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丼がもたらす再構成

戦後に新しくできたラーメンはいくつあると思う?
実は、味噌ラーメンとつけ麺の2つね。
それだけ。

優に50年を超えるキャリアのラーメン屋の店主が、そう言っていた。
味噌汁ではなく麺と合う味噌ダレのスープが札幌で開発されたのは昭和30年頃。
そして酸味を加えたスープを"旨い"と感じさせる味に仕立てて麺と合わせて出したのが池袋の大勝軒。
どちらも革新として名を馳せ、普及して定着したという話だった。
今や、ラーメンも食文化の一端に地位を認められて久しく、あらゆる語り口で溢れている。
それでも尚、大して味覚が鋭い訳でもなく、知識が豊富な訳でもない自分が、こうして考えて綴る理由が何かあるだろうかとふと考えてみる。
まずは、味を体感することで、私自身の範疇を超えた考え方や調理という作業の結果を体験できる。
そして、冒頭の言葉のような自分にはない視点を用いると、自分自身に見えてくる世界の輪郭が明瞭さを増す。
私は恐らく、都内のわずか数店舗を回ってラーメンを"旨い"と感じることで、自分の視界の彩りを得ているのだ。

自宅からちょうど5kmほど、東中野駅から国道317号線沿いを南下して数分の所で、昨秋にラーメン屋が開店した。
「覆めん 花木」という店だ。
しょうゆラーメンで、恐らく鶏、昆布や煮干しや乾物、そして玉ねぎ、リンゴなど多彩な食品からしっかりとした旨味を抽出したスープがベースの一杯を堪能できる。
特徴的なのはワンタン。
どれも肉がたっぷり詰まった餡を基本として、スープとよく調和して風味を倍増する「生姜」を始め、磯の香りと噛み心地の良い「あおさとれんこん」、食感もあって豆の味わいと食べ応えで満足感の大きな「枝豆と塩昆布」、他に「納豆と大葉」や「シャウエッセン」といった変わり種もあり、味も楽しさも高めてくれるトッピングだ。
他の通常メニューは、一部の人には病みつきになりそうな味なので、店主の花木氏自身が「あんまり毎日のように食べるものじゃない」と語る背脂醤油ラーメンもある。
店内はカウンター6席くらいで狭い。
だから今でこそ昼時を少し外れて訪れても店外に待ち客がいることは珍しくない。
だがプレオープンした当初1ヶ月は、オペレーションに慣れるためにひっそりと営業していたので、店主の素性を知っている客以外は不思議な店だと思っていただろう。
店主自身も「プレオープンの準備中は、散歩中の地元の女性が気軽に声をかけてくれていた。だけど開店してからは目も合わせてくれなくなった…」と嘆いていた。
私に言わせれば、それも仕方ない。
プレオープン期間の「覆めん 花木」は、黄色いプロレスラー用の覆面マスクを被って接客していたからだ。

話は、6年前に遡る。
花木氏は、神保町のラーメン店「覆麺 智」で修業を始めた。
その店では、修行開始時は覆面マスクを被るのが習わしとなっている。
店主の及川氏は、オープン時は彼の師匠と一緒に働いていた。
有名なラーメン屋だった師匠の素性を隠すために、2人はマスクレスラーさながらに黒と白の覆面を被りながら営んでいたのだ。
だがSNSが流行しつつあった当時、開店から数日もするとmixiですぐに情報が流れた。
私はその情報を通じて、及川氏と師匠の2人が以前よく通ったラーメン店の2人であることを知り、喜び勇んで食べに行った。
その内、2人は覆面を脱いだ。
「暑いから」とウンザリした顔で笑いながら言われた覚えがある。
都合20年弱に及ぶ間、私の舌は、胃袋は、連綿と受け継がれる彼らの作るラーメンを求め続けている。
因みに、修行開始当初から花木氏が折に触れて被り続けているのが、イエローの覆面だ。
花木氏も私のように初期から「覆麺 智」に並んでいた客であり、そして心酔したラーメン屋に修行を頼み込んだのだ。

