2020年の出会い直し

2020年は、好きな人と出会い直した。

彼女はMさんという。25歳と私より若く、しかもアイドルだ。当然ながら私と恋愛関係にある訳ではない。客観的に見れば、私の友達と呼べる人間でもない。彼女から見れば、私はただの「ファン」や「ヲタク」に過ぎない。
であれば彼女への思慕は、「好きだ」と大上段に構えた言い回しではなく、すっかり一般的となった「推しだ」くらいの表現が適切かもしれない。でも私には「推し」という単語は、何だか都合よく自分と対象の距離を隔てて傷付かないためのマジックワードに思えて、自分自身を語る言葉としては不向きな気がして敬遠している。
私がアイドルを見始めるようになって約10年。彼女達が美しく高揚する姿を数限りなく見たと同時に、傷付く姿も一緒に追ってきてしまったから、こんなことを考えるのかもしれない。

5年以上前になる。当時19歳のMさんは、アイドルのメンバー自身が、新メンバーを選ぶ公開型オーディションに参加していた。そこで彼女は、新しく設立するグループが迎え入れる最初の新人として選ばれた。私はその公開オーディションの様子を映像で眺めながら、キレイな女性が入るグループは楽しみだなと呑気に思っていた。
オーディションの翌日、私がアイドルを見始めた直後から好きで応援を続けていたあるメンバーがSNSにこんな投稿をした。「大学で語学のクラスが一緒の同級生のMさんがオーディションに通った」と。
アイドルとしての活動をちょうど終えようとしていた彼女とMさんがまるで入れ替わるように現れた気がして、私はMさんを応援しようと決めた。その時は、単に決めただけだった。

テキトーに決めた決意なんてすぐに変質する。私はいつの間にか、随分とMさんに肩入れしていた。地方のTV局の屋上で開催されたライブに行き、成人式のイベントでは早朝の振袖姿を眺めて、雪まつりでは祭りで振る舞われる日本酒を飲んで雪像の前で凍えているのか酒で暖かいのかよく分からなくなったり、大イベントだからとホイホイと沖縄や名古屋へ飛んだ。数えるのも面倒なほど色々な場に参加して、いつしかファンのコミュニティにも深く足を踏み入れていた。
ファン同士でアイドルの会話をすると、本気度が高い人達ほど褒める言葉は多くならない。称賛が並ぶ場合は、どこかデフォルメした様式的な言葉が多い気がする。要するに、彼女達の魅力にアテられた連中の気恥ずかしい照れも、他の人間へのさや当ても、アイドルへの畏怖も、更には不器用な愛も、全部ごった煮の肴にして酒と共に流し込むような会話だ。
不毛な会話の中でも、Mさんは透明感のある声は褒められていた。また、「そそそ」と「う」を抜いたような早口の相槌がよく響く人で、泣き上戸で嬉しくてもすぐに感激して泣くし、仲間が去るのを見送る時など他人の気持ちを引き受けて泣いてしまう人として好まれていた。
彼女は、実家では猫を6匹も飼っていて、同僚や後輩に気前よく奢ることが多く、メンバー同士では「優しいお姉さん」だそうだ。私にとっては、交流イベントの握手会で言葉を通したコミュニケーションも重ねると、次第に「いつになったら『カワイイ』と言ってくれるのか」と甘えてみたり、「他の人にもそんなこと言ってるんでしょ」と嫉妬したり、弾けるように笑ったりと魅力的な姿を沢山見せてくれる人だった。
そして、常に見ているファンは(私を含めて)余り気付かないけど、彼女を見慣れていない友人から「基本のトレーニングを重ねたステップだ」と褒められるようになった。彼女は、加入当初の踊れない引っ込み思案の泣き虫ではなくなっていた。包容力ある美しさと着実な技術を持つアイドルへ進歩を遂げていたのだ。
Mさん達3人の舞台上の公演のために振り付けを作られた「*ラスベガスで結婚しよう」という曲では、彼女はどこまでも眩しい。ワンピースに麦わら帽子の出で立ちで、爽やかにぬいぐるみにキスするフリをする姿は、憧れのような瑞々しさが詰まっていた。

しかし、躓きは唐突に訪れる。
2019年初め、グループ全体に蓄積されていた歪みが爆発した。私なりに見聞きしたことを集めると、少なくとも悪辣な誰かに責めを帰せば良いという問題ではないのは確かだった。
でも、世間は好き勝手に玩具にした。勿論、トラブルを説明して解決する力がなかったグループの側が悪いのだが、私を含めた単なる野次馬に過ぎない多くの人が、分からないことを「分からない」と言えなかったのは醜悪だった。スケープゴートを次々に作り、陰謀論が溝を深めて、その渦を目の当たりにした私は怒り、徒労感を抱えて諦めた。
Mさん自身も強引な論理展開から糾弾を浴び、警察からも事情を聞かれて、嫌疑があるかのように喧伝された。彼女のファンの中には、不自然な論理を崩して質すことが正義だと思ってSNSで叫んだ人間もいたし、疲れて離れた人も多く見た。
私は誰とも同じ方向を向けなかった。Mさんを「推す」という抽象度の高い表現じゃなく、遍く人に向かってMさんを「好きだ」と伝えるよう肚を括ったのもこの頃かもしれない。
バッシングの嵐の中、私が会って言葉を交わす人間にはメンバー個人を断罪できる状況じゃないと伝えた。
一方で私は、Mさんにはのほほんとした日々のメッセージを送っていた。「今日は暖かかった」「梅が咲いていた」。彼女が目に留めるかは分からないけど、最後に「しっかり食べて、暖かくしてよく寝て下さい」といつも加えていた。
そして春、歪みを明るみに出したメンバーとそのファンが、最後に個人で話せる場があった。そのメンバーには私もよく会いに行っていることを知っていたMさんは、その日に「会いに行ってね」と前触れもなく私に頼んだ。私は彼女に複雑な思いを抱かせるのでは…と危惧して黙って会おうと思っていたが杞憂だった。Mさんにとって、すれ違って軋轢に巻き込まれたとしても、大切な日々を過ごした仲間だったのだ。

2020年は、Mさんが受けた傷を覆ってしまうような希望が、少しでも多く訪れて欲しいと願っていた。
年初のライブの「*MAXとき315号」という曲を舞台最上段でスポットを浴びながら「未来はいつも思ったよりも/やさしくて」と歌ったMさんには、美しさと未来を切り拓く意志の強さがあった。傷が癒えず忘れられなくても、これからの時間を少しずつ紡げるかもしれないと思った。
程なくコロナ禍に陥った。
私は、緊急事態宣言の期間中にほぼ毎日、Mさんに手紙を送った。宣言明けまで届かないと思ってはいたが、期間中も街で働き続けた私の日々を誰かに語りたいというエゴがあった。彼女の不安を和らげられればとも思ってはいたが、残念ながら私にそんな力はない。
だから夏に、彼女とオンラインですら直接は言葉を交わせない期間に購入したサイン付きのCDが届いた時には驚いた。
そこには、手紙のことなど折々で一方的に伝えたことを反映したメッセージが添えられていたからだ。
その後、画面越しで対話もできた。
久々に会えた素直な気持ちで「キレイですね」と褒めたら、Mさんは、悔しいけどと前置きして「その言葉を待ってた」と笑った。
今、Mさんはステージ上で「*記憶のジレンマ」という曲を歌う。
「会いたい/会えない/私達はすぐそばにいるのに」
出会い直したからだろうか。
Mさんの歌が、切なく聴こえる。

*作詞 秋元康

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