」
 …頼み方に粋のかけらもないがここまでは良かった。
(ん、板わさと日本酒うめえな)
(お、ここの卵焼きうめえな)
…このへんで雲行きが怪しくなってきた。
「すみません、天ぷら盛り合わせと生ビール!」
…待て待て待て、池波ごっこどうなった!?
(っかぁ~~!!!天ぷらとビールたまんねぇ!!)
…戦線は崩壊した。衛生兵!衛生へーい!!!
「すみません、生ビールおかわり!!あと玉子焼きも追加で!!」
…。
「すみません、おしんこ盛り合わせ!あと日本酒2合!」
……。
(あ、そば食ってねえや)
「すみません、もりそば!大盛り!!あと日本酒1合!!」

 …。
 そしてお蕎麦屋さんで「魚民かよ」ってくらいバカ食いバカ飲みした私は会計で冷や汗を流すハメになるのであった。
 「こんなの池波ごっこじゃないわ!ただのデブの爆食い 
 よ!」
 「だったらもう一回やればいいだろ!」
 …無理なのだ。
 大学生の懐具合でできる遊びではないと悟った私はもうその店へ行けなかったし、就職のため秋田県へ戻った私の前にそうしたタイプのお蕎麦屋さんは現れなかったのである。
 環境はあるのに金がない。金はあるのに環境がない。
 この場合いずれが不幸なのであろうか。
 そして私は今日も着流しの自分を妄想しながらジャージ姿で一袋108円の乾麺そばを茹でてぬるいざるそばをすするのである。
 脳内で「インスピレイション」を再生しながら。

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