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短い記録 55個め

こちらは、星乃珈琲店のモーニングでしてよ。

あ、写真を一緒にしてしまったんだったわ。
寺社仏閣で撮ったやつ。
お花浮かんでるの好きなのよね。
つい撮っちゃう。

さて、昨日の記事の抜粋から。

一言でいうと、「わたしが興味を持ったことを社会に発信しないといけない」。
したほうがいいじゃなくて、いけない。
ベターじゃなくて、マスト。
この夏は○○がマストってときに使う、マスト。
つまり、必須。
これ、友達に何回も言ったんだけどさ。
「目立ったら怒られる、嫌われる、叱られる」
しかしながら、このアカウントのフォロワー数などを見るに「少なくとも今は全然目立ってない」わけですな。

「目立ったら怒られる、嫌われる、叱られる」=怖いっていうのは、わたしの一生から削除ができないアイテム。
振り払えないし、外せないし、どこかに一時預けることもできない。
呪いみたいなもん。

だから、付き合うしかないし、向き合うしかない。
だって、わたしがわたしである以上、ずっーーーーーーーーーーーーーーーとついてくるんだもん。
なんてロマンのかけらもない「死がふたりを分かつまで」かしらね!

わかったわかった、怖いのはわかった。
怖がるのはOK。
どんだけ怖がってもオーケイ、人権的に自由、ナガセの日本語は不自由。

怖いって、わかんないからなんだよね。
(あくまで一般的な感想として)死ぬのが怖いとされているのも、わかんないからだよね。
まー、今の自分で死ぬの、だいたいこれから初めてじゃん、みんな。
あたいもまだやし。
やったことなかったら、得体が知れないんだからしょうがないじゃん、拒絶したくなっても。

そんで、「わたしが興味を持ったことを社会に発信しないといけない」に流れを無理やり矯正しますけども。

ホロスコープから見ても、「自分」を司る部分にこれでもかと目印が付いてるのね、わたしのは。
なので、どこに進んでも何を考えても、結局自分を通してどうなのか、どうするのか、どうしたいのかっていうことがついてまわるんだと思ってて。

・わたしがやりたいと思ったのか
・わたしがなぜそう思ったのか
・わたしがこの経験とあのときの感情を結びつけたのはなぜか

ぜんっっっぶ自分!
ナルシストとはちょっと違う。
ホロスコープ、自分が好きっていうよりは、セルフネグレクトに等しい扱いをする配置だと捉えているから。

「目立ったら怒られる、嫌われる、叱られる」だって、ただシンプルに、考えなきゃいいんだよ。
「やってから考える」っていうのが、件の占いでも言われたし、自分でもいつも浮かぶ考えのひとつなんだもの。

なのに尻込みするのは、
・無意味にプライドが高い
・自己評価もホントは高い
・記憶力が無駄に良いので、他人からの評価をまるっと頭に叩き込んでしまって、動けなくなる
などが原因(敗因)

そもそも「目立ったら怒られる、嫌われる、叱られる」ってことはだ。
「わたしが発信したことは、確実に人の目に止まり、興味・関心を引くことができます」っていう認識がなきゃ、生まれないはずなのよ。

すんごいあるじゃん、自信も自身も。
げえ、めっちゃ嫌なやつじゃん。
キモい。

そんで、この上の3行も、ある種「わたブス」による武装の受け答えなわけじゃん。
わたブス=「わたしブスだから〜」「そんなことないよぉ〜」という一見ぬるそうな餡掛けが中は熱いように、受け身な風でいて相手に必ずフォローをさせる嫌らしい武装自虐行為。相手は必ず気を使うやつ。なお、餡掛けに別に恨みはない。

やだ。
わたし、ブスはいいけど、つまんないはやだ。
つまんないは罪。
おもしろいが正義かはまた別の話。
すぐ言葉狩りに予防注射した一言を入れちゃう。

でもなー、元気の押し売りもやだなあ。
ネガティブさがゼロな人もそれはそれでつまんない。
コンプレックスが一切ないパフォーマーは、なんか味気ないみたいな感じ。
脂汗かくくらいひた隠しにしている執着がどこかにないと、なんかぱっとしない。

もー、過去記事転記で手を抜こうかなと思ってChromebook立ち上げたのに、また原稿用紙4枚くらい書いちゃったよ!
また明日ね!