「覆めん 花木」も含めた一連の店が刻んだ味の系譜は、昆布やカツオ節と肉系の食材、それから乾物や野菜を加えたダシに、醤油の筋の通った旨味を加えたスープがベースだ。
麺は、茹で加減は硬め、そしてスープと共に食べると明らかに旨さが増進するような絡み方をする。
そこに、店主の遊び心で使う多彩な素材が、非日常の刺激も加えて、私が店へ通い続けるモチベーションを形成する。
私が食べただけでも、各店の使った素材はオマール海老、牡蠣、キジ、牛テール、スッポン、アンコウ、上海ガニ、アワビの肝、カメノテ(貝類の一種)…などキリがない。
これら変わり種の食材を、一杯の丼で仕上げてきたのだ。
彼らは、基本は共有しながら少しずつ違いを見せた味に仕上げる。
師匠は、醤油そのものの調味料の直線的な旨味がしっかりと出るラーメンを作る。
直接の弟子である及川氏は、醤油はもっと面のように旨味の集積を押し出すように舌に感じさせ、塩ラーメンでは多様な食材を惜しげもなく用いて、野趣溢れる旨味を伝える。
花木氏は、醤油から甘みのような旨味を引き出し、最も透き通った味わいの印象のスープと、硬めで細めの麺と合わせる。
その味は、師匠から辿る味の系譜では、最も日常食と呼ぶべき親しみやすさがある。
そして種類の豊富なワンタンや味わいがまろやかでよりストレートに醤油を感じさせる背脂醤油ラーメンなども挟みながら食べれば、日常に飽きはこない。
何より、花木氏自身がまだまだ味を模索していて、これからしばらくの間は、「ちょっといい鶏」を使うそうだ。
そういえば、師匠のラーメンは15年前より乾物の香りが増している気がするし、及川氏のラーメンは醤油の角が取れて焦がしネギの甘みが引き立つような気がする。
彼らもまた、研究を重ねているのだ。
私はこうしたラーメンを食べ続けることで、私の世界観では頭打ちになってしまう食材との対話を、見知らぬ世界へと広げていく。

一方で、彼らの求める味の探訪は、ラーメンだけに留まらない。
たまに聞く世の中に氾濫しているグルメ評論とは違う生きた実感は、いつも面白い。
冒頭も、実は師匠の言葉だ。
そんな彼がある日、「今のソーセージとかカレーみたいな加工食品は、使われている添加物で匂いが悪くなってマズいものが多い」といわれた。
私は素朴に、「じゃあ、どれが旨いんですか」と尋ねた。
答えはいくつかあった。
ドトールコーヒーショップのジャーマンドッグやcoco壱番屋のカレーをよく覚えている。
曰く、「ポークエキスの臭みの消し方が旨い。特にココイチのカレーはどうやっているのか分からない」とのこと。
確かに、ココイチのカレーほど色々な工夫がしやすくて、多様なスパイスを使っているのにクセのない味は、素人ながらに凄いとしか言いようがない。
他の2人も、コーンスターチが入った国産のビールを、喉ごし含めて堪能する姿も見たし、シャウエッセンも刻んで食感と味を残しながら店に出すワンタンに仕立てている。
味という面からだけ切り取っても、旨いものの原点はあらゆる所にある。
日常の取るに足らないと思っている食品でさえ、角度を改めれば全く違って見えてくる。
クセのなさに留まっていた認識が、普及して変化に耐える味と見えるように。
それは食べ物に限らず、自分の視界に映るものを理解し、他人の視界を通したそれがどう映るかを受け取って、それらの要素を掛け合わせて世界を再構成していくことで、多面的な実像が浮かび上がる。
単純で普遍的な論理が、ラーメン一杯を食べに行き続けることによって、私はそれを何度でも証明できるのだ。

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