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あの頃の話

昔は何も持っていなくて、欲しがっていた。
ここにあるものを見ずに遠くを見て、何も持っていないような気持ちになっていた。
手放しているのは自分なのに。

普通のささやかな関係から逃げたり、しんどさを盾にお前にはわからないと責めたり、最低な自分の価値を少しでもマシにするためにマウンティングしたり。
誰かに放つものはネガティブな言葉と、コンプレックスの裏返しの高いプライド。
そりゃ呪詛を身体に纏ってるような人からは人が離れていく。
孤独が耐えられないほど弱いのに、帯びるのは孤独をひきつけるものばかり。
自信もなくなって誰とも会わなくなって、ヘッドホンで世界と自分を分離した。

誰とも会わない夜にヘッドホン一つで夜の住宅街を歩く。
大きな公園は鬱蒼として自分にピッタリだった。
誰かが自殺したベンチに腰掛けて、真っ暗な池を眺める。
誰かの死はキチンと怖くて自分が死にたくない事に気付かされて、また圧倒的な弱さを自分に見つける。
自分の弱さに吐き気がして、夜のエネルギーが怖くなってしまった。

昼間にもう一度そのベンチまで行ってみる。
近くでは若いお母さんと小さな子供が遊んでいて、夜とは全然違う場所みたいだ。
太陽が池に反射してキラキラと輝いて、薄い白い線がこちらに流れてくる。
繰り返し流れてくるその線は私に何かをくれているような気がして、少しだけここにいていいんだという気持ちになれた。

調子がいい日にそのベンチに座るようになって一月ほどが経った。
ベンチまで向かう途中、葉っぱが揺れていて、ちゃんと重ならないように伸びていて、その姿にはたくさんの意味が込められているのに気付いた。
私がちゃんと見たら、めちゃくちゃたくさんの物がこっちに向けて色んなものをくれていた。
不思議な感覚が身体をゆるやかに包んで、胸の辺りが少しだけ軽くなった気がした。
それに気付いてから貰える物を探してなんでも観察するようになった。
全てのものに意味があってそこにあった。
植物、工業製品、お店、公園、空、なんでも。
泥になった道を歩いてつく靴跡を見て、自分もちゃんと世界に影響を与えてる事に気付く。
何も出来ない自分でもそこにいるだけで残せるような気がした。


昔の自分にいいたい言葉をなんとなくここに垂れ流したりする。
あの頃の自分みたいな人に届けばいいなとやんわりと思っている。
もう10年以上前の話。

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