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2022年1月のふりかえり|みんな一所懸命生きているんだなといつも思う。私もそうだし

1月◯日
友人が一冊目の本を書いている。出版社につないだ経緯もあり、草稿段階からテキストへのフィードバックを手伝ってきた。正月に最新稿が届いたので、また読んで書き込んで送り返す。

クオリティがまだいまひとつな原稿を読むのは面倒くさい。が、自分だって、そんな原稿にちゃんとコメントしてくれた人たちがいて今がある。最初の馬場浩史さんのインタビュー記事は雑誌「コンフォルト」の依頼で書いて、「どや!」という気持ちで送った草稿に、「もっと描写を増やして」と戻してくれた編集長の多田さんには今も頭が上がらない。

言葉はキャッチボールの球と同じだと思う。相手が受け取ってくれる予感がなければ、投げることは出来ない。その友人は、本を書くことにはまだ不慣れだけど、感受性や物事に対応する力には信頼感がある。内容にも重みが出てきた。抑揚もついてきたし、「句読点が難しい」なんて話を交わせるようにもなった。

出版予定は5月末頃。かかわれて嬉しい。けど、昨晩編集さんからのメールに「デザインはAさんにお願いします」とあり、ムカついている。俺が頼みたい。

1月◯日
若林恵さんがPodcastで話していた『マッカートニー 3,2,1』を妻と観る。コンソールを操作するリック・ルービンを聞き手に、ビートルズの音源をトラック別に再生しながら、ポール・マッカートニーがレコーディング当時の様子を生き生きと語り下ろす全5本で、アルバム制作の面白さがビリビリ伝わってくる。
https://www.youtube.com/watch?v=HK5uBLNf_po

ポールの語り口を聴きながら「この人は本当に音楽が好きなんだな」とあらためて思う。なにかを好きな気持ちは誰も否定出来ないところがいい。それは〝考え〟とは違う、個別固有の感覚だから。そのプライベートな〝好き〟を彼は口ずさんで、メンバーと実験を重ね、みんなが集う緑地のようなパブリックな場所、アルバムや曲の形をした建築物を社会の中につくってきた。

〝正しい〟ことより、自分が好きなものを本当に好きな気持ちを、ほかの人と分かち合う仕事を重ねたい。数週間後にピーター・バラカンさんが話している姿を近くで見る機会があり、さらにそう思った。

1月◯日
ここ8年か10年ほど、アドバイザリーボードの一人としてかかわってきた東京都歴史文化財団「東京アートポイント計画」のミーティングに参加。今年度で終了するプロジェクトと、さらに駒を進めるいくつかのプロジェクトについて意見を交わす。

地域のアートNPOが、継続性を持って歩きつづけてゆくことをサポートする育成期の伴走プログラムで、プログラムオフィサーと呼ばれるスタッフが熱心にかかわっている。本人が「する」のではなく、別の人々がすることを「可能にする」仕事で、端的に言えば中間支援か。そのスタッフ数名へのコメントが主たる役割で、私を含み5名のボードメンバーが年に何度か集まっている。

アートポイント計画のプロジェクトの多くに、気がつくと「アート」や「アーティスト」がわかりやすく存在していないことについて、そりゃあそうだよねという話になった。ボードメンバーの小山田徹さんは元「ダムタイプ」の一人で、現在は京都市立芸術大学の教授でありアーティストだが、活動をふりかえると、まちなかにカフェをつくったり焚き火場をこしらえている。そういう時空間が必要だし、効くと感じているわけだ。

アートやアーティストという記号性を廃した方が、むしろ本質的な活動や、アーティスティックな社会関与が出来る時期を迎えているよねという話をした。「仕事だから」しているような仕事の多い社会なので、「頼まれもしないのに」やっている仕事や活動には、体温が感じられるし眩しさがある。自分にとって「アーティスティックである」とはそういうことで、アートもアーティストも結果の呼称だよなと思う。
https://tokyoartpoint.jp

1月◯日
神山を離れるタイミングが少しづつ近づいているので、東京の家の片付けや掃除をしに杉並区に戻って何週間かすごす。東日本大震災直後から離れがちになっていた家および仕事場の手入れをして、もう一度火を入れてゆく作業は気持ちがいい。この時間が必要だったんだな。

