あだち充は運命を駆け抜け続ける

ゆで卵を茹で続けることを止めてはいけない。
卵の鮮度や水の温度によって、外の白身の仕上がり、黄身の固まり具合がまるで異なり、殻の剥けやすさや味付ける際の浸透しやすさまで、ちょっとした違いが千差万別のゆで卵になる。
私達は、内面に広大な暗い虚無と芯を貫く光の両方を備えている。
例外なくだ。
しかし何に躓き、どこで立ち上がり、いつまで歩くのか、というのはあらゆる人が異なったバランスで持っている。
そうした前提を踏まえた時、私は思うのだ。
柔らかく力強いインプットを続けることでしか、人の豊かな内面が形作られることはない。
喜び、心奪われ、恐れ、憧れる。
そんな自分の心の営みと他人のそれを推し量ることからしか、豊かで内なる世界が培われることはない。
私は、あだち充の漫画は、そうした内面の豊穣な世界へ導く、柔らかさと輝きを持った稀有なフィクションだと信じてやまない。
そして、彼の描く普遍的なストーリーを噛みしめることで、自分の価値観を選び取る時にさえどうしても外部の情報を遮断しにくい現代の環境を歩む上で道標になると信じている。

あだち充は、現在、小学館の月刊誌「ゲッサン」で、昭和に大ヒットした「タッチ」の明青学園を舞台に、血の繋がらない兄弟バッテリーによる甲子園を目指す漫画「MIX」を連載中だ。
この漫画では今ちょうど、主人公が高2の夏を迎えて、甲子園の一歩手前まで来ている。
過去に甲子園を巡る大ヒット漫画を連載してきたあだち充が、古希を過ぎた視点から、若者を令和のイメージが取り込まれた甲子園に到達させる日は、もう近いと私は予想している。
彼の漫画は、落語のような軽快なセリフ回しのギャグや、繊細な心模様を寡黙でも表現できるラブコメ要素で彩りながら、その核には熱い情景描写を通した人間の運命の綾を描くような普遍的なストーリーが描かれている。
特に、プロ野球という将来へ繋がる全国トップクラスの水準の高校野球をメインテーマに据えた平成の大ヒット漫画「H2」では、そうした普遍性は顕著に現れている。
「ヒーロー」に由来する名前を背負った千川高校の国見比呂(投手)と明和一高の橘英雄(三塁手)は、それぞれが春・選抜の優勝校のエースと前年夏・選手権の覇者の4番というヒーロー同士が、最後の甲子園で最高の対決を迎える物語だ。
2人は中学3年間は同じチームで支え合い、高校3年間は別々の高校で切磋琢磨する。
お互いの恋人でヒロインである古賀春華と雨宮光も交えた4人の「H」による青春模様として7年に渡る長期連載は人気を博した。
この漫画の持つ普遍性は、ヒーロー2人を中心に作品上で野球に向き合うことで、悪辣なライバルやヒーローになり損ねた凡人を含めて、多様な人間を包む讃歌となっていることにある。
一例をあげれば、勝利至上主義で卑怯な手も辞さず、非凡な才能を持ちながら国見比呂と対戦して高2の夏で敗れた広田勝利は、その後も何度も登場する。
高2の秋の都大会では最高の4番打者としてその技術を見せることで、野球への真摯さを取り戻し、国見比呂も認めるライバルに昇華した。
しかし彼は、それまで敵チームの選手を故意にケガさせたことなど過去の罪に対する公的な罰は漫画のストーリー上でも受けていない。
その罰は、広田勝利自身が好きであることを自覚した野球を辞めることで、一応の落とし前をつけさせたのだろう。
あだち充の優しさは、その後の彼に粋なシーンを与える。
国見比呂がランニング中に広田勝利とすれ違った時、ユーモアを交えた皮肉に広田が怒り、「消えろ」と言われた後に国見は、朗らかにこんな言葉をかける。
「趣味の草野球ならいつでもつきあうからなァ」
憎しみさえ抱いたとしても、白球を通して語り合うことで、関係を築き直せることを示唆した短くとも味わい深い讃歌だ。
また、凡人への救いとしては脇役の木根竜太郎による甲子園の準々決勝という大舞台での完投劇が最も印象深いだろうが、もっと短く、たった数コマで味のある救済を表現した場面もある。
国見比呂の公式戦で最初に出会った強敵で、11~12巻でノーヒットノーランを喰らう石神商業高校に関わる場面だ。
12巻では、石商の監督はノーヒットノーランで野次られ、気落ちして泣く者もいる選手たちに確信を持って声をかける。
「いずれわかる。あの投手からヒットを打てなかったことが、それほど恥ずかしいことかどうかはな」
そして1年後を描いた30巻で、千川高校が東京都予選でベスト8進出を決めた試合に、再び敗れたのが石商だったのだ。
国見比呂はその時までに、甲子園でもノーヒットノーランを達成し、春の選抜で優勝した高校最高の投手となっていた。
敗北に肩を落とす選手はいるが、恥じている様子はなく堂々としている。
監督は笑顔で今度はこう声をかける。
「胸を張れ、あの国見から2安打したんだ」
1年で高校球界の頂点へと登り詰めることのできる努力に裏打ちされた天才もいれば、ほんの2安打の前進に過ぎなくても、誇りを持って敗れることもできる。
この群像劇は、あだち充が優しく救いを差し伸べた社会の一端に思えて仕方がない。

