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ヨリ道


#創作大賞2022

出典元のURLとしても記載しておりますが、note創作大賞応募を目的にすでに公開済みの無料記事をまとめ直したものです。
ヘッダー画像は、こちらのサイトより使用しました。

https://note.com/info/n/n80e161fb7658


そのお店の前を通ったのは、水曜日の夜だった。
気分転換に、いつもより一本手前の道を通ってみたからだ。
その道は薄暗くて、人通りも少なかった。

でも、その時はそのほうがかえってよかったのだ。
新しい職場に移ってからまだ半月もたっていないけれど、前の職場に戻りたいなぁと呟きそうになる毎日だった。
戻りたくても、つぶれてしまったのだからどうしようもない。

よい立地でもなく、毎年閉園が検討されていた小さな保育園。
今のところの子供たちだってもちろん可愛い。
でも、あの子達どうしてるのかなとついつい考えてしまう。

私の足は、たまたまそこで止まった。
ヨリ道と書いてある壁に貼られたチラシの前で。
ヘタウマというか、そういうデザインなのだというか、お習字のお手本とはかけ離れた文字だった。

なんだろう、このチラシ。
左横にはドアがあった。
こっちはチラシの文字と違って、一軒家に付いてそうなありふれたデザインの茶色いドア。
うちの実家もこんなのじゃなかったっけ。
何の疑問も持たずに私はドアノブを引っ張っていた。

引っ張りながら、あ、お店じゃなかったらどうしようと少しだけ焦ったけれど。

案の定、中は民家ではなくお店だった。
四捨五入して30年の人生で、未だに入ったことのないタイプのお店だった。

総レースのセーラーカラー・ブラウス、20センチくらいのエナメルのピンヒール、けばけばしい色のプラスティックで出来たアクセサリー、ラインストーンまみれの小物入れ、映画の中でしか見たことがない黒いコルセット、外国の女優のピンナップ。

誰が買っていくんだろうというような品物ばかりが並んでいた。
あっけにとられている私に、店の奥から声が届いた。

「いらっしゃいませ、なにをお探しですか」

どうしよう、そこらのものを適当に買ってお茶を濁して出ようか。
それとも、今すぐ踵を返そうか。

いやいや、折角だし、自分で買い物に出かけるときには絶対入らないわけだし。
今、思い返せば、その日、私は今まで知らなかった世界に入ってしまったのだ。

初めて「ヨリ道」した日は、レジのすぐそばにあったお香みたいなものを買って帰った。
正直なところ、安かったからだ。
お給料日前だったし、お財布の中には小銭だけ。
ちょうどぴったりの金額のそれを買って、どぎまぎしながらお店を出た。

「またいらしてくださいね」

必要以上の愛想を振りまかない店員さんは、全身黒ずくめでスパンコールのヘアバンドを身に付けていた。
このお店は彼女の理想の世界なのだろう。
ただ立っているだけなのに、とてもうれしそうにしていた。

私は明くる日もヨリ道をした。
お店は変わらずにそこにあった。
昨日と同じく、茶色のドアを開ける。

しかし、内装は昨日と全く変わっていた。
エスニック調の雑貨屋さん。
どこにでもあるお店の外にまであの独特の香りが漂ってくるような、そういうお店だ。

「いらっしゃいませ、何をお探しですか?」

昨日と同じセリフが発せられている先にいたのは、男の人だったのである。
でも、よく似ている気がする。

「あのう、このお店はいつできたんですか?」
「ずっと前からありますよ」

昨日、私が帰った後から工事をしたりしたんだろうか?
一晩でお店が丸ごと入れ替わってしまうなんて。
今日は、レジの横にお香ではなくて小さなコインパースが置かれていた。
私は昨日と同じようにそれを購入する。

もちろん、私は明くる日もヨリ道をした。
お店は変わらずにそこにあった。
昨日と同じく、茶色のドアを開ける。
しかし、内装は昨日と全く変わっていた。
今日はがらんとした白い店内にモード系の洋服がぽつりぽつりとディスプレイされている。

