納期のない仕事

「日記でも書くか」と思ったのは、最近の自分の仕事の、説明の難しさによるところが大きい。中でも「終わりがハッキリしない問題」が大きい。

40代前半までの仕事は〝終わり〟がハッキリしていた。デザインプロジェクトなら完成すればひとまず終了。クライアントワークでいえば納品を以て一段落し、「こんな経験だったね」とふりかえれるし、「こんなものをつくった」と報告もできる。時間をみつけて自分たちのサイトのWORKSにページを加えたりして。

しかしだんだんそれが難しい仕事が増えていった。考えてみると大学の授業がその始まりだったかもしれない。30代のことだけど、自分がどんなに「いい」と思える授業をしたところで、学生の表情や手応えもいい感じだったとしても、それが「本当によかった」のかは誰も知らない。その価値が位置づけられるのはまだ先のことだし、そもそも一人ひとりの人生というか野菜スープの具材の一つにすぎないわけだし。

そんな仕事が次第に増えて、サイトになにも書かなくなった。40代中盤から、終わったのか終わっていないのか、よくわからない仕事が増えた。
最たるものは50代から始まった、神山町(渋谷じゃなくて四国の山あい)の〝まちを将来世代につなぐプロジェクト〟だろう。町役場と一緒に地域公社をつくり、この3〜4年ずっと取り組んでいる。走りつづけた最初の1年半がすぎた頃「まちの話は終わりがない」ことにようやく気づいて、呆然とした。

たいていのデザインプロジェクトは、一緒懸命やっていればいつか終わる。たとえば建築は、最初は手描きのスケッチのようなところから始まって、1:500の図面になり、それが1:50になって…と解像度を上げながら仕事が幾何級数的に増えてゆく。最終的には1:1という原寸の世界に至って「死ぬかも…」と思うにしても、竣工日は決まっているし、あれだけあったタスクもやりつづければいつかなくなって「終わった!」となる。

ところが「まち」の仕事はやればやるほど増える。終わりはなくて、常に過程でしかない。神山の仕事に限らず結構そんな調子で、つまるところ〝契約〟というより〝関係〟でやっている仕事の割合が増えた。それ自体は悪くないのだけど、いつなにを書けばいいかわからない。書けずにいるのもつまらない。で、「日記でも書くか」と考えた。