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100歳の爺さんと苔

どかーん!と堕つ隕石よりも

ニョキニョキ生える蔦みたいな

もしくは苔みたいものの方がよい。

外部人材の活用ということを考えてみた。

都内のクリエイターの人たちや、なんかカッコ良いデザインのチラシやwebで告知されてる地域系イベントをやってるなんとなくイケてるっぽい人たちが言ってる「地域のことを考える」とか「地域の人たちと一緒に」に激しく違和感。

もちろんちゃんと共感できるヒトも沢山います。

そもそも地域って何?

地方でしょ。

なんかモヤモヤしてるから、ハッキリしたことは言えないのだけれど、外部人材が外部人材と一緒に地方でコトを起こして変化することは大事なことだし、それはある視点から見ると地方のためになってはいるのだけれど、「地方のこと」とかって本来、その地域の人は何とも思ってなくて、そういうことそのものが違和感なんです。

都市部で開催されている煌びやかなイベントで自分たちクリエイターたちが繋がり手を取り田舎の活性に取り組むとか、ちょっとシンドイ。

もっと謙虚に入って来い。

そんな簡単じゃない。

地方はもっと複雑怪奇な魑魅魍魎な世界だし、緻密にやってないと善悪もわからなくなる。

そもそも善悪とか、

そんな概念もないかもしれない。

大局的に自分の地域を見れていないということを言われる時もあるのだけれど、例えばそういう指摘をもらったとしたら「それならオマエ自分の生まれ育った町やってから言えよ」って売り言葉に買い言葉になる。

出会えた地域の、もしくは携わることになった地域の市政や経済環境の停滞やコミュニティのゴタゴタなんて、何処にでもあることなんだし、第三者的な評論は限界があるしそんなもの聞きたくない。じゃぁお前が市長や市議会に立候補すればいいんだけど、さすがにそこまでやるやつはいない。

そこまでとはいかなくても、なんらかの当事者になるためには、そこに住みつき、時間をかけてある一定の批判や評価を得ていかなければならないから大変。当事者って大変。

地域活性化なんて行政用語だと思うけど、その言葉のとおりゴール無き無限に変化する現象でしかないのなら一発逆転、もしくは数ヶ月のプロジェクトとかで好転させようなんて、どだい無理な話なのです。

なんというか、うまく伝えられないけど、ずーーーっと同じところに住んでる人からすると、やっぱり隕石落ちてくるようなインパクトはウエルカムな話ではなく、庭に植えた花よりも、肥料もやってないのに遥かにグングン伸びてしまう雑草のような、気がつくと木になってしまったような…それか苔みたいな、いつ生えたんだ?これ?みたいな。よく見れば、なかなか綺麗じゃねー?これ?みたいな話の方がシックリくるんですよーって話。

隕石落とすなら角度や場所やその後のこともシッカリ後始末しないとね。

宇宙にあるときは美しくとも

地に堕ちたら大惨事。

クリエイターよ。

もっと地方に足を運べ。

チャイナタウン作ってどうする?

上手くいかなったり色々あるから面白い。

多様性ですよ。、多様性。

イキジビキの100歳の爺さんが

考えを変え

行動を変えることなど

よっぽどのことでないとない。

知らず識らずが一番良い。

何を言ってるんだろうか?笑

新しい

企画書書いてただけです。

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