「いらっしゃいませ、何をお探しですか?」

今日も男の人だ。
昨日と同じ質問をする気にはなれなかった。

どうして?
どうやって?
今日は、レジの横にモノトーンのハンカチが置かれていた。
私は昨日と同じようにそれを購入する。

一体なんなんだろう。
どうして毎日お店をとりかえる必要があるんだろう。
意図がわからない。

言うまでもなく、私はその次の日もヨリ道をした。
お店は変わらずにそこにあった。
昨日と同じく、茶色のドアを開ける。

しかし、内装は昨日と全く変わっていた。
今日は、洋服屋ですらなかった。

靴屋。
それもうんと高いヒールかぺたんこの靴しか置いていない。

その日、私は初めて靴を買ってしまった。
今まで一度だって買ったことのない10センチのハイヒールを。

毎日変わる店。
毎日増えてゆく新しい物。
私の部屋はたちまちヨリ道した時間で埋め尽くされていった。

あの日、初めて靴を買ったのを皮切りに私の服飾嗜好は自分でも驚くほど変わった。

機能性重視、その次が値段から、自分が気に入ったかどうかが1番目、それから似合っているか。
ほかの店の店員さんがいろいろと接客してくるのがどちらかといえば苦手だから、例えどんなお店の時にも基本的に話しかけてこない、ここのスタイルが気に入っているのも大きかった。

どこに着て行けば良いんだろうという服、車から家の玄関までの間を歩けば痛くなるような細い靴、妙に存在感のあるアクセサリー。

買ったはいいものの、そのまましまいっぱなしになってしまうことも少なくなかった。
それでもヨリ道をせずにはいられない。

あの店に行けば、その日どんなお店であったとしても何か買って帰らなければ気が済まない。
部屋の中にはさらに物が増えてゆく。

デザイナーズ・チェア、自分の身長よりも大きなカーペット、アンティークの宝石箱、マカロンによく似ているカラフルな小さいお菓子。

初めのうちは訝しんでいた毎日違うお店になる理由も、もうちっとも気にならない。
毎日お店が変わって、目の前にある商品には二度と巡り合えないかもしれないからヨリ道をしたくなるのだ。
ヨリ道の最大の魅力はきっとそれだ。

今日は、傘屋さんだった。
雨の日用のほかのものもおいてあって、ラベンダー色の日傘とパステルイエローのバッグを買った。

「ありがとうございました、またどうぞ」

市松人形のようにつやつやの黒髪をした今日の女性の店員さんは、そういって微笑んだ。
本当は少しくすみがかった赤のレインシューズを買おうかどうか迷って結局止めてしまった。
駅前まできてやっぱりあれは買おうと思い直し、少し速足で引き返した。

今まで戻ってみたことはない。
だから何時に閉まるのかもわからない。
急がなきゃ。
あれを買わなくちゃ。

戻った私はいつものようにドアを開ける。
あっと声を上げてしまった。
真っ暗だったからだ。

お店の中は、人の気配もなく廃墟のような知らない匂いがした。
私は怖くなり、すぐにドアの外に出た。
お店は閉まったんだ。
帰らなきゃ。

初めて靴を買った時の高揚感に似ているのに、濃い不安が混じった感情がこみ上げてくる。
その日、いつ眠りに落ちたのかを覚えていない。

今日もドアを開けた。
いつもの店員さんが立っている。

「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
「え?」
「ご予約、承っております」

何の話?
このお店の電話番号なんか知らない。

「さぁ、どうぞ」

促されるままに、私は店の中に入ってしまった。

そこは、美容室だった。
少し薄暗くて、一人分しか席がない美容室。

「お待ちください」

店員さんは、奥にいったん引っ込んでワゴンを押して出てきた。
なんだか頭が痛くなってきたような気がしているのに言い出せない。
とうとう座ってしまった。

店員さんはあれこれ話しかける。
私の目の前には鏡がない。
普通、美容室ならあるものじゃないの?

考えをまとめる暇を与えないためなのか、別人のようにしゃべりかけられてしまう。
あいまいな返事しかできない。

そういえば、初めてヨリ道したころの私の髪型はショートカットだった。
今では肩甲骨が隠れるくらいまで伸びた。
髪が伸びるのは決して早いほうじゃないのに、もうそんなに時間が過ぎていたのだろうか。

「お疲れ様でした」

終わったみたいだ。
デコラティブな手鏡を渡され、覗き込む。
よく知っている顔が映っている。
それは今私の髪を切ってくれたはずの店員さんだった。

「たくさんのお買い上げ、誠にありがとうございました」

その言葉を聴いた瞬間、私は美容室ではなく自分の部屋にいた。
周りを見渡す。
どれもこれもあの店で買ったものばかりだ。

でも、1つだけ違う。
毎日のように見ていたけれど、買うことはできなかったもの。
それはレジスター。

ここはもうお店だった。

切った髪と一緒に記憶もなくなってしまったみたいだ。
昨日の自分が、男だったのか女だったのか、いったいなにをして生きてきた人間だったのか思い出せない。

あぁ、今度は私が誰かのヨリ道を待たなくてはいけない。
手鏡にはヒビが入っていた。

(了)