見出し画像

ママはきみを殺したかもしれない を読んで

久しぶりに小説を読んだ。
地元の小さな書店で取り寄せをお願いして、
数日ワクワク待ったあと、通勤時間や夜時間にちょこちょこ分けて、3日で読んだ。

読み終えるまでの最後の数ページまで
これはホラー小説だなと思った。

だってあまりにリアルで、あまりにノンフィクションで、かさぶたになりかけていたところをベリ!と剥がされた気持ちになったから。

もっと子どもが小さい頃は、子育ては「クロックタワー」だと思っていた。
クロックタワー(正式には2)ってのは、大きなハサミを持ったシザーマンから逃げたり隠れたりするしかない無力な主人公を操作して、建物から脱出するプレステのゲーム。
発売当時画期的だったのが、別の部屋に移動しても敵が扉を開けて追ってくるというシステムで、許されない感じがめちゃくちゃ怖かったのだけど、子育てしながらその時の感覚を思い出すことが何度もあった。

上の子とも意思疎通が出来るようになって
下の子のイヤイヤも「第一子で経験済みのアレ」という感じになってから少し落ち着いて楽しくなってきたけれど、色んな集まりで「4歳と2歳のママ」みたいな人に会うたび心臓が少し重たくなる感じがするし、常々子どもには「今の二人が最高。絶対過去には戻りたくない」と伝えてしまう。

そうでありながら、時々写真で上がってくる○年前の今日、みたいな写真に映る可愛い我が子に、
この頃私は「ちゃんと」出来ていなかったと後ろめたさを感じる。
「保育園で周りのお友達に聞いたら、ママは優しいってみんな言うんだよ。どうしてうちのママだけ優しくないのかな。もっと優しいママがよかった。」
と子どもに言われて、泣きながら人に話を聞いてもらったこともあった。


子どものことだけじゃなくて
なんで女性側のキャリアだけが、出産を機にこんなに多様化するのかも腹落ちしなくて、その頃の夫は好きなだけ残業で平日見かけなかったので、脳裏にずっと仁王像に踏まれる鬼のイメージがあった。
(好きで残業をしていた、とは言わないけど、こちらはどんなに会社で仕事があっても残業する選択肢は取れなかったから、選択肢がないことに閉塞感があった)

コロナが長引くうちに、在宅勤務が当たり前になって、夫の職場も変わり、子どもも成長したことで色んな苦しみが体から離れていって、山を越えた感がとてもある。

でも、小説を最後まで読んで、「そんな過去も肯定できる部分はあったのではないか」「過去を受け入れ忘れているんじゃないか」と思った。
不器用なりに、一貫して自分の子どものことを愛していたし、楽しいことも沢山あった。全力投球だったことには違いない。
誕生日によく子どもと夫がサプライズで花束を買ってくれるのだけど、(そんなものもらえるようなことは出来ていないと思ってるから)驚きと嬉しさと安堵感とが入り混じって、本気で毎回泣いていた。

振り返りたくないことの多い過去だけど
やり直したい過去ではない と思い直させてくれた
そんな貴重な気づきをもらえた1冊だった、

とはいえ大半がホラーなので、早くみんなにも読んでほしい、、笑

樋口美沙緒さんの
「ママはきみを殺したかもしれない」
です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?