【テスト的に有料、最後まで読めます】なぜ自己啓発や自己実現に向かってしまうのか
書店にいくと、所狭しと並んでいるのは自己啓発や自己実現の書籍ですね。思ったより多いですし、芸能人の書いたものや有名な方を始め凄まじい数が揃えられています。あまりに多いので「儲かるのかなー」と邪推してしまうよろしくないわたしです。こども向けのプログラミング書籍なんかも、ある意味で親向けの自己実現本に近しいなーという印象を受けてしまいます。ある種、宗教的な?信仰にも似た雰囲気を醸している気がして。偏った見方かもしれません。
わたしが勝手に思うに、伝え方のコツを書いた書籍や業務上でプレゼンをする機会が極端に増えて、今まで以上に売りやすいジャンルというかになったのかもしれません。自分を表現する場も機会も劇的な増加をしたので、表現するつもりのない人たちまで巻き込まれている感じがしてしまいます。
わたしはどちらかというと好きな方なのでいいのですが、でも「そういった書籍」を購入する意欲は物凄く下がってしまいました。
どうも巻き込まれた人たちが感じる違和感やギャップに滑り込むように入っていけそうなキーワードを並べて、煽りにしかなっていないように思いますし、煽りに耐えられない方は更に書籍を購入して読み耽ってしまうのではないかと。
考えすぎですかね。
会社を辞めて思うのは、みんな取り敢えず煽ってナンボだったなぁということです。煽って、相手が揺れるとお金になる。揺れた幅だけ、あるいはスキマができただけ、それを埋めたくなります。それを埋める手段としては様々ですが、埋めたくなるんですよね。
むかし、やたら仕事に疲れた頃がありまして。そのときに「考えない練習」という本を書店で立ち読みして、結局は購入したのですが、あまり役には立ちませんでした。書籍はキッカケにしか過ぎないからです。自分がどう消化するかによって、自分のカタチはかなり変化します。
でも、その疲れてた頃はいま考えてみたら非常に有意義な頃だったんだ、と思っています。
ある意味、あの頃はテクニックだけでなんでもやろうとしてた頃でした。だから疲れますし、フレームワークに合わないところはスキマができてしまい埋めたくなる、結果としてうまくいかないスパイラルでした。
自己啓発や自己実現の書籍が悪いとは思いません。有効なテクニックがふんだんに盛り込まれているものが多いです。そりゃ書籍として販売してるくらいですから。
ふんだんに盛り込まれていますが、言ってることはどれもだいたい同じです。疲れてた頃に読んでいて、結局はなんだったっけ?と思い返すと、どれも共通しているのは自分のアタマをどう使うかということだけです。
は?ってなりますが、そうなんですよ。あとはそのテクニックを使い続けたいかどうかです。
そうです。課題は「使い続けることができるかどうか」だけなんです。そして、このことはあまり大きくは語られていない書籍が多いはずです。そこはテクニックやフレームワークの範疇ではないからです。
自己実現とか自己啓発の書籍で得られるテクニックやフレームワークは、使い続けると影響が出始めます。まずは自分の考え方が変わります。そうすると、行動も変わりますね。そうなると、今度は周囲に影響が出ます。あのひと、変わったね、って。
大抵はいい影響のほうを取り上げて話をすることが多いと思いますが、そればかりではないことはお分かりでしょう。変化をよく思わない方も中にはいらっしゃるわけです。そうすると、今までになかったところにおいて摩擦が生じます。さあ、あなたが利用しているテクニック、フレームワークで生じた摩擦を同じテクニックやフレームワークを駆使して低減しながら利用を続けることができるでしょうか?
これが意外とうまくいかないもので、それによるスキマを埋めるため、あなたは別のテクニックも学ぶことになります。学習コストはかかるのに、結論はおおよそ同じなのですからうまくはいきませんよね。さて、どうしましょう?
なぜ、自己啓発や自己実現に向かってしまうのか?ということへのわたしなりの考えはこうです。
・やたらと自己表現を求められる時代である
・表現する苦痛を緩和するテクニックやフレームワークを探して利用しやすい
・利用した結果、さらに生じた苦痛を緩和するために再び探してしまう
まずは苦痛と共に過ごすということも必要なんだ、と諦めるのもよいかもしれませんよ。アレルギー反応と同じで、二回目以降の方がより強い反応になります。苦痛だ、と思う自分を受け入れてしまうしかありません。
どなたかテクニックとフレームワークをNAVARまとめとかにまとめといたら、どなたか仕事を失ってしまいますかね?いや、大丈夫でしょう。まだまだ患者さんは増えるでしょうから。
読んでくださってありがとうございました。
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