創作と本名
ごきげんよう、ナガセです。
今日は書く方とそうじゃない方の自分について考えたことのまとめ
何でもできる人間ばっかりいたら世界は発展しない
何かに特化してる人も、平均的に一通りできる人も、世界には両方必要
優劣をつけるために能力があるんじゃない
↑これは、とある人におくった返信↑
なんか、たまにこういうキャラじゃない言葉がどっかからわいてくんのは何なんやろうなと思う。
相談を受けて、返事して、その人の役に立てればそれで嬉しいんだけど、あとから聞いたり読んだりして、え、ホントにこれわたしが言ったん? みたいなんがあったりする。
ナガセ〔創作〕と、ナガセ〔本名〕がいるような気は長いことしてる(多重人格とかではなしに)。
〔創作〕が、日常や仕事の処理をしている感じ(ようするに外面)。
ペルソナというほど大層なものではないけど、相談事を受けて他人に何らかの回答を渡すのは〔本名〕の方(な気がする)。
〔創作〕は、チャラくて大体のことは適当にこなせるんだけど、人と深く関わるのは避けたがる。
深く物事を追求したり、考え込んだりすることも同じくとても嫌がる(気がする)。
〔本名〕は、とにかく真面目なので基本的には観察のために存在していて、貯めた言葉で誰かの縋る先を作る係。
初めて明文化したけど、多分これだ
おそらく本当に小説を書きたがっているのは〔本名〕の方。
なぜなら、アウトプットできないのが唯一の耐え難いことだから。
何回か書いてると思うんだけど、ネットで公開するかどうかとかは関係なしに、わたし書けない日が続くと文字通り吐くんだよね。
ずっとこれはファッションメンヘラ仕草だと思ってたんだけど、アウトプットが出来ない環境下にいると吐く。
実家で書いたものが見つかってなんか言われても吐いてた。
睡眠時間を削ってでも、1行でもなにか書かないと、息苦しくて日常に差し支える。
だから、具合悪いからもう寝るってぶっ倒れてnoteが書けていない日でも、家のメモ帳だとかには何かしらアウトプットの形跡がある。
普通はないんでしょう?
苦しくなんないんでしょう?
書けないなんてそもそも思わないんでしょう?
以前のnote毎日更新をしていた時期は、反応を気にしないでとにかく好き勝手に羅列できる環境だから軌道に乗ってからの体調は安定してた。
チャラいとそれっぽくごまかすものしか作れないんだけど、そうじゃない方は逆に芯を狙うんだと思う。
だから、ルーティンワークみたいな事務をぱっぱとこなせるのは〔創作〕のおかげでもあるんだな。
日常をこなすためには〔本名〕を表に出して生活すんのは、想像よりきついんだろうなー。
がんばってくれ、チャラい方(フリが雑)。
仲良くなってから読んでくれた人には義理で面白いと言わせてやしないか不安になる→だから、なるべく感想を求めないようにしてたまたま降ってきた知らん人の感想を見て「あ、悪くはないんだな」と思ったりしてる。
いやなんだよおおお、自分のところで「いいねしてください、モチベーションになります」をやるのは。
他の人がやってるのは気にならないし、面白かったら押すんだけど。
なんでやりたくてやっちゃうことに、他人の反応がいるの?
止められてもやりたくてやることじゃないの?
反応がないと続かないことって、別にやらなくても良いことなんじゃないの?
褒められないと、やってちゃ駄目なの?
意思とは関係なく思わず身を乗り出すみたいなのが、本当の感想じゃないの?
それ、本当にいるの? 義理の言葉なんて価値ある?
ぎゃーっとなったところで別にこれにオチはないんだけど。
だって、書かないとまた体調崩すんだよ。
いつも面白くなくてごめん。
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じゃ、また明日。
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