「組織の運営には〝タスク〟と〝メンテナンス〟の両輪が必要。家族も個人も同じ」と聞かせてくれたのは松木正さんだ。その視点で見ると、30・40代の自分はつくづくタスクベースで、あたらしくなにかを〝する〟ことや〝つくる〟ことにもっぱらエネルギーを割いていたのが片付けをしているとよくわかる。以前の自分をねぎらいたい。

小さな家の中に沢山の読みたかったもの、聴きたかったもの、手に入れてみたかったものがあり、沢山の捨てられずにきたものが山積している。小川悦子さんという方が暮しの手帖で語っていた、「過去は『興味深いもの』だけど、昔の自分は今の自分じゃない。だから過去は関係ない」という言葉を思い出しながら作業をつづける。

小川さんの言葉は「『現在』は常に新しいから面白い」とつづいた。過去はinterestingだけど、最大の関心事は『いま』。本当にその通りだと思う。

1月◯日
「とびらプロジェクト」のフォーラムの仕事で東京都美術館へ。新規「とびラー」募集にむけた例年のイベントで、選考倍率は二桁までいかないけど結構高い。https://tobira-project.info/b2022/

このプロジェクトは、東京都美術館のリニューアルオープン(2012)と同時に始まった。つまり今年が11年目で、準備室から数えると12〜13年の参画になるか。声をかけてくれたのは、その頃鎌倉近代美術館から都美に移った学芸員の稻庭彩和子さんで、彼女との信頼感を基盤に働いてきた感覚が大きい。稻庭さんにとっても自分にとっても、こういう仕事は、一生に何度もあるものではないなと思う。

稻庭さんの相方にあたる東京藝術大学の伊藤達矢さんや、プロジェクトルームのスタッフ、日比野克彦さんや森司さんも含み、心の自由度が高いメンバーに恵まれた活動で基礎体温が高い。この11年で各地のいくつかの美術館にも広がったな。

その基礎講座で自分は「きく力」を担当しているわけだけど、「互いの話をきく」ことを大事にした、しかし臨床心理士育成のグループだとかそういうのではない、年齢差や職歴が雑多で、好奇心の強い人々のコミュニティが、このあとどう育ってゆくのか関心がある。ひとの話を「きく」ことを手がかりにした、一つの文化圏が形成されているように見えるので。

1月◯日
1月上旬から週2回ペースで開いてきた「インタビューの教室」が、全6回を経て先週末に終了。数日経った今日も、LINEのグループにはメンバーたちの一言二言がポツポツ流れている。

イベントが終わってもなかなか帰ろうとしない人が多いと、今日はいい時間だったんだなと思う。これはアンケートよりずっと確かなフィードバックだなと思っていて、その人にとってどんな時間であり場であったのかが、事後の具体的な振る舞いにあらわれている。去りがたい気持ちがあったり、その場を温かく感じているということだから。

実会場のイベントでは椅子を片付けたいスタッフとの攻防が生じるけど、オンラインはその心配なく、波が自然に引くまで好きなだけ時間をかけられるのはいいね。

ワークショップからの収益は自分の経済圏における出来事なので、体温が感じられるし安心度も高い。不労所得の変動を気にしながら生きてゆくより、私には楽だし向いている。自分の経済圏を育ててゆきたい。

1月◯日
濱口竜介監督の『偶然と想像』を観た流れで、フレデリック・ワイズマン監督の最新作『ボストン市庁舎/CITY HALL』を観た。
>NISH Diary

1月◯日
今月も、年下の友人との月イチミーティングを持った。その他にも「ちょっと聞いて欲しい」という友人の話をきく機会が結構多かった。「親戚の叔父さん」機能
が、ひきつづき作動しているのかな。

ひとの話をきくことは、そのひとが生きている経験世界に本人の案内で入れてもらう時間なので、「へー。こんな部屋に住んでたの!」というような面白さがある。話の内容の面白い/面白くないと別に。みんな一所懸命生きているんだなといつも思う。私もそうだし。

今月は、神山での6〜7年をちゃんと閉じてゆくためのプログラムを、個人的に一つ実施する。あと、初夏以降のあたらしい仕事をいくつかつくり始めるだろう。

・書く仕事、連載の仕事を始める
・信頼できる組織や活動の「親戚の叔父さん」的な仕事を増やす

は変わらずそのまま。
月末から始まる次の「インタビューの教室」までに、合間をみて池見陽さんの本を再読する。自分がきいているときに感じていることと、「フォーカシング」の技術や感性が捉えていることは似ていると思う。