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「ことば」は聴こえるだけじゃない


最近は、悩んでいても「解決」みたいなものは求めておらず、良き方向に行くための自分側の在り方を模索するように心掛けます。

春のこの時期
進級や進学、卒業、わが家の息子たちにもそれぞれに節目があり

先月でようやく人生4年目になった末っ子が社会(保育園での環境)の変化を敏感に感じ取ったようで

保育園がこわいと訴えるようになり、それでもごまかし登園していた矢先、「夜驚症」になりました。
※夜中に何度も「ヤメローーー」と叫び暴れる
夜だけでなく昼も泣く、叫ぶ、など荒れていました(汗)

新しい環境、集団の場では年度末など
子どもの心理的な変化や負担を感じることはよくあることで、、大人であっても体調や心が不安的になりやすいこの時期

そんなわが家のあれこれを、とある施設でその日初めてお会いした子育て支援を専門とする女性とお話する機会がありました。

登園拒否している状況と経緯を話し、
悩み相談というよりは

家庭で大切にしているスタンスを伝え、「子どもを尊重するというのは塩梅がなかなか難しいですね」と話をまとめました。

同じ子どもを見守る立場=大人として、
「どんな関わりをしてあげれるか」を分かち合えたらいいなと思いました。

先生はそれまで私に寄り添いながら、帰り際に「厳しいことを言うけれど、あなたの子育ては赤ちゃん扱いよ。それじゃあ本人に失礼よ、ほっとけばいいのよ子どもは。」というのでした。

「ほっとけば育つ」
よく聞く言葉ではありつつも

「子どもの行動には理由が必ずある」と教わった私にとって、赤ちゃん扱いというワード
なかなかの破壊力がありました。

私の伝え方が中途半端だっただろうか?
頼りなく、心配性で神経質な母親に見えたのかもしれません。

だけれど、、先生は大切なことも思い出させてくれたのです。

目の前の相手を尊重するということは
心配することでなく、信じること。

その人に備わる、成長する力
現状を切り開いていく力
縁あって出会っている保育園、
周りにいてくれる先生たちの存在

感謝すること、
「不安」として扱うことなく、委ねること。
いかなる事象があったとしても人生はその人のものであること。

これはどの立場でも言えることであって
まずは行動や言葉よりも手前にある、生まれ持った命の力= 生命力を信じて。

育ちたい、より良く生きたいと
誰もが無意識に持っているということ

先生からのメッセージは、
すこしずれていて、しっくりとはこないものの

あなたを信じている、という前提を
思い出させてくれた。

「また来なさいよ」と寄り添っていただき
悩んでるお母さん、というポジションになってしまったが、それはそれでいい。

むしろ、相手の扱う言葉はなんでもいい。
言語の領域を越えて
態度や声で伝わる、応援しているというメッセージ。

ほしい言葉でなかっただけ。

でも、うれしい眼差しであったことは確か。

一緒に子育てしようよ、大丈夫だって。
お母さんの人生を生きていいんだから。そんな共振のメッセージ。
一見、欠けているような「不足」「無い」
というところから得るものは大いにある。

言葉に捉われずに、
相手からのメッセージを心で聴けたような出来事だったのです。

そうすると、見える世界がまた少し変わっていく。
子育ては1歩進んでは2歩下がって
気が付いたらすすんでいる、そんな感じ。

言葉だけでなく、感じるものがある。

そして力付けるその波動は、
その人の本来の姿に向かうように背中を押すのだと、身が引き締まるような、そんな気持ちでした。











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