「H2」のクライマックスは当然ながら国見比呂と橘英雄の全力の対決だ。
34巻の大作で描く最高の打席は、たった2話で描かれる。
まず1球目は、高く浮いてボールとなるが、観客をどよめかせる全力のストレートだった。
2球目はタイミングがあったものの、球の下を捉えてファール。
3球目は浜風で流されてしまってレフト線を切れてしまった特大ファール。
思えば、この試合の前日から、両者のあり方は違って描かれていた。
勝負の明暗を分けたのは、その点だった。
国見比呂は、試合前日の夜に宿舎を抜け出し、比呂自身の幼なじみであり、ライバル橘英雄の恋人である雨宮光に「口先だけでもいい」と頼んで、こう言葉を貰っていた。
「がんばれ、負けるな」
そして、試合当日、橘英雄との最後の勝負に向かってベンチから出る時、恋人であり、マネージャーである古賀春華からも励まされた。
「がんばって!」
自分の中だけで完結させず、他人に頼りながら野球の道を突き進もうとする国見比呂の姿がそこにはあった。
一方で、橘英雄は、漫画の序盤から度々、「強くなりたい」と口にして、己を高めることに専心していた。
運命の試合の前日、恋人の雨宮光が国見比呂と会っていたことに気付いていながら、そのことには触れない。
光が「ヒデちゃん」と声をかけると、彼女の言葉を待たずに宣言する。
「心配すんな、絶好調だよ。期待していいぞ、明日の試合は」
彼は、プロ野球の打撃記録を塗り替えると豪語するに見合う実績と努力に裏打ちされた自信を見せる。
彼はきっと、恋人の言葉に頼らない孤高の強い姿を理想としていたのだ。
結局、己の信念と力で挑んだ橘英雄は、恋人にも幼なじみにも奮い立たされた国見比呂に空振りに取られ、試合は終わった。

「H2」ではエピローグとして、ヒーローとヒロインの4人の関係が、短く示唆される。
あだち充の豊潤なストーリーテリングは、大団円の2組の恋愛の成就を感じ取っても良いし、遠くない未来の4人の別離とも思えてくる。
結論が1つに収束しない長編青春ストーリーを読み解くことは、ゆで卵を茹で続けて弾力や味を確認するように、自分の内側を柔軟に組み替えながら力強い思想を生む源泉となる。
だから今こそ、運命を描くあだち充を読むべきだ。

#PS2021

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