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【ものがたり】ショートショート

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短い物語を。温かく見守ってください。修行中です。
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#月刊撚り糸

そこにつくる想い|ショートショート #月刊撚り糸

 じわりじわり、とその感情はわたしを浸食した。だれもなにも悪くない。ただタイミングが悪かったのだと、そう叫びたかった。 「ね、別れよっか」  わたしがそう告げたときの彼の表情を、よく覚えている。鳩が豆鉄砲を食らったような、と言うのがぴったりな、なにがあったのか分からないという顔をしていた。 「へっ?」  その表情が愛おしくて、微笑んだ。なぜだか分からないふりをした涙を零すまいと堪えた日々の終焉が笑顔だなんて、秀逸すぎる。 「え? ちょっとどういうこと?」  諒(り

角を曲がったところにあったもの|ショートショート #月刊撚り糸

「ね。別れよっか」  笑顔でそう告げられたとき、俺はとても間抜けな顔をしたと思う。何を言われたのか、何と言われたのかにわかには理解できなくて、驚きすらもまだ訪れていなかった。 「へっ?」  俺たちは一緒にNet○lixで映画を観て、お茶を飲みながらだらだらしていたところだった。映画はふたりとも好きなアクションもので、面白いねと笑顔で話をした。いつも通りの日常、この1年間一緒に住んで馴染んだ日常そのままだった。  なのに架寿実(かすみ)は、いつもと変わらない笑顔で、言葉の

ジョハリ #月刊撚り糸

 ふと目覚めて、隣を見て溜息が出そうになるのを慌てて堪えた。安らかな寝顔と安らかな寝息。なんだか息苦しくなって、涙腺が緩んだから反対側に寝返りを打つ。  どうしてだろう、と思う。この人生を選んだはずなのに。この人を選んだはずなのに。  部屋はまだ暗い。きっと朝は遠いのだろう。もうひと眠りして起きたら、あの友人に電話をしようと思う。 *** 「ジョハリの窓って知ってる?」  佳奈がそう言ったのは、社会人になったばかりの頃だった。 「うちら何学部卒よ?」  椎名はそのとき

明けまして #月刊撚り糸

 本当に何年振りかで、年賀状を出すことにした。実家にいた頃は両親が毎年用意するのに便乗していたものだが、ここ数年は喪が続いたこともあって姿を見ることもなかった。  寒空の下、郵便局の外に張ったテントではがきを売るお兄さんから、三十枚ほどを買い取る。パソコンのソフトを使ってデザインを作り、はがきに印刷した。自宅の小型プリンターから吐き出されるそれらを見ながら思う。出す相手は三十人もいないのに、こんなにたくさんあってどうしようか。  脳裏に、久しく連絡を取っていない友人知人の

知っていた、信じてた。 #月刊撚り糸

 海を眺めて生物の歴史を知る、空を仰いで世界の小ささを知る、そんな高尚な人間にはなれなくても、ケイは充分幸せなのだと自認していた。  ケイは、特別頭のよい人間でもなく、特別見目の整った人間でもない。特別友人が多いわけでもなければ、資産家の家庭に育ったわけでもない。 それでも、幸せなのだと思う。そう信じて生きてきた。  信じることと知っていることは似ているけれど反対だ。  ケイの友人に、リョウという人物がいる。小さく可愛らしく、くりくりとした目がまるで小動物のような、ほん

あちらとこちら、夢のまた夢 #月刊撚り糸

 僕から見て、彼女はいつも『あちらに行ってしまいそう』な人だった。あちらってどこかだなんて訊かれても答えられない。とにかく、ここじゃない、もう二度と会えない、そんなところだ。  はじめて彼女に会ったのは、僕が新卒で入った会社を燃え尽き症候群で辞めたばかりのころだった。もうなにもやる気がしなくて、なにもできる気がしなくて、残業のおかげで貯まる一方だったお金を頼りにひたすらぶらぶらしていた。食べることにだけはやる気を見出せたから、その日も僕はずっと気になっていたお店に出向いた。

同じで違って同じもの #月刊撚り糸

 空が泣いている。  その表現は昔、ある男の人が彼女に教えてくれたものだった。 ——なんて、夢物語が現実だったらいいのに。  今日花(きょうか)はほうとため息をついた。空が泣いている、という表現を彼女に教えたのはなにかの本で、それがいったいなんの本でだれが書いたものなのか、彼女はもう覚えていない。  忘れられているからこそ夢がある、ようでない。そんな言葉を胸に抱えて、今日花は四角い窓の外を眺める。時雨。日本の雨を表す言葉は美しい、と思う。 「きょーうかっ」  どん、

