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「聲の形」が凄すぎた…みんな見て観てみて視て!!!!(できれば劇場で)観た後に感想を話し合おう!!班に分かれて……人類にはそれが必要だ。

(以降、映画「聲の形」のネタバレを大いに含みますが、どうせこの期に及んで「聲の形」を観てないヤツは何を言っても観ないので関係ありません。あほ。観ろ。)


先日、友人に誘われて映画館で「聲の形」を観に行った。
その情熱が失われない内にこのnoteを遺します。
未来の自分が悶えようが関係ないのだ。くたばれ。


本編の話に移る前に少しだけ。
この映画は絶対に劇場で観た方が良い。
いや、映画館でしか観れない。


本当に本当に本当にしんどくってサブスクで観ていたら休憩挟みすぎて観るのやめちゃうくらいしんどいので。
拘束された空間でしか観れない。あれは。
でも凄く良い映画だった。


劇場型サウナといっても過言ではない。


もう流石に自分でもうるさい気がしてきたので本編の話に移りたい。

まず、映画冒頭…本当に始まった瞬間、あれさぁ…

音響すごっっっっっ!!!

なにこれ、「聲の形」って聴力障害者の子の話だよね!?!?
どういう皮肉???

こわっっっ!!

怖かった。鳥肌が立った。
誇張でもなくスタンディングオベーション・チキン・スキンである。(なに?)


さらに字幕。

そう、この映画には字幕があるのだ。
音響が凄ければ凄いほどその字幕表現の淡白さがとんでもなく際立つ。

足音、遠くの車、鳥の鳴き声、etc…
音は普段思っている以上に層が重なって聞こえているというのに、字幕ではあくまで「歩く音」としか表現し得ない。



分かる…


今この瞬間、俺には硝子(しょうこ)の見える景色が分かるのだ。

それが途轍もなく残酷で…いや、残酷と思うことすら残酷なのか…?

開始早々そんなモヤモヤとした嫌な考えばかり巡って集中できなかった。ここ映画館だぞ?



そうこうしている内にストーリーでは過去軸とも言える小学校での日々が繊細な作画で描かれていく。

そこは完璧で美しい「子供達の世界」。
仲の良い友達、退屈な授業、楽しい放課後…



だが、そこに硝子が現れてから日々は完璧さを失い徐々に狂っていく。

彼女はまともにコミュニケーションが取れず、贔屓され、優遇される。

そこに幼い子供たちが不満を抱くのも無理はない。

…と少なくとも思えてしまう。
そこに映像表現の恐ろしさがある。

日に日に不満は積もっていき、それは攻撃へと転じていく。

ただのイジメではない。
明確な排除だ。

「完璧な世界」を守るための戦いなのだ。


(書いてみたら長かったので区切ります)

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