師匠の教え その4

すべての情報が集まる場所での振る舞いがその日のオペレーションを決めるんだ。お前はどういう型でやることでその情報をさばけるか、自分の型を見つけるんだ。

「仕込み」「ホール」の作業は相手への思いやりと基本動作の徹底であると教えていただいた後、師匠は次に僕にデシャップを教えました。

僕のいた店でいう「デシャップ」は、「キッチン」と「ホール」をつなぐ役割でした。ホールがとってきた注文をキッチンに伝えつつ、キッチンが作った料理とそれ以外の仕込み済みの小皿などをまとめ上げ、一つの「商品」を仕上げる場所です。

実際「dish up」という言葉の略らしいのですが、やはりその日のお店のピークをどう乗り越えるか、はすべてデシャップにかかっていると言っても過言ではない役割です。

この役割は、僕個人の経験ではあまりないものでした。
元々働いたことのある飲食店はその役割はあまりなく(お盆に乗せて出すものがなかった)、そういう意味では新鮮な役割でした。

これは何度か挑戦したことがありましたが(今考えると大変無謀な挑戦)、やはりうまくできず、結局お店が混乱したことばかりで、個人的には苦手な仕事でした。

師匠は僕がそれを敬遠しているところは知っていたようでした。ホールに徹している感のある僕に対して、敢えて「デシャップをやるぞ」と言いました。

今回は、実際に師匠がデシャップをやるところを見せてくれました。どうしてこのように振舞うのか、というところも理由付けしながら見せてくれました。今振り返るとあんなクオリティの先輩もう一生会えないかもしれないと思う感じでした。すでに何度もうまくいってないところを見られていたんだと思います。それで余計自信を無くさないようにしてくれたんだと思います。

実際問題、当時のお店でのデシャップの役割は
・前から取る→キッチンのまとめた大皿
・右から取る→小鉢
・左から取る→お茶碗(ごはんの盛り付け)
・手前から取る→味噌汁(具をのせる→味噌汁を入れる)
この前方180度から取ったすべてのお皿をお盆の上に載せ、最後に
・後ろへ→ホールスタッフに対し、「〇〇番、××あがりました!!」と元気よく伝える
という感じでした。これを常に眼前に4列作り、お渡し待ちをできるだけ作らないようにホールスタッフを呼びながら(料理が冷める)、先頭の待ち時間をキッチンとシェアし続ける

というような感じでした。

一人で何役やってるんだ、という感じですが、逆に師匠はこの役割に対するやりがいを常に教えてくれました。

うちの店の売上の重要なポイントの一つはランチだ。そのランチの司令塔をお前がやることで、このお店は他店に負けない売上を出せる。
そうすれば、この店でやることが他の店舗の手本となることができる。
お前のやり方が、他の店の手本になるんだ。そしてこの業界を動かすんだ。

師匠は、いつの間にか僕という人間のモチベーションの上げ方をよく理解されていらしたようで、どういう風に声掛けをしたら僕が盛り上がって頑張るかというのを知ったうえで指導してくれていました。

もちろん、当時の僕は大学四年であり、就活も終わっていて近い将来去ることは確実でした。でも、師匠は、今目の前のオペレーションを確実に終えることもミッションとしながら、僕自身に対して、働くことの意味を教えてくれていました。

結果を出すことの意味。
一生懸命頑張ることによって得られる感動の意味。

師匠は、僕が社会人になって困ることがないように、という思いも込めて一生懸命教えてくれました。


ということで、その思いに応えようとした。実際とても面白かった。働くことが楽しかった。
そして何度も何度もデシャップに挑戦した。
そして何度も何度も、自分で最後までやり切れなくて(途中でパンクした)、師匠にバトンタッチしてもらいました。

「まだできるか?」と僕がひぃひぃ言いながらまとめた商品を運ぶときに言ってくれました。
背中で聞こえたその声掛けのありがたみは、今でも忘れません。

時には、「やれます!」といったけども、先頭のオーダーが15分待ちを超えているときもあって、さすがにそういう時は師匠がすぐにデシャップに入った。
「やれます」っていうのは、「やれてない」から言うんだよ。

そう言われた。なんも言えなかった。確かにやれていないから、やれます、って言うんだって思った。やれている時は誰もいわないし、本人もやれるとかやれないとか、そういう話をすることはない。

そんな時にバトンタッチした後の師匠の手の動き、目線の動きは
バトンタッチ後に食器洗いをしながら見ていて本当に感動的だった。

目の前にあるオーダーをあっという間にやりくりしてしまって
挙句足りなくなっていたご飯(その店は炊き立てご飯が売りの一つだった)の追加の仕込みと炊き上がったご飯を入れ替える作業まで一人でやっていた。

いっぱいいっぱいだった僕に師匠は教えてくれた。

「無駄な目線が多い。一か所見たときに、その方向を全部見ろ」
「同じ作業はできるだけ同時にやれ。バラバラにやるから手がバタバタしている」

まるで「後にも目をつけろ」「ファンネルを操れ」の世界だったけど、要はこうだ。
当時の店ではデシャップはホールに対して背を向けている。お客様から唯一背を向けて働いているポジションである。
でもそのデシャップが後ろを向くときがある。
「出来上がった料理を出してもらうためにホールを呼ぶとき」
「ホールから注文伝票を受け取るとき(ピークになると受け取らない)」
この2回のタイミングの時に、後ろを見てすべての情報を手に入れろ、ということだった。

物理的に後ろを見ることが少ない役割だからこそ、後ろを見ながら仕事をしないといけない。
なぜなら自分の仕事が始まり、そしてその仕事が続く先は、自分の背中にあるからだ。

いよいよニュータイプのような仕事であるが、実際師匠からの指導で、目線と手の動き、声の出し方まですべてフォローいただいて繰り返したところ、一人でランチタイムを乗り越えることができるようになった。

また、「同じ作業はできるだけ~」の点については、
目の前の4つのお盆に対してやることが決まっているはず(自分でわかっているはず)なのに、師匠が見ている限り、僕の動き方は「思いつきで動いている」になっていたそうです。
目の前のことに集中できていないせいで、その場その場で思いついたことをやっている。これは臨機応変なのではなく場当たり的である、という強烈な指摘でした。
「臨機応変」とは、やるべきことがすべてわかっている中で、状況に合わせて反応し適切な結果を出すことであって、
現在の振る舞いはそれとは異なり、あくまで、目の前の状況を見てやったほうがいい事を自分の感覚でやみくもにやっているだけにすぎない。
仮にご飯を盛る必要があるなら、キッチンの状況も見てご飯を一気に盛ればいい。
その1分で冷めるご飯はない。その1分で冷める味噌汁はない。ましてやみそ汁は蓋をして出している。
師匠にとって「場当たり的」に見えていたオペレーションは、要は「お盆一つ一つに一番新しいものを載せる」という運用にこだわり過ぎた人間の末路でした。

この衝撃は今でも忘れられません。確かに、それを言われてしまっては元も子もないですが、結果的に何人のお客様を何分待たせたか。そういった事を考えると、「一番温かいものを」といった過剰なサービス精神自体は自分の自己満足であり、お客様にとっての満足とは異なっている(彼らは貴重な1時間休みを、さっさと食べて帰りたいわけで、決して一番温かいものを食べることが目的なわけでもない)


そんな自分自身の目指していた(?)ものとの葛藤と戦いながら、少しずつスピードが上がってきて、最終的に僕自身はニュータイプではなかったかもしれないけれど、師匠は僕一人にデシャップを任せても大丈夫、と言ってくれました。

ここに至る頃には、記憶が確かであれば秋が深まろうとしていたと思います。
師匠に出会ったのは9月頃と推察されるので、二か月ほどでしょうか。

でも、この仕事には終わりはありませんでした。
そうです。まだやっていない仕事があります。「キッチン」です。
こればっかりは、長く勤めてるバイトの先輩の専売特許だと思っていたので、僕は率先してやるとは言っていませんでした。

でも師匠は、デシャップと一緒に働くキッチンの気持ちを知ることで、デシャップがより活きると仰り、今度は僕にキッチンを教えてくれることになりました。

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