隣の異世界#ショートショート #月刊撚り糸

 異世界、という言葉がある。自分が今住んでいるこの世界とは別の世界のことだ。最近は、異世界転生、なんてのも流行っている。そういうことを、城戸小鳥遊(きどたかなし)は一般常識として知ってはいた。けれどもその異世界とやらがこんな近くに存在していることは、知らなかった。 **** 「キャベツをトマトで煮込むの? え、なにそれ、なにができるの」  藍田景子(あいだけいこ)の言葉に、小鳥遊は目を剥いた。景子の顔をまじまじと見つめるが、彼女の顔に冗談やからかいは見当たらない。あくま

出会った日の寄り道 #月刊撚り糸

 その人とはじめて会ったのは、なんてことない寄り道でのこと。夏服がないと思って買い物に来たのはいいけれど、大荷物に炎天下がきつくてわたしは早々に音を上げた。とにかく涼しいところに入りたい、とその一心だったのだけれど、頭の片隅に住むミス倹約が、カフェなんてとこに入るなよ〜無駄遣いだぞ〜、と囁いている。そんな彼女との妥協案として許されたのが、入場無料の展示会場で、そこが運命の場所だった。    灰色の小さなビル。ガラス張りの扉を通った1階。受付らしき綺麗な服を着たお姉さんが、にっ

仮面を被った話の行方 #月刊撚り糸

「こないだね、知り合いの子が言ってたんだけど」   期間限定のフラペチーノを持って席に着き、彼が席に落ち着いたのを確認してからわたしは口火を切る。フラペチーノには専用の太いストローが付く。彼はそれを、今回初めて知ったようだ。 「ふうん。知り合いって?」  無造作にぐいっとストローを生クリームの山に差し込み、一吸いしてから彼は問うた。わたしは眉間に皺が寄るのを感じ、いかんいかんと瞬きをしてから答える。 「こないだ飲み会あったでしょ。そこで久しぶりに会った大学の子」  

薔薇とラベンダーとブルースターと #月刊撚り糸

 花屋というのは、よく目にするし香りも主張する割に、日常的に立ち寄る場所ではないというのが一般的な見解ではないだろうか。最近の若い人について言えば、個人で営まれている花屋で花を買ったことのある人の方が少ないくらいだろう。大手のスーパーにはだいたい花屋が入っているし、わざわざ町の個人店に行くほどのことはない。  志摩子(しまこ)が働く『グリーンゲイブルス』も同様で、長くの常連さんが訪れる他に客足はほとんどない。店主の槇笠(まきかさ)は花屋一筋でやってきた63歳だが、営業活動を一

春の陽射しと櫻の花と #月刊撚り糸

 うららかな春の陽射しが降り注ぐ。ぽかぽかとした陽気があたりを満たしているけれど、ひとたび陽が陰れば打って変わった涼しさに包まれるのだろう。  そんな、あやふやであいまいでつかみどころのない季節。 *** 「分かった。別にいいよ」  口に出した言葉とその温度に、茉奈は自分でいやというほどのデジャヴュを覚えた。ベツニイイヨ。なんて平たくて無意味な言葉。  それなのに、目の前に座る男はほっと表情を緩ませる。つい5分前までは愛おしく、傍にあってほしいと望んでいた目尻の皺。  男

気にしないのが一番だから|ショートショート #月刊撚り糸

――ニュウデン、ニュウデン  自動着信になっている電話は、コールが溢れているためにすぐ繋がった。すぅっと一瞬息を吸い込み、澄んだ声で慣れた台詞を告げる。 「大変長らくお待たせいたしました。~~~~~でございます」  歩佳(あゆか)が損害保険を扱うコールセンターで働いて4年になる。もともと大学時代にアルバイトで働いていたところへの出戻りだから、通算で言うともう6年だ。ベテランと呼ばれる域に達している歩佳は受電部隊ではなく、それぞれのチームを監督する管理部隊であるが、入電数

とある男女の場合|ショートショート #月刊撚り糸

レイカの場合 人生泣きたくなることなんてそうそうない。基本スタンスは開き直りと諦め。別に悲観論者じゃないけどそうやって生きてきた。映画で感動して泣くことはあっても、自分の身に降りかかる出来事って、泣いても仕方ないじゃん。泣くくらいならなんとかする術を考えるし、それができないなら開き直る。  そう考える私は、どうやら強い女に分類されるらしい。自分ではそう思わないんだけど、そう言われて生きてきた。 +++ 「レイカはさー、ゼロの人間なんだよ」 「え? ゼロ?」  急